odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

ボワロ&ナルスジャック「探偵小説」(文庫クセジュ)

 フランスのミステリ事情はあまりこの国では知られていない。ガボリオ、ボアゴベ、ルルーミシェル・ルブランシムノンアルレージャブリゾカレフ本書の作家を除いて、複数の翻訳があるのはあと何人いるのだろう。これを続けると、自分の無知を天下に知らしめるのでやめておく。

 さて、本書は探偵小説の啓蒙書。探偵小説に必要不可欠なのは、未知のものを前にした恐れと謎の解決によってもたらされる喜びであるという。起源は古いもので、端緒は古代文学にもみつけられる。でも、探偵小説という形式ができるには二つの条件があり、ひとつは論理(アリストテレス)と方法(デカルト)と認識法(ベルナール)がそろうこと。これは作家と読者が科学的な知識を持って論理的に神秘や謎に取り組むようになるための条件。もうひとつは、都市の成立と群衆の匿名性とメディアのセンセーショナリズム。互いに相手を知りあっていないが、猟奇や不謹慎や不道徳に熱い興味をもつ無責任な人々の群れが都市に生息していることが未知の恐怖と謎解きの快楽を味わう前提になる。それがそろったのが、19世紀半ばのパリであった(まあ、発見者はアメリカ人であるが)。
 探偵小説は奇妙な文学形式で、ほかのジャンル小説とはいくつか異なるところがある。まずは、終わりから構想し、プロットができてからキャラクターを想像するという転倒がある。あらかじめ終わりが決まっているから、キャラクターの性格は変容してはならず、それが不自由と不自然をもたらす。また読者と作家には暗黙の前提があって、未知のものや謎は最後に明らかにされなければならない。そしてストーリーも謎を含む犯罪→探偵→捜査(解決)という手順を踏まなければならず、犯人・探偵・被害者の3種類のキャラクターが登場しなければならない。ポーは必ずしも謎解きに固執したわけではない(むしろ犯罪という異常事態の人間の反応を描くことが大事)が、後世の人々は謎解きに熱中した。そしてドイル、チェスタトン、ヴァン=ダイン、クリスティ、クイーンなどによって謎解きの仕掛けや仕組みが様々に探究された。
 そのような歴史を仮構することができる。まず注力したのは、探偵というキャラクターだ。かれは謎を解き明かす理性の持ち主で、途中に失敗はあっても必ず真実を開示する無謬性をもっている。そこを強調しすぎると、やりすぎになるし、彼にふさわしい謎を提示しようとしてジグソーパズルみたいにパーツを分解分散したややこしい小説になる。才能もある作家もこの袋小路にはいることがある(クイーンやクリスティですら、とのこと)。
 謎解きに執心しなくても、探偵小説は可能だろうということで、二つの方向に進んでいる、と著者はいう。いずれも探偵小説から探偵の役割を小さくするものだ。まずは、犯人を描写(犯行計画とか残虐性とか追われる不安心理とか)する。倒叙推理、ハードボイルド、暗黒(ノワール)小説、など。別の方向は、被害者を描写(追われる恐怖とか被虐性とか犯人の裏をかく機智とか)する。サスペンスに集約。まあ、探偵小説は謎解きのカタルシスだけでなく、暴力やエロスなどのセンセーショナリズムとか、サスペンスなどを提供できるのであって、枠組みは確固としているが、その中での自由の裁量はひろい。まだまだ表現の可能性はあるでしょう。とはいえ、あまりに需要が大きいので、粗製濫造、十篇一律の消費材が大量に生まれてしまっている。それは危機をはらんでいる、とのこと。念のためだけど、これは歴史ではないし、系譜でもない。
 1975年刊行で、翻訳は1977年。アリストテレスデカルトを持ち出したり、社会学の分析を取り込んだりしていて、異分野の知識を使って探偵小説を分析しているのがおもしろい。この国だと、「探偵小説」を他のジャンルと分けてその中でかんがえるものだがね(乱歩とか権田、中島などの評論家をイメージしての感想)。フランスのこの作家たちは「探偵小説」は他ジャンルの小説や社会に開かれているものとみている。
 自分も探偵小説は、無限(ちょっと大げさだけど)のバリエーションをもつ同じ物語だと思っているので、著者のまとめはほぼ賛同。そのあとの、探偵小説の三つの分類(謎解き、暗黒、サスペンス)というのはしっくりこないけど、犯人・探偵・被害者(というか容疑者だな)の三項でみるというのは面白いと思う。こういう目のつけどころは実作者ならではの視点だとおもう。個人的にはもうすこし「探偵」の役割の分析がほしかったなあ。無謬性が担保される理由とか、特権的な立場にあるとか、犯人との鏡像関係になるのはなぜかとか、「巨人症的現象(P74)」になって生じる支離滅裂や誇張、節度のなさが生まれる理由とか。
 不足しているのは読者の分析かな。なぜ読者は探偵小説という形式を欲するのか、同じ話を繰り返し読んでも飽きないのはなぜか、ランキングにこだわるのはなぜかとか、そういう読者の欲望の所在と根源あたりの議論。というか、読者はなぜ「探偵小説」というジャンルのことを話したがるのか、かな。これほどジャンルの定義や分類にこだわる読者を生み出すエンターテイメントはないでしょう。
 訳者が参考にした文献が巻末に載っているが、本邦のものだと江戸川乱歩の「幻影城」や九鬼紫郎「探偵小説百科」、植草甚一「ミステリの原稿は夜中に徹夜で書こう」くらい。世界的な歴史を鳥瞰したり、作家リストを網羅したものはなかったのだね。現在の事情がどうなっているかは知らないが。