odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

芝垣和夫「講和から高度成長へ 昭和の歴史9」(小学館文庫)-1 1952年から1960年。占領期間が終えたらすぐに右翼が政権をもち、憲法に反対する政策を取り出した。

 1952年から1960年。1982-83年にこの本を書いたというから、著者らにとっては昨日のできごとで、自分の体験が濃厚に記憶されている時期だ。歴史家はいかにして冷静さと公平さをたもつことができるか。

サンフランシスコ体制の発足 ・・・ 1952年4月講和発効。アメリカの従属国化。とくに未返還の領土(沖縄、北方四島小笠原諸島など)は占領されたまま。講和条約締結と同時に日米安全保障条約も結ばれる。国内の米軍基地が拡張される(60年代以降、沖縄に移転して本土の米軍基地は縮小する)。警察予備隊が保安隊に、自衛隊に名称変更。1953年に憲法改正案と再軍備案。元軍人の公務員復職、A級戦犯が議員に復職。
(極右は占領期終了と同時に活動を開始し、議員や官僚が追随する。さまざまな反戦・反基地闘争で政府と官庁は市民を弾圧する。21世紀の日本の政治の問題は、ここから始まっていたのだ、と痛感する。)

対米従属下の経済復興 ・・・ 朝鮮戦争の需要で復興しました。解体された財閥が再結成しました。鉄鋼・造船・電力に財政投融資。その他の業界は放置され、カルテルなどの談合体質が形成されました。
(この時から経済の対米依存体質ができて、1980年代の「ジャパン・アズ・Noワン」の時台であっても、その例外ではない。日本のなかまうちで金を回すシステムは占領期間を終了するとすぐに戻ったのだった。)

「五五年体制」の成立 ・・・ 吉田茂は長期政権だったが、GHQの後ろ盾があったため。占領終了とともに吉田の権力基盤が崩れ、保守革新ともに小政党に分裂した。それが1955年に社会党自由民主党が発足し、共産党が路線変更した。朝鮮戦争の停戦、スターリンの死などが世界情勢にある。
(ここで自民党社会党の二大政党の「55年体制」ができたとされるが、政権交代は起きていないので二大政党制になったわけではない。自民党内の「極右」と「中道」のグループで政権が移動しただけだった。もともと自民党は「憲法改正」を党紀とするような極右であるのだが、この国では「保守」をみなされた。社会党ほかの野党のちからが強いので、強くけん制され極右政策を打ち出せなかった。)

国際社会への復帰 ・・・ 鳩山内閣国際連合に加盟、日ソ国交回復を実現。WW2の被害国との賠償交渉が締結される(韓国は決裂、中国とはやっていない)。第3世界の力が強くなる。
(国際社会への復帰であるが、欧米には卑屈で、アジア諸国には高圧的になるという戦前体質は変わらない。賠償交渉もその後の経済進出を目してであって、戦争責任を果たすという内容ではなかった。1960年代になるとヨーロッパの経済復興が完了して、第三世界は再び搾取の対象になる。)
(参考エントリー) 国際社会に復帰する戦争犯罪国国民の意識の例
2013/10/07 朝比奈菊雄編「南極新聞 上」(旺文社文庫)

大衆運動と保守・革新の対立 ・・・ 大衆運動は、政党・組合主導のもの、住民・市民によるもの、学生によるものの3つが混ざり合いながら行われた。原水爆禁止運動、反基地運動、警職法反対、教育基本法反対などが全国的。アメリカ統治下の沖縄は独自の運動を展開。
(これらの運動と1960年安保運動が全国的な高まりになり、脅威に感じた右翼が1960年代から大衆運動を開始する。当時は目立たなかったが、50年たつと日本会議統一教会によって政権中枢に入り込むまでになった。21世紀には日本の右翼・ナショナリズム運動を調べることの方が重要。)
2012/08/29 阿波根昌鴻「米軍と農民」(岩波新書)
2022/06/28 山崎雅弘「日本会議 戦前回帰への情念」(集英社新書) 2016年
2022/06/27 青木理「日本会議の正体」(平凡社新書) 2016年

 

 この時代をみるときに、占領期間が終えたらすぐに右翼が政権をもち、憲法に反対する政策を取り出した、「55年体制」のような保守と革新の拮抗状態はなかった(せいぜい右翼の抑止ができた程度)というのが重要。占領期の民主主義が右翼によって骨抜きされていくのが敗戦後の日本の政治だ。

 

 

2022/12/01 芝垣和夫「講和から高度成長へ 昭和の歴史9」(小学館文庫)-2 1988年に続く