odd_hatchの読書ノート

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小栗虫太郎「潜航艇「鷹の城」」(現代教養文庫) 「本格」探偵小説から別の小説分野の開拓を模索していた時代。法水麟太郎にふさわしい場所はもうない。

 昭和10年代の作品を収録。「本格」探偵小説から別の小説分野の開拓を模索していた時代。ときどき思い出したように法水麟太郎が登場する。でももう彼にふさわしい場所はなくなってしまったみたい。

潜航艇「鷹の城」 1935.04-05 ・・・ 1915年オーストリア海軍(!? まあ当時はオーストリア=ハンガリー二重帝国で黒海アドリア海に面していた)のエッセン大佐は新造船である潜航艇「鷹の城」を操作して、イタリア海軍の追跡を逃れた。以来、北太平洋(なんでまた? 補給基地もないのに。まあ気にしない)で日本の漁船を拿捕する。嵐の中、水中で機関停止。真っ暗な中、船長であるエッセン大佐が死亡。しかも死体が行方不明。乗組員は水分補給のメチルを飲んで盲目になる(奇しくも作者の死因と同じ)。以来17年。エッセン大佐の妻ウルリーケは苦労して潜航艇「鷹の城」を回収し、そこに17年前の関係者を招き、乗船させた。他に載ったのはウルリーケの再婚してできた娘・朝枝ひとり。そのとき、朝枝の持っていたアマリリスの花が変色するという事件が起き、しかもウルリーケの再婚した日本人の夫・八住が刺殺されていた。死後8時間は経過しているというのに、死体を動かすと鮮血がほとばしる。海・船・部屋という三重密室の殺人事件に挑むのはご存じ法水・支倉コンビ。いやな予感がするとおり、法水は事件を複雑怪奇にしてしまう。今回の趣向は、ニーベルンゲンの歌(とくにジークフリート殺しに関係するグンター、ハーゲン、クリームヒルト、ブリュンヒルデの複雑な愛憎関係)と事件との類似。「黒死館殺人事件」がゲーテファウスト」だったのを踏襲したのか。いずれにしても当時読んでいた人はすくなかったろうに。
 15年前の船長の死体消失、同じくシュテッヘ大尉の艦内からの失踪、今回の現夫殺害とそれぞれの密室事件がおきる。前半のもの思わせぶりは「黒死館」を彷彿させる見事な演出だったが、後半に入り、法水が事件に介入してからは叙述が駆け足になり、人物の描写も少なくなっていく。一番の問題は、未亡人ウルリーケの存在感が薄れていくこと。彼女の亡き夫への未練とか現夫への不信とか事件を深くしていく感情が思わせぶりだけになり、結局事件にほとんど関与していないとなると、そこまで読んだ読者は肩透かしに怒るか、ため息をつくか。艦内の死体や人体消失もあっけない解決。もともとの構想は300枚はあったというものを200枚に切りつめられたのが「失敗」の原因か。途中の法水の饒舌は「黒死館」の再来かと期待させたのに、もったいない。

地虫 1937.02 ・・・ 江戸川の中州は放置され貧民窟と化している。そこには数年前の強盗団が壊滅した残党が住み着いている。おりしも嵐のなか、首のない死体が見つかり、また貧民窟で強盗団の妾が殺されていた。当時の検事で、事件を誤ってしまった斬鬼で職を辞し、いまはフーテンのアル中となった中年男が事件に関心を持つ。この退廃した男の寂寥感がリアル。

倶利伽羅信号 1936.11-12 ・・・ 蓮っ葉な娘がある夜、手首に刺青をいれられる。おりしもある殺人事件の犯人が手首に刺青をしていると報道され、自分ではないかと疑う。裏の道を歩くうちに、サーカスにとらわれ、奇形に見世物に。彼女に迫る男が諍いをする中、決死のブランコ曲芸に挑む。娘は危機をどうやって伝えるか(それがタイトルのこと)、そして1年前の事件の真相は。奇形に、曲芸と、当時の悪趣味の総合市だな。女性のナラティブで書かれているけど、あんまりジェンダーを感じない。

人魚謎お岩殺し 1935.08 ・・・ 「ファウスト」「ハムレット」を下敷きにしてきた虫太郎、今度は「四谷怪談」に挑戦。30年余り前に南海の孤島にたどり着いた芸人一行、女の死者を見出し、しかも子供を増やして帰国した。今は一座となって旅から旅への芸人一家。愛憎もつれる中、ある若者は出生に疑惑を持つ。自分は近親相姦の子? 相手は誰? そして一座の座長が失踪し、禁断の「四谷怪談」上演中、二人の役者が舞台で殺される。事件を担当するのは、法水探偵。ああ、とため息をつく間もなく、古文書に歌舞伎のトリビアが語られ、現在と過去の事件は入り乱れる。なにしろ、驚愕の末に死んだのは手鏡の移す影に原因があり、麻薬におぼれる老人はついには血の色を蒼くするのである。なんだかなあ、もう、と読者はため息をつき、「首が飛んでも、動いて見せるわ」と見得を切る法水と虫太郎にあっけにとられるのであった。

一週一夜物語 1938.08 ・・・ 印度・カルカッタを旅行した日本人は現地の人に聞いた話(と称す)。まあ、西洋の奔放な御嬢さんが初心な印度人の前で裸体をさらしたと思いなせえ。


 多くの作品で「父」の存在感と不在がある。強力な父がいろいろ画策して、その意図は読めない。息子娘たちは中途半端な計画に振り回され、しかも自分のアイデンティティまで喪失しそうな事態になる。そこで起こるのは、父への強い憧憬と嫌悪。多くの事件はこんな背景をもっている。ここでも、そのテーマはさまざまに変装されている。解説者は「エディプス・コンプレックス」とまとめていたな。
 そういう読み方をできるのだろうけど、自分はどうも根気が続かず、これはなかなか読み通せなかった。2000年前後から「黒死館殺人事件」以外の小説がいくつか復刻された。そのなかに、選集第4巻に収録されたものは復刻されなかった。それが一般的な評価なのだろうねえ。

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