odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

宮田光雄「キリスト教と笑い」(岩波新書) カール・バルトはゲシュタポに捕らえられたとき「塔の中の囚人の歌」を歌った。

 1992年5月に書いた感想文。

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 宮田光雄「キリスト教と笑い」(岩波新書)を読んでいたところ、次のような一節をみつけました。今回はカール・バルト(1886〜1968)の話です。
 1935年、ヒトラー政権下のドイツで神学者のバルトはヒトラー式敬礼とヒトラーへの無条件服従への宣誓をしなかったのでボン大学を終われ、さらにはゲシュタポに連行されスイスへ追放されることになりました。

 「しかし、バルトは少しも急ごうとはせず、近くの友人宅で、まず食事をとってからにしたいと申し出た。友人の家では、彼は夕食を取る代わりにピアノの前に座り、同伴のゲシュタポの役人の前で大声で歌った。
 『人々が私を暗黒の/牢獄に閉じ込めたところで/それは、まったくむだなことだ。
 なぜなら、私の思想は/格子も壁も/やすやすとブチ敗ってしまうのだから。/胸
 に抱く思想は自由なのだ』と。
 (中略)ちなみにバルトの歌ったのは「塔の中の囚人の歌」と題されて、アルニム=ブレンターノの編集した有名な民謡集『少年の魔法の角笛』の中に収録されているものである。おそらく政治犯の囚人の思いを歌ったスイス起源の歌だといわれている。(191〜92ページ)」

 「少年の魔法の角笛」からは我々はすぐに有名なマーラーの歌曲集を思い出します。マーラーの「子供の魔法の角笛」(一般の曲名からこのように表記します)を見ると、彼は「塔の中の囚人の歌」を作曲しています。カール・バルトがこのときマーラー作曲による「塔の中の囚人の歌」を歌ったのかというクラシック・ファンとしての疑問が湧き起こりました。大急ぎで、セル指揮LSO、シュバルツコップフ、フィッシャーディスカウのCDを聴きましたが、これがなかなかの難曲で素人にたやすく歌える歌曲には思えません。バルトはモーツァルトに関する論文または講演を行うほど(「モーツァルト新教出版社)」)音楽に造詣の深い人ではありましたが、アドルノのように専門的な教育を受けたということは寡聞にしてしりません。マーラーのこの歌曲は風刺と諧謔のある曲で、この場面で歌われるにふさわしい(あるいは少しきつすぎてゲシュタポの役人は怒りを覚えるかもしれませんが)と思います。とはいえ、ここではバルトは民謡として流布していた「塔の中の囚人の歌」を歌ったと考えるのが自然でしょう。上記も別の本の引用と思われますので、はっきりしたことはわかりません。
(識者の指摘によると、引用された歌詞は、マーラーの「塔の中の囚人の歌」とは一致せず、民謡の「塔の中の囚人の歌」と一致するとのこと。おれのは思い込みで、間違いでした)
 ともあれ、1805年に刊行された「子供の魔法の角笛」がドイツ(という国家は19世紀には存在していなかったので、ゲルマン地方とでもいえばいいのでしょうか)の民衆に広範に流布していたことを明らかにする挿話だと思います。バルトにとっては相当に危機的な状況でこのような体制批判の歌が歌えることは、バルトの強靭な精神をうかがわせることではありますし、またドイツの民衆でこのような歌が歌われ続けてきたことも注目に値することでしょう(ではなぜナチスの政権が生まれたのかという疑問も生じますが)。さらに若いマーラーが数百の「子供の魔法の角笛」中の民謡から「塔の中の囚人の歌」を選択したということも考慮に値することではないでしょうか。ユダヤ人であり、ボヘミアの辺境の生まれであったことを生涯意識していたマーラーアウトサイダーである自分を勇気づけるためにこの民謡を選んだのではないでしょうか。
 以上はクラシック音楽ファンからのいわば強引な読み方で、本書の主題は文中に引用されているバルトのことばを使えば「力強く、落ち着いて、朗らかに」人生をいきるための知恵をキリスト教のユーモアから考えようというものです。私は信仰をもたないものですが、たいへん啓発されました。


 マーラーの作曲した「塔の中の囚人の歌」

 ドイツ民謡の「塔の中の囚人の歌」はみつけられず。もしかしたら「思うのは自由だ」かもしれないが、下記CDを持っていないので未確認。


 上記を書いたときは思い至らなかったが、19世紀後半からのドイツ学生運動では民謡の合唱が盛んに行われた。マーラーやバルトが民謡にひかれた背景にはこの運動があるかもしれない。彼らの時代のドイツの学生運動は下記が参考になる。
2013/11/07 上山安敏「世紀末ドイツの若者」(講談社学術文庫)


 ブレンターノの小説が翻訳されている。こんな話。

生きものを憐れみ,神を信じることの篤いゴッケル老人.その彼が,魔法の指輪の力で妻や娘とともに栄枯盛衰,貴族から乞食まで,さまざまな境涯を経験し,次々と奇想天外な事件に巻きこまれる.ドイツ・ロマン派の詩人ブレンターノ(一七七八‐一八四二)が,美しい森を背景に詩情豊かに物語るファンタスティックな長篇童話.
岩波書店

 ずいぶん昔に読んだので、そうだったのかどうかも思い出せないや。