odd_hatchの読書ノート

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アレクサンドル・ソルジェニーツィン「ガン病棟 下」(新潮文庫)

2013/11/18 アレクサンドル・ソルジェニーツィン「ガン病棟 上」(新潮文庫)


 もうひとつの読み方は、スーザン・ソンタグ「隠喩としての病」(みすず書房)のサンプルとして読む方法。

 作者の書き方は、20世紀の小説には珍しいポリフォニックなもの。気になる人物をメモしたら、患者側で8人、医師側で6人。その関係者を含めると40人くらいが登場するのではないかな。オレークの病室はたぶん8人部屋で、ときに全員が加わった議論があったりする。こういうたくさんの人数で会話させる「パーティ」をうまく描ける小説家は非常に珍しいが、ソルジェニーツィンは絶妙。たくさんの人々を会話でもって書き分け、個性を演出し、各人のここに来るまでの履歴とここにきてからの打ちひしがれから人物を造形していく手腕はすごい。この技術はなみではないよ(ドスト氏、トルストイなどロシア作家はうまい、一方この国の作家だと誰?)。そこに苦いユーモアが加わるのだから、ページを読む手が止まらない。
 ソンタグ「隠喩としての病」は以下のように、ガン(と結核)を語る。すなわち、

「病気は内面的なものを激化するための言語で、自己表現のひとつとされる。すなわち病気にかかったものは内面化されていた性格や欲望が顕在化し、公開したくないものを公開するもの。なので、病気は解読するものになる。で近代人は感情表出を避け、無表情なニヒリストであろうとするから、病気はその仮面をはがし、道徳的な罰を与えるものになる。そこでは病気の責任は患者個人にあるとされる。ときに患者が侮蔑的にみられ、人生の敗北者であるとされる。(自分の要約)」
スーザン・ソンタグ「隠喩としての病」(みすず書房)

 その観察はこの小説でもみられることで、ガン患者は次のような反応を示す。不意に災厄が自分にだけ訪れたことへの怒り、未来が奪われたことの失望、自分の価値の喪失、詩を直面することの恐怖、希望を持てないことからの抑うつ、過去の振り返りからの自己嫌悪、恐怖を救うものへの過剰な期待(1950年代からサルノコシカケや金コロイドなどにガン治療効果があると思われていたんだ)、同病者への嫌悪、医師や看護師への敵対感情、病院の外への憧憬、などなど。人によって、現れはさまざまで、怒りっぽくなる人もいれば沈黙するだけの人もいるし、威張る人もいるし、勉学に励む人もいる。このような多様なあり方が、小説に登場する。
 エフレム・ポドゥノフは無学な日雇いで全国を行脚後、がんで入院。トルストイの「人は何のために生きるか」を読んで感銘をうけ、患者たちに問いかける。すでに治療不可のため退院後、駅で野垂れ死。ヴァジムは若い鉱山技師放射能を測定して鉱山を見つける技術を開発しようとしている。すでに末期症状。ジョームカは16歳の少年。足を切断することになり、望んでいた職業に就くことができなくなる。マーシャは17歳の少女。乳がんに冒され、乳房を切除することになる。この二人の出会いとマーシャの涙までは印象的なボーイ・ミーツ・ガールの物語。このような死や社会からの排除を前にしたさまざまな状態が描かれる。

「いつか死ぬだろうとは恐ろしくはないが、今すぐ死ぬのは恐ろしい(上巻P381)」

がこれらのまとめになるのかしら。
 さて、患者も描かれる一方で、医師や看護師も描かれる。彼らは生の側にいるが、こちらは主に政治で翻弄される。すなわち恒常的に物資と人手が足りない。上からのコネで病院に入ってきた連中はやる気がなく技術も不足、しかし党員であり家族が権力者なので排除できない。溢れた仕事は平党員や非党員にまわされ、疲労しきっている。ドンツォフという40代のX線治療医師はあまりに放射線治療を行ったために被曝しすぎて、自身に白血病が発見される。ヴェーラ・ガンカルトは若い意欲にある女性医師であるが、多忙のために婚期を逸しそう。しかも病棟の患者が勝手に自己治療や民間療法を実行するのを苦々しく思う。まあ、制度の疲弊(当時ソ連は国民の医療費負担はゼロだった)による矛盾がこのような現場に押し付けられていたわけだな。そこの苦慮も見なければならない。もちろん、パターナリズムまるだしで、患者を見下す医師も描かれていて、作家の視線は容赦ない。
 こうした病棟は社会そのものであって(ああ、忘れていた、このウズベク地方の病棟にはさまざまな民族の人がいる。なかには朝鮮人も日本人も働いている)、その多様な描きとりは見事。さすがと治療や看護の仕方は古く、人々の暮らしも変わってしまったが、ガンや死という非日常生活には現代にも通じる。むしろ中年以降になって身近な人のガンや死を知るようになるとここの描写は痛切だ。