odd_hatchの読書ノート

エントリーは3200を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2024/11/5

国枝史郎「ベストセレクション」(学研M文庫)「レモンの花の咲く丘へ」「大鵬のゆくえ」  日本のロマン主義者は、世界変革を志さず、運命や業に逆らわない徹底的な宿命論をとる。

 本書には「八ケ岳の魔人」が収録されているが、別エントリーにした。なお、文庫はすでに処分してしまったので、今回は青空文庫で読み直した。

妖虫奇譚高島異誌 ・・・ 青空文庫にないので割愛。

弓道中祖伝 1932 ・・・ 時は応仁の乱の直後。荒れた京の都で宿を探す若い武士ひとり。誰もいない屋敷で弓を射る音がする。武士がほれぼれとみるところに、姫と奥義書を要求する悪党が押し掛けてきた。幽霊譚か因果物語になりそうなところを直球の名人伝とする。

日置(へき)流系図 ・・・ その武具店には毎日老武士が弦と矢を買いに来る。追いかけると商店のあるはずのところに武家屋敷。入ると怪異が起きて追い返される。ある若い猟師が退治しようといってきた・・・ それこそ日本霊異記にもでてきそうな古風な怪異譚。最後に謎がすべて明かされるが、ハーンが日本の怪談を批判するように説明しすぎ。

大鵬のゆくえ 1925 ・・・ 平安の昔、盗賊が財宝を隠し、六歌仙の絵と暗号を残した。以来、800年経過。江戸の悪党どもが6つの分かれた絵を探している。たまたま数枚の絵を持っている家の隣にすむ紋次郎は悪党の後を追うことになった。その際、将軍の指示で大鵬を吹矢で射落とした。その翌日、似た傷をもつやんごとない方を治療することになる。紋次郎は大鵬の行方を探るために、旅装を整えて後を追うことにした。せっかく二つの大きな謎が出てくるのに、作者の筆は細部を穿つことに気をかまけ、謎解きはすっかり後回しになってしまった。なので、6枚の絵を集めるまでの経緯は全く書かれず、財宝の暗号は簡単に解け(読者への情報は少ないので当てるのは不可能)、大鵬の正体も肩透かしを食らうことになる。国枝史郎が探偵小説史に登場しないのはこういうところ。暗号を解くのに数人で首をひねるシーンがあれば、小栗虫太郎に並ぶことができたのに。一方、伝奇小説からすると、悪党の描写が少なく、主人公に危機が訪れないので、共感しにくい。

レモンの花の咲く丘へ ・・・ 以下の3編からなる。1910年刊行。著者は1887年生まれなので、史郎23歳の時の作。

序に代うるの詩二編: ウルトラロマンティックな詩。

死に行く人魚: 西洋中世のいずこかの城。領主は死んだ妻を偲んで音楽祭を開き、優勝者に女子を報償すると約束した。あまたの楽士の中から立ったのは領主の息子・公子と、白髪の音楽家。亡くなった前妻(公子の母)は、紫の袍を着て桂の冠をかむり銀の竪琴を持っている騎士と不倫をして「死にゆく人魚の歌」を作り、横死した。前妻そっくりの女子は公子に惹かれつつも、前妻と同じ呪いをかけられているのではないかと恐れる。白髪の音楽家は「暗と血薔薇」を奏で、女子の不安を募らせる。音楽祭の夜、白髪の音楽家は。紫の袍を着て桂の冠をかむり銀の竪琴を持っている騎士姿となって、公子が歌うはずの「死にゆく人魚の歌」を盗み歌う。その音楽に惑わされた楽士たちは抗議する公子を囲んで罵り離れると、公子は死んでいた。白髪の音楽家は自分こそ「Fなる魔法使い」と名乗り、女子を連れ去ろうとする。そこに公子の葬列が到着する・・・。ワーグナーのモチーフがごっちゃに入り混じる。思いつくだけでも「タンホイザー」「マイスタージンガー」「パルジファル」の交響が聞こえるよう。直接国枝がワーグナーに至ったのではなく、北原白秋邪宗門」1909年の中世趣味を経由しているのではないか。たとえばここから衣笠貞之助「狂つた一頁」までの距離は遠くない。

その日のために: 城に閉じ込められて機織りをしている女子。三色の糸が絶えるまではここにいなければならない。一方いつか墓場の塔に行くことを恐れている。最初の糸が絶えた時、幼少期に分かれた少年ヨハナーンが突然訪れ、節しか知らない「その日のために」の歌詞を教えてくれという。その歌は母が死んだときに作ったもの。それを知った時、悪いことが起き、ずっと寂しい悲しいことが続くという。どうやって来たのかというと大きくて怖い人が案内したのだという。女子のところに来るには三つの開かずの門を通らなければならないが、やすやすと通ってしまった。女子はその時が来たのか、と絶望する・・・。こちらではリヒャルト・シュトラウスサロメ」とバルトーク青髭げ公の城」の響きが聞こえる(バルトークは1918年初演)。ドイツやその周辺国の中世趣味が遠く、しかし時期をほぼたがえずに日本でも響いたのだねえ。ラストシーンの水門とそこを行き来する小舟は「神州纐纈城」でより凄愴なシーンとなって再現される。
 衣装はどことも知れぬ西洋中世。出てくる人々は運命や業に逆らわない。徹底的な宿命論。ドイツのロマン主義は芸術が世界の問題を解決する(ないし端緒になる)が、こちらでは嘆きと諦めを飾るもの。ドイツのロマン主義は政治的で世界の変革をめざしていたが、日本のロマン主義は諦念と個への閉じこもりを欲するもの。そういう違いがよくあらわれた作品。
 「死に行く人魚」に出てくる「死にゆく人魚の歌」は短ホ調、「暗と血薔薇」は嬰短ヘ調(当時の表記はこうだった?)。ホ短調の曲はチャイコフスキー交響曲第5番ドヴォルザーク「新世界から」、ショパンのピアノ協奏曲第1番、メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲等の有名曲がずらり。嬰ヘ短調マーラー交響曲第5番ラフマニノフのピアノ協奏曲第1番、ショパンポロネーズ第5番など。当時は調の意味するものが区別されていた。アラン「音楽家訪問」(岩波文庫)など。そこを調べると、国枝の抗争した暗と瞑の対立するものがイメージできるかもしれない。国枝の牽強付会にさらに屋上屋を重ねてどうすんの、とは思う(素人だから間違えそうなのでやらない)。

 

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<参考ツイート>

独文科の1年生だった時に教授(日本ゲーテ学会会長)に「ドイツ語詩にレモンとかオレンジとかの柑橘類が登場したらそれは手の届かない遠い遠い南国を指している(それも悩みも苦しみもない平和な国というイマジナリー南国)と思え」と教わった。
※ドイツ語圏に柑橘類はほぼ生らない

https://twitter.com/hugo2249/status/1467382837431402501