odd_hatchの読書ノート

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都筑道夫「骸骨」(徳間文庫) 昭和の終わりから平成の頭にかけて書かれた短編を1994年に集めたもの。いかに読者の予想を裏切るかに、作者は神経を注ぎ、成功するほどに読後に不安を残していく。

 昭和の終わりから平成の頭にかけて書かれた短編を集めたもの。1994年に文庫初出。

手首1987.08 ・・・ 自分の一部が切断される夢を夜ごと見る。今度はたぶん首が転がっているのを見るだろう。ただ、手掛かりがあって、夢に出てくるドアとそっくりのスナックを見つけた、一緒に行こう。その場末のスナックにて。
蛙が鳴くから1988.06 ・・・ 四国の都市を旅行中、姪と出会った。行き先を同じにしたいというので、ホテルをとったら、翌朝既にチェックアウトしていた。半年前に婚約者が死んでいたという。姪はどうして自分の前に現れたのか。
にじんだ顔1989.11 ・・・ 怪奇小説の翻訳で缶詰になって、煮詰まっているところに、ガラスに顔が映った。どうやら自分のものらしい。そのことを電話が仕事仲間に話している途中、電話の相手が死亡した。私が殺したのだろうか。
低空飛行1990.06 ・・・ 極端な高所恐怖症の男。会社が高層ビルに引っ越すというので退職してしまったほど。ガールフレンドに同棲しないかを誘われたが、32階のマンションだというので、怖気をふるう。女に笑われたら、憎悪が高じ殺意に高まった。どうやってやろうか、男はマンションに忍び込む。結末の付け方がとてもあいまいで、そのあいまいさが不安になる。
片手1990.06 ・・・ 恋人を殺した。林に埋めたはずだが、生きているのかもしれない。見に行くと、休暇中の刑事が話を聞きに来た。そいつは自分の行くところを先回りしているみたい。もう一度、埋めたはずの場所に行くことにした。電話をかけたのはだれか、というのがあいまいなまま。
うそつき1991.10 ・・・ 妻が友人に久しぶりに会ったら、夫を殺してきたという。そういえば高校のときから彼女はうそつきだった。でも、今度のは本当のようだし、夫になにかするといっているよう。あとをつけると、見つかって、うそをついているように死体がそこにあるの、という。
山吹鉄砲1992.08 ・・・ 女の顔がテレビにうつり、それは電源を消しても見えるようになった。どうやら俺を好きだった女が新で、俺のところに現れたらしい。だとすると、俺も好きな女のことを思いながら死ねば、いつでも女のいるところにいけるのだろうか。
推理小説作法1992.11 ・・・ 15枚の探偵小説の締め切りが今日なのに書くことがない。散歩に出ていくつかのアイデアをこねくり回し、死んだ女を思い出す。探偵小説を書くのは難しい、でもホラーを書くのはお手の物。ちょうど15枚になったところでおしまい、というのがにくいねえ。
凍った口紅1993.01 ・・・ 団地とマンションの並んでいる町で、向かいのマンションで人が死んでいるという通報があった。一人が出ていき、二人が戻り、一人が出て行った。男の死体には化粧がしてあり、麻薬取引の大物の指紋が見つかった。これを発見者の老人と小学生の孫がアドバイスして事件の輪郭を推理する。コーコシリーズの満智留ちゃんのような聡明な女の子が、映画「裏窓」をするのがミソ。
骸骨1993.06 ・・・ 俺が殺した男が、死骸のまま部屋に入ってきた。その影響力のせいか、別荘地にあったほかの死体が蘇る。いつのまにか10人くらいに増えてしまった。皮肉で強烈なおち。なるほど作者が気に入っているというとおり、この短編集の最高作。
崖へ1993.06 ・・・ 崖の上で白髪の佐藤が髭の佐藤に妻を殺した話をしている。迷宮入りになったが、こんどは髭の佐藤が同じように妻を殺した話をした。さて、どちらの話が本当でしょう。最後に残った佐藤はどちらだったのでしょうか。
五十間川1993.10 ・・・ 父のかいた怪奇小説を読んでほしいと若い女性に頼まれた。いくつか読むと、女性から電話がかかり、父のことで相談したいという。その間に父が書いたとされる掌編が挿入されている。内田百輭を理想としていたとかで、タイトルを百輭の半分の「五十間」にした。さて、単純な枠物語だと思っていたのだけどなあ。


 ふしぎ小説も、ごく普通の探偵小説や官能小説や時代小説や怪奇小説に挟まっていると、はっとめを見張らされるのだけど、それだけを読み続けるのはなかなかしんどい。まあ、これは探偵小説や官能小説のような構成をもっていないからだろう。要するに、探偵小説なら怪奇な出来事がかならず合理的に解き明かされ、官能小説だと濡れ場が数回あって、という作家と読者のお約束、暗黙の了解があり、そこから逸脱しない。それが読者の安心になっていて、どんなにふしぎで奇怪な出来事でも、ちゃんと現実世界と地続きのところに着地することがわかっている。
 ところが、ふしぎ小説ではそういう約束事をいかに破壊するか、いかに読者の予想を裏切るかに、作者は神経を注いでいるのであって、成功するほどに読後に不安を残していく。とういうよりも、お約束ごとに着地しないことへのフラストレーションが溜まるのだな。たぶん、作者はふしぎ小説をうまく書いたら、にんまりと満足するだろうけど、その満足を読者は共有するわけにはいかない、というのもフラストレーションの理由。こういうふしぎ小説を立て続けに読むのはよろしくなかった。少なくとも一か月はあけておいたほうがよかった。