odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

クロード・ピゲ「アンセルメとの対話」(みすず書房) 数学の専門研究をしていた指揮者が現象学を駆使した音楽理論書を書いた。そのエッセンスを聞くインタビュー。

 エルネスト・アンセルメ(1883-1969)はスイスの指揮者。ディアギレフ・バレエ団の専属指揮者となったり、スイス・ロマンド管弦楽団を組織したり、Deccaで膨大なレコーディングをしたりと、20世紀を代表する指揮者の一人。若い時からお世話になったが、これまではさほどの関心を持たなかった。たまたま、彼の名前の付いた本を見つけたので購入。驚いたのは、この人の交友関係の広さもさることながら、現象学を駆使した音楽理論書を書いていること。若い時には数学の専門研究をしていたことにも。20世紀前半では指揮者は現場のたたき上げか、音楽学校の出身者であって、その中では異色の経歴の持ち主(音楽アカデミーが不十分だった時代のこの国では、医学や理学の勉強をしていたものが転身したとか、まったくの素人が作曲して認められたとかはあった。クセナキスも数学者であったので、音楽教育システムが不十分なところ、音楽アカデミーのちいさいところでは、このような経歴は可能であるのかもしれない。今はもう無理)。

 この人には「人間の意識における音楽の基礎」という現象学的アプローチの大著があるという(たぶん未訳)。これを読み通すのはつらいということで、スイスのラジオ局が哲学者をインタビューアーにして、12回の連続講演を行った。それを文字起こししたのがこの本(原著1963年)。序にあるように、アンセルメの考えを包括的に紹介している。ということなので、読むのだが、現象学の知識に乏しいので議論を追いかけるのが難しい。とりあえず音を聞く行為に関して、さまざまな思い込みを排除してゼロベースで考えてみよう。そうすると、音は人に高さ・長さ・音色などとして知覚する。それを音楽にまとめ上げるときに、人間に備わったロガリズム(アンセルメの造語)を用いる。ロガは数学の対数(log)で、音の周波数は指数的に高くなっていくが、それを対数で元の音の何倍という具合に和として認識する能力らしい。そのような知覚作用から音楽に統合する認識作用がある。音楽はこのような認識作用によって意味、おもに情緒的主観性を溶出するものという。このような知覚と認識作用は、原始部族ないし人類の起源から備わっている。それは段階的に発展してきて、最初は音程とリズムだけであったものが、旋律・メロディを生み出し、最終的には和声や対位法などの複雑な聞き方・作り方を獲得してきた。最後の段階に進んだのは、西洋文化のみ(その他の文化、例えばイスラムやインド、中国などはそこまで達していない「音楽以前」とされる)。この発展は最近の2世紀に顕著だが、このところ(1950年代)の音楽実験、ドデカフォニー/無調/セリー技法など、は情緒的主観性を喚起しない、方法に特化して人間の認識作用を無視した反音楽である。
 というところがアンセルメの考えらしい。アドルノが聞いたら激怒しそうだな。おいらにも受け入れがたい(西洋以外に音楽はないという言明に対する反感だけなのかもしれないが)。まあ、カザルスみたいに生理的な嫌悪感をしめすわけではなく、マルタンやベルクの音楽には共感しているというから、必ずしも原理原則を徹底するという立場ではない。とはいえ、シェーンベルクウェーベルンメシアンブーレーズの音楽を録音していない。一方、ストラヴィンスキー、ファリャ、ドビュッシーなどの同時代音楽は大量の録音を残した。彼は現代の音楽の創始をドビュッシーに見ている。ドイツ音楽とドビュッシーの違いは、前者は情緒や倫理の音楽で、普遍をめざし、我々自身へ連れ戻す、後者は感情の音楽で、特殊(自然現象とか妖精とか)をあつかい、我々を外に連れ出すという。ドビュッシーの評価はジャンケレヴィッチに近しいと思う。
 演奏家の仕事にも言及があり、楽譜というテキストは音楽のすべてが記載されているわけではなく、特に感情(アンセルメは音楽の機能のうちここを重視)がないか静的な感情しか書かれていない。演奏家はそこにダイナミックな感情表出をすることが目的で、様式(styleかな?)を与えることに注力しなさいという。なるほど、ここを読んでアンセルメワーグナー演奏を聞いてみた。通常は極めて低評価。なるほど、クナやフルトヴェングラーのような高揚やうねりやエネルギーはない。そのかわりに楽譜だけを与えられて、伝統や因襲を一切考慮しないで、テキストの読み取りだけを精密に行いましたという演奏。とても明晰で、細部までよく聞き取れる演奏だった。今だと、古楽のグループが演奏した物にちかしい(ノリントンワーズワースなど)。1963年録音では、当時このような演奏は受け入れられなかっただろうな。
 指揮姿を探してみたが、以下のものくらいしかみあたらない。
Beethoven Symphony No 7
www.youtube.com

 腕を上げ下げするだけの指揮から、多彩な音色を引き出し、対位法を明確にして、生き生きとしたリズムを刻む。当時は異端で、今では主流。早すぎたベートーヴェン
Ernest Ansermet -- A Portrait (VIDEO, 1963)
www.youtube.com

 スイス生まれでフランスに長く住んでいたこともあり、20世紀前半の音楽家との交友関係は深い。ドビュッシーラヴェルショスタコーヴィチヒンデミットなど。とりわけ関係の深いのはストラヴィンスキー。一時期は同じ町に住んで、毎日あっていたくらい。「春の祭典」の初演はモントゥーが担当したが、そのあとの演奏で、最後のいけにえの踊りのリズムを明確にするために5/16拍子であったのを2/16と3/16拍子にかき分けるよう進言し、それを作曲家は受け入れ今の形になったという。「兵士の物語」の制作にも関係していたというが、シャルル・ラミュ「ストラビンスキーの思い出」(泰流社)に登場していたかしら。読みはしたが覚えていない。確認したくとも手元にない。