odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

ジョン・ディクスン・カー「毒のたわむれ」(ハヤカワポケットミステリ) アメリカの幽霊屋敷に起こる怪異と殺人。コンメディア・デ・ラルテの探偵キャラ模索中。

 「蝋人形館の殺人」のあと、ジェフ・マールは小説を書くために、バンコランと別れ、アメリカ、ペンシルバニア州の田舎町を訪れる。そこには開拓時代から続く名家があり、懇意にしていたのだ。その家はすでに築150年(1932年当時)を過ぎていて、古いイギリス風。今から50年前にカリギュラ(ローマ時代の皇帝だけど、自分らの世代ならペントハウスの創業者ボブ・グッチョーネが作ったハードコアポルノで知っているよね。マルカム・マクドウェルにピーター・オトゥールらが出演するという豪華さ。日本公開時はボケボケの加工がなされていたので、ハワイまで無修正版を見に行くツアーがあったとか)の像を購入してから家はおかしくなった。大理石像には片腕がなく、夜な夜な白い手が書斎やホールに出没するという。

ポケミスのナンバーが1600番になった記念の復刻版で、写真のような箱がついていた。)
 さて、当主は老齢のクエイル判事。厳格な親と乳母に育てられ、今でも子供らには厳しい。仕事柄殺人事件に興味をもち、とくに毒殺事件の権威。妻は病弱で、寝室にこもっている。子供らは5人。姉メリイは結婚もしないで両親の面倒を見ていて、次女クラリサは医師ウォルターに嫁ぎ判事の家に同居、三女バージニアはおきゃんな(死語)若い娘。長男マシューは弁護士、二男トムは出来が悪いせいか親と喧嘩して家を飛び出している。
 ジェフが訪れた時、クエイル判事は非常におびえていた。白い手の幽霊に悩まされている。しかも医師ウォルターの管理しているヒョスチンと砒素とモルヒネが盗まれていた。その夜、寝室に入った判事が突然苦しみだし、妻も体調が悪化。医師ウォルターの診断によると、判事はヒョスチン、妻は砒素中毒。いずれもどうにか一命は取り留めた。地元の警察管サージャントと検視官の捜査が始まるが、どうにも進まない。というのも、家族はそれぞれ、自分以外の者が犯人だと訴え、しかし犯行方法と同機が判然としないのだ。そのうえ、医師ウォルターもヒョスチンで毒殺され、その死の直前には不気味な笑い声が屋敷中に響く。夫の死に動転したクラリサは酒におぼれ、地下室に酒を取りに行ったところを潜んでいた何者かに斧で頭をたたき割られる。そこからは茫然自失の判事が上着を血まみれにして現れるのだった。
 というわけで、物語は古い幽霊屋敷の怪異譚のように進む。語り手ジェフはこのころにはおどろおどろしい文体を卒業し、もっと平易なジャーナリズムのものになっていた。なので、怪異と恐怖がこちらに伝わりにくい。そのうえ自意識過剰の若者の観察はもればかりのうえ、予断を交えているのでどうにも信頼しがたい。竹本健治「凶区の爪」とか倉地淳「星降り山荘の殺人」を参照。
 一方、新規に登場する探偵役はパット・ロシターという高等遊民バージニアの婚約者なので、ここに登場。解説の村崎敏郎はロシターをチェスタトンのブラウン神父に例えているが、それをいうなら「詩人と狂人たち」のゲイルだな。いきなり屋根に上って屋根裏部屋に侵入するわ、関係者に絵をかけと強要するわ、奇妙なパラドックスをしゃべりだすわ、と風貌と行動がゲイルににている。まあ、アクションのできるスタンダップコメディアンという具合か。たぶん、作者はいままでの怪談風探偵小説に行き詰まりを感じて、笑いを盛り込もうとしたのだろう。あいにく、探偵は最後に真実を喋らねばならず、関係者を傷つけることを覚悟するものだが、ロシターはそれを背負うまでには至らない。なので、この一作で退場。道徳とか倫理とかを笑い飛ばし、わしは無関係とうそぶく不遜な探偵を創造することになる。それがフェル博士にメルヴェル卿。ロシターの苦悩は後期クイーンのそれにかぶるので、戦後に登場させてみてもよかったのではないかな(「皇帝の嗅ぎ煙草入れ」「貴婦人として死す」などの探偵になってもらえばよい)
 なお、犯罪そのものはシンプルで偶然を頼ったもので、意外な犯人のほかはまあ見るものはないな。その代わり、様々な小ネタ(とくにクエイル判事とロシターの奇妙な行動)が論理的合理的な理由を持っていたという回収は丁寧で見事。ここは名工の技をみているよう。