odd_hatchの読書ノート

エントリーは3200を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2024/11/5

ジョン・ガッテニョ「SF小説」(文庫クセジュ) SFは方法とテーマの文学。人間や社会にペシミスティック出会っても科学への信頼は揺るがない。

 これを読むと、ミステリ(探偵小説)は形式の文学だなあと思う。形式は犯罪→探偵→捜査(解決)で構成される。そこにはしばしばテーマはない。形式を踏まえていれば、何の内容もなくてかまわない。量産されるミステリ(探偵小説)はそういうものだ。また作品はしばしば超歴史的。どこでだれがどのような状態で書いたかというのは、形式を検討するときに問題にされない。なので、19世紀の短編は21世紀の短編と形式において比較可能になる。

 一方、サイエンス・フィクション(SF)は方法とテーマの文学だ。方法は科学的思考(ここでは知識と推論で代表される。別のなにかでいえそうだが、自分には見つからない)。その方法でいくつかのテーマを扱う。無理やりに統合すると予測(仮説とか外挿とかでもいいような気がするがぴったりすることばが見つからない)。このふたつがとりあえずそろっていれば、形式なぞなくてもSFは可能になる。とはいえ、19世紀から揺籃期にかけては冒険小説、怪奇小説、哲学小説、幻想小説の形式を借りることが多かった。SFがそれ自体として自立するのは、1930年代とみてよい。そこでもアメリ幻想小説の影響は大きいのだが。そうしてみると、SFはジュール・ヴェルヌH.G.ウェルズの諸作品から始まったとするのが一般的なので、それをそのまま使うとすると、ジャンル小説としてはとても若い。この本が書かれた1971年ではSFは生まれてから70歳といっていいくらいだ。だからここには伸長しているジャンルを紹介する熱意があって、とてもほほえましい(筒井康隆のSFに触れた1970年代のエッセイもそういう熱気を感じさせる文章だった)。
 SFの扱うテーマを著者は、大きく3つに分ける。(1)人間と社会…社会の変化(ユートピアディストピア、反近代)、科学と技術(ロボット、人工知能など)、人間の変化(ミュータント、神、不死など)。(2)外と他者…外の脅威と発見、旅行、宇宙人。(3)時間…未来予測、時の改変(タイムパラドックス)。これは1971年の本なので、そのあとの科学技術の進展で追加されたサブテーマがあるだろう。バーチャルリアリティ、人間以外の生物の権利、人体や人格の改造、アイデンティティの不安あたりかな。また社会科学や人文科学の成果を反映したSFもある。1970年代のフェミニズムSFやエコロジーSF、反科学SFなど(デイヴィッド・ウイングローブ編「最新版SFガイドマップ」サンリオSF文庫をみるといろいろもらしてしまったなあ)。
 サイエンスフィクションは前提に科学(知見と思考)があるから、社会や人間にどれほどペシミスティックやシニシズムを持った主張であっても、科学(知見と思考)には信頼をおいている。ここはゆずれないところ。その先のテーマの扱いでは、楽観主義/悲観主義、科学万能/反科学、近代肯定/反近代、深い信仰/無神論リバタリアン/ソシアリズム、テクノクラシー/アナーキズムのようなさまざまな主張を載せることができる。この主張があるというのが、SFという文学ジャンルに必須であるのだろう。どんな通俗的スペースオペラであっても、そこには何かしらのメッセージ、主張が込められている(作者が意識的であるかどうかは別として)。そこを読み取るのが、SFの読者に求められるのだろう(という自分の考えは多くの人の賛同を得ないだろうなあ)。
 SFの黄金時代は1950年ということになるのかな。アメリカのパルプ雑誌から始まった通俗物語が自立して、文学運動になり、ファンとマニアを獲得していく。ただ、SFというジャンルはそこに安住することができず、1960年代になると、実験と拡散が始まる。著者によると、SFの実験と拡散は、通常文学(というのがあるのかな)がSFの手法を取り入れるようになって境界があいまいになってきたし、SFがイデオロギーの代替物になっていたり、SFで科学の扱いが雑であったり低くなって来たりしている。そこを危機とみるのか、チャンスと見るのか。著者は答えを出さない。そういう実験や拡散はあっても、SFのメインストリームは残るし、残っていればジャンルとしてのSFは当面大丈夫と言えるだろう。実際、ミステリは安定した売上とファン層を持っているが、SFは何度もブームと停滞を繰り返してきた。それでも、SFはなくなっていないし、注目する作品を定期的に出している。SFの緩いファンである自分は、まあ、安心してよいだろう。
 著者はフランスの人でフランスの読者のために書かれたものだが、紹介される作品のほとんどはこの国で翻訳済。しかも名作と呼ばれているものばかり。ここでわかるのは、SFのメインストリームはアメリカにあって、イギリスや日本、ソ連、東欧、フランスは傍流になるということ(フランスのSF作品はほとんど読んだことがないぜ)。そして、言語をちがえても、風俗習慣を違えても、名作の評価は同じということ。すなわち、SFが科学(知見と思考)をベースにしているのと同じく、消費社会と都市化もベースにしている。それらを共有する読者=市民がいることが、ジャンルとしてのSFが書かれる前提になっている。