odd_hatchの読書ノート

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都筑道夫「袋小路」(徳間文庫) 昭和の終わりから平成の頭にかけて書かれた短編を1993年に集めたもの。明快な説明のないのが怖い。

 昭和の終わりから平成の頭にかけて書かれた短編を集めたもの。1993年に文庫初出。

袋小路1989.06 ・・・ 「怪談を書いているが霊魂を信じていないだろう」という電話の主が、最近書いた袋小路の話と同じ場所に案内する。そこで怪奇現象を見、部屋に帰ると「私」が待っていた。なるほど、血の付いたナイフを眺めている状態は、身体的にも精神的にも「袋小路」そのもの。この先には「無」しかなさそう。
うらみの滝1989.09 ・・・ 田舎温泉で翻訳の仕事をしていると、「あなたが人殺しをした現場を見たのでいらっしゃい」というメモがあった。最初のははずれ、その夜の露天風呂で女の死体を見つけるが、それは翻訳家の若いころの知り合い。いっしょにいた若いフリーライターはその女の息子。なぜ「私」はその女を殺したのか、なぜいま死ぬところなのか。
動物ビスケット1989.11 ・・・ 仕事中にビスケットを食べる癖のある翻訳家、幼児と取り合いになり、忙しいのに先輩からの下訳の依頼を断れず、妻とは喧嘩して、借りた原書は読むたびに中身が変わり、ビスケットは蛇のように動きだし・・・。
悪役俳優1989.12 ・・・ 新作映画の最後に死ぬ老け役の俳優が気になって仕方がない。ちょうど作家の紬志津夫がいたので訊ねてみたら、思い出したようだ。怖いというよりも、老いの寂しさが身に沁みる一作。ハートウォーミングな結末も作者の心境に近いのかなあ。
顔の見える男1990.09 ・・・ 見知らぬ男の顔を幻視する作家。その顔の持ち主は近々亡くなる。最近では妻の好きな歌舞伎俳優の顔を見たら、数日後に不審死を遂げた。友人の作家に誘われて会食にいくと、見知らぬ顔の人物が同席していた。「私」は夢中で逃げ出して・・・。
暗い鏡の中に1985.05 ・・・ タイトルはヘレン・マクロイのものとは何の関係もない。不倫をしている30代女性。夫は大きなプロジェクトを抱え、ストレスのせいか不能。相手は同窓会幹事の同級生。でもって、別れる別れないの話になり、会社のお夫に別れてくれと電話が入り、事態がなんだかわからなくなり、しかし体がうずいて。
留守番電話1986.07 ・・・ 留守番電話に殺しの依頼がはいっていて振込までされている、と調律師が知り合いの探偵に相談にきた。そこで調律師のマンションで次の電話を待っている。探偵小説の構成をとっていながら、解決がない。まあ、証拠がなく、自白も引き出せないから。こういうのを理性の敗北とでもいうのかしら。
風の知らせ1989.09 ・・・ いたずら電話がかかってきて困るというのを、恋人に相談している。恋人の女性のほうは、毎回相手が変わるのにめんくらう。ついには、女性が殺されたという電話がかかってきて・・・。あとがきによると、この話に怒った読者がいたそうな。あと、自動車電話が小道具になっていて、なるほどサービスが始まったのはだいたいこの時期。通話料がとても高かったので、金持ちしか搭載できなかった。
指のしずく1989.09 ・・・ ゆめをみているゆめをみているときにめがさめたのをゆめでみていてそのゆめがさめてしまうとゆめのなかにいるのがわかるからまだゆめをみていたい
赤い月が沈む1987.08 ・・・ 「赤い月が沈む」というホラーの文庫表紙イラストを同棲中の女が書くことになった。その絵の赤い月と怪物の姿が妙に気になって。
夢処方1987.09 ・・・ よく夢を見るのだがその夢を小説にするのは難しくて午前零時に飲みに来ないかをさせ追われたので霧の中をスナックに行って、誘いに来たのは五年前の自分かもしかしたら殺した男かも知れなくて。
口ぐせに幽霊1987.10 ・・・ 幽霊専門の写真家が死んだという知らせが入った。その直後に、写真家は幽霊屋敷の一年を小説にしたので出版社に売り込んでくれと頼む。別れた後に、別の知り合いから写真家が死んだという知らせが入る。


 冒頭からしばらくは読者の現実と地続きのごくありふれた光景が書かれる。まあ、不倫とか人殺しとかごみの不法投棄とか頻繁に身近に起こることではないが、メディアが飽かずに報道するものだから地続きといってよい。でもその光景がすこしずつずれてくる。別の人はそんな光景はないといい、すでに体験したことが繰り返されたり、普段ならみすごしてしまう細部に妙に拘泥してしまうとか。そのうちに、最初の光景が「本当」の光景であるのかわからなくなっていき、周囲の人々が同じ光景をみているかどうかもあやふやになっていく。それがこれらの小説の不可解状況。
 探偵小説でもそういう不可解状況がおきることがあって、名探偵はその不可解さがまったく整合性を持った情景であることを示す。おかしいのは解釈であって、収集した情報と理性は正常に働いているのだ。解釈の仕方を少しずらすと、探偵小説の不可解状況(密室とか人体消失とか鉄壁のアリバイとか)は、手の込んだしくみではあるものの、たいていの人には再現可能な出来事にまとめられる。そこでようやく、不可解な状況にうろたえ、混乱していた人は、明晰な世界を取り戻すのだ。
 ところがここでは、明晰な世界に回帰することがない。すなわち、収集した情報そのものがゴミであったり、意図的な誤りを含んでいたりし、理性が曇っていたりする。それどころか間違いは自分にあるのか、世界の側にあるのか判然としない。まあ、明晰だったはずの世界が混乱と無秩序に陥り、自分の理性がおかしくなっている。その原因と因果もわからない。ここが探偵小説とふしぎ小説の異なるところ。いや怪奇小説とふしぎ小説の異なるところでもあるかな。明快な説明のないのが怖い。