odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

都筑道夫「目撃者は月」(光文社文庫) 1998年の短編集。主人公は60代くらい、自閉的なモノローグで、いったいどこが夢でどこが現実世界やら、はっきりしたことがまったくわからなくなっていく。

 1998年の短編集。文庫オリジナル。作家は、ここに収録されたような小説を「ふしぎ小説」と名付ける。江戸川乱歩の「奇妙な味」とも違う「ふしぎ小説」とはどんなものなのか。

偽家族1994.01 ・・・ 「私」は死んだ友人の息子をマンションに引き取り、面倒を見た。そのうち長岡というその男は死んだはずの妻が帰らないと憔悴して現れる。いつか長岡は父を殺したのはあなただ、といいだして、「私」は混乱してくる。
目撃者は月1994.02 ・・・ 酒に酔って、絡んできた男を突き飛ばした。男はそのまま動かない。部屋に変えると免許証がなく、突き飛ばした男が殺されたというニュースがTVであった。免許証の行方が心配で、そのうちにある女が電話をかけてくる。免許証を無くしてゆすられるのではないかと心配する。これも一人称。心配を反芻するうちに恐怖が増大していく。
殺し殺され1993.12 ・・・ 夢でなんども同じ男を殺してしまう。その夢の男と町で出会った。相手は「私」に殺されている夢をみているという。話をしたからもう見なくなるだろうということで、10日後に会うことにしたがすっぽかされた。でも「私」は妙に気になって。夢を見ている私はもしかしたら、夢の中で寝ている私の見ている夢なのかも。無限の入れ子の行く先が恐ろしい。
鳥啼き1995.10 ・・・ DVで別居中の女が金を払いに来る元夫を殺す、という小説を書いている、という小説を書いている・・・
模擬事件1989.09 ・・・ 妻を殺したくてたまらない男が、留守中にマネキンを拾ってバラバラにする。翌日、奥さんが疾走したと刑事が聞き込みに来て、さらに翌日、本当に死体が見つかって、という夢を見て、という夢を見て、本当に殺して、猫がうるさい。
夢買い1990.03 ・・・ 夢で穴に落ち込む恐怖で目が覚める、それも毎晩。どうにかならないかという相談を老人にしたら、翌日、老人が殺されて、刑事が聞き込みに来た。家の近くの寺の裏にある崖に夢で見たのと同じ穴があり、見つけようとしたら落ちてしまった、もがいていると刑事はお前が犯人だといいだし、さらに穴にはまっていって。
赤い鴉1996.07 ・・・ 息子に死なれて妻とぎくしゃくし、一人暮らしをしている翻訳家。向かいのマンションが2日も明かりがともりっぱなしになっているのが気になる。つい双眼鏡を買って、覗くようになってしまった。そういえば今翻訳しているサスペンスも隣室が気になる老婦人の話。意を決して部屋にはいり、冷蔵庫を開けると。
幽霊でしょうか?1994.08 ・・・ 幽霊が出て入居者がいつかないので困ると友人に泣き付かれたので、住むことにした。10日目にようやく幽霊が出て、自分を殺したのはだれか探してくれと頼む。幽霊の依頼で、「私」は探偵のまねごとをする。皮肉なユーモア掌編。
置手紙1995.11 ・・・ 仲たがいして10年もあっていない男から手紙が届く。その直前に当の相手から手紙が届いている。今の妻は、仲たがいした男の元の妻でいまは外出している。置手紙には仲たがいの男に行ったとある。実は妻は何かたくらんでいるのではないか。
涅槃図1994.02 ・・・ 友人の元小説家が死に、娘が約束があるので果たしてほしいとやってくる。娘の絵をかくことであった。画題は涅槃図でヌードを書く。一方、妻は友人の元小説家のところにいっていて、娘が出入りすることに怒りだす。
ランプの宿1996.01 ・・・ 温泉に入っていると、あなたを殺したのと娘が入ってきて、女は自分が殺したはずなのだが、それでも部屋に戻ると夕食の席に女がいて。


 当時の作家の境遇を反映したものなのか、主人公は60代くらいで、妻も子供もなく一人暮らしだ。その孤独がなにかおぼろで具体のはっきりしない不安をもたらすものらしい。誰かと会っておしゃべりでもしていればいいのに、みんな閉じこもっているから(あるいはそういう仕事をしているから)、話し相手は自分自身のみでどうどうめぐりの結論のないことをえんえんと考えている。そのうちに、考える自分と考えられている自分の区別がつかなくなって、あるいは立場が入れ替わって、あるいはそれとは別のもう一人の自分が生まれて、いったいこの俺はだれなんだい、という次第。そういう自閉的なモノローグが、夢と現実で交差して、その境があいまいになり、いったいどこが夢でどこが現実世界やら、はっきりしたことがまったくわからなくなっていく。
 いずれの小説も一人称で書かれていることに注意。書き手のバイアスや狂気がものごとの真偽をあいまいにして、しっかりした立場がわからなくなっていく。乱歩の似たような小説でも、本当と夢があいまいになって、その区別のつかない世界を描いたけれど、乱歩の小説のしまいではかならず物理現実に戻ってくる。そこが「奇妙な味」と「ふしぎ小説」の違いかな。こちらに似ているのはディックの短編にいくつかあったような。
 ここでは夢と現実という対立項になっている。まあ、夢がひとつであることはないので、それに幻惑されるわけだが、さらにヴァーチャルな世界を加えて3つの世界のあいまいさを描くと、ふしぎ小説の書き方は広がるのではないかしら。21世紀初頭の現役作家なら実験していると思うけど、そこまで探していませんので悪しからず。19世紀の「夢落ち」小説は次の世紀で批判されたけど、夢を現実のあいまいさを突っ込んで考えると、「夢落ち」というのも奥が深いなあと思えてくる。