odd_hatchの読書ノート

エントリーは3200を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2024/11/5

磯山雅「J.S.バッハ」(講談社現代新書) 実証主義と古楽器演奏普及で変わりつつあったバッハ像。著者が言う「音楽の精神を受容する」は意味不明。

 J・S・バッハをどうみるかについて、大きな変化が1960年代から起きたらしい。
 ひとつは1962年の音楽学者フリードリヒ・ブルーメの講演で、それまでバッハをキリスト教精神史に位置付けるように考えていたのを実証的研究に変えて「人間バッハ」を見るようにしよう、という主張。創作の大半が教会音楽で、どうやら自身も敬虔なプロテスタントであったので、その作品はキリスト教信仰の表現にほかならない。これがそれまでの見方(たぶん、戦前のメンデルベルクやシュヴァイツァーやフィッシャー、ランドフスカらの演奏はそういう解釈の延長にある)。それを手紙、蔵書、家族や友人の証言などから見直そうということになった。そうすると、なるほど宗教心に熱いのは確かとして、仕事は勤勉、生活は質素、蓄財にたけている。その一方、結構ケチで、昇給や権限をめぐって教会と駆け引きをし、市議会その他の有力者におべっかを使い、女好きで、弟子や合唱隊やこどもの教育に強いこだわりを持っていた。修身の先生みたいな(?)冗談の通じるとは思えない謹直おやじと思えたのが、さまざまな様相をもっているのが浮かんできた。そこかしこにユーモアはありそうだが、といってはめははずさない。それに神秘思想や数秘術にも関心をもっていて、作品に仕掛けをほどこすことにも余念がない。とりわけ、プラウチェという学者の提唱した「フーガの技法」の解釈がおもしろい。18のコントラプクトゥスで構成された技術披露の作品が、詩篇の1から18に対応し、それがキリストの生涯に一致しているという。ほんとかね、と思いながらも、バッハが数に関心を持ち、そこに象徴を込めているというのは知的遊戯として面白い。
(こういう見方がひろまってきたとき、キリスト教精神史に位置付けるバッハ研究をしていた辻壮一は苦しかったのだろうなあ。辻壮一「J・S・バッハ」(岩波新書)にはその苦悩が見え隠れ)。
 この本でもこのような実証研究が反映していて、バッハの生涯にはほとんど触れることなく、彼の仕事の拠点にしていた18世紀ライプツィヒやケーテン、ドレスデンなどの様子、宮廷人や市民の生活が詳述される。ここでもイギリスやフランス、あるいはロシアの生活や社会と対比することを心掛けて読むべきと思う。
 もうひとつの変化は、古楽器の研究と普及。18世紀後半から楽器の改良や新楽器の開発が行われ、バッハの演奏にも使われるようになった。また、ロマン派の音楽がバロックと異なる美意識になり、演奏方法や解釈がずいぶん変化した。それをカザルスやロストロポービッチのように改良された楽器を使うのが当然という立場もあれば、当時の楽器と奏法で演奏するほうがよりバッハの意図に近いのではないかという立場も生まれた。1950年代には古楽器演奏は学者のものか物笑いの対象(ホフナング音楽祭で古楽器団体がチャイコフスキー第4番交響曲終楽章を演奏したときに笑いが発生したのを思い出せ)だった。それが、1990年ころには演奏家も聴衆も学者も支持するようになっていた。この変化を見据えて、著者は、1)リズムの生命力を重んじる、2)外声のくっきりでる透明な響き、3)拍節内に置かれたアクセントで表現を引き立てる、4)長いレガートを避け短いアーティキュレーションを積み上げること、がバッハ演奏に重要、という。そうはいいながら、カール・リヒターグレン・グールドの演奏を除けられないのはご愛嬌。
 さて、宗教的でない人間バッハをみようとするとき、あるいはバッハの音楽を聴くとき、著者はこのようにいう。

「バッハの音楽にはいつも、音楽として完結すると同時に音楽を超えてロゴスの世界に広がろうとする力が働いている。(中略)音を超え出ようとする生き生きとした志向性を、そこに看取すべきである。その志向性は、われわれのファンタジーを刺激し、われわれを自由にする。そのときわれわれは、バッハの音楽の精神をあますところなく受容している(P170)」

 自分にはこれは非常に難解。音楽の世界はロゴスの世界の下にあるの? ロゴスの世界を観取することが音楽体験の目的? 志向性が達成する「自由」はたとえばロックなどのいう政治的社会的な自由とおなじもの?それとも別物? 音楽の精神を受容するとはどういうことなのか?それは芸術を観賞するときの目的になるのかしら?

「バッハ研究の権威で音楽学者の礒山雅(いそやま・ただし)さんが(2018年2月)22日、外傷性頭蓋(ずがい)内損傷のため亡くなった。71歳。」
訃報:バッハ研究の権威 礒山雅さん71歳=音楽評論家 | 毎日新聞
 著作のみならず、NHKのクラシック、古楽番組の解説者として、長年の間教えていただきました。それこそ1980年代から話を聞いていました。手元には、最近の「古楽の楽しみ」の録音があります。何度も聞きます。含蓄あるお話しをありがとうございました。