odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

都筑道夫「苦くて甘い心臓」(角川文庫)

 私立探偵・西連寺剛を主人公とするシリーズ第四作。1981年刊行。個々の作品がいつの発表かは書いていない。

苦くて甘い心臓 ・・・ 父違いの弟が「殺してやる」と言い捨てて出ていったきりもう3日、というので探してくれと、若い女に依頼される。教えられたアパートに行くと、弟はだらしなく寝ていて、ふすまを開けると、隣室の女が裸で殺されていた。とりあえず姉に相談することにして、部屋を出、戻ってみるともう死体はない。姉弟に迷惑をかけずに問題を解決するにはどうすればよいか。ページが足りないので、謎はシンプル。そのぶん、心のすれ違いが重苦しいね。あと、この回から西連寺の料金が1日1万円から2万円に増額。インフレ進行中の時代でした。

天竺ねずみ ・・・ 高校を卒業したばかりの孫娘が家出したので探してほしいと、老人に頼まれる。友人関係を調査したが、誰も知らない。年上の女性がsexの相談にのっていたところから、何が起きたのかをイメージすることができた。天竺ねずみはモルモットの古名。20万円くらいの金とペットのモルモットを持ち出しているところが解決のカギになった。このあたりから、西連寺は世代間ギャップの問題に直面するようになる。親は子を理解できず、子は親を無視する。祖父祖母は孫の相談相手になれるが、孫の親には疎んじられる。互いが互いの情報を持たないから、調査がまどろっこしくなっていく。

黒南風(くろはえ)の坂 ・・・ 黒南風(くろはえ)は梅雨のころに吹く南の風とのこと。夫の経営する店を代わりにきりもりしたらうまくいったが、用のなくなった旦那が家にいつかないので、調べてほしいと言われた。一週間の備考の後、なにもなく、そのまま報告した。それでお終いになるはずが、2週間ほどして妻が殺された。通夜に行くと、尾行していた夫が話をしたいと事務所に来た。「自分のいる場所は個々ではない」という思いで焦っているものの、不運続きでしかもあきっぽい中年男の愚痴が続く。事件の真相は読者が決めることになるので、主題はこの中年男の奇妙な独白をどうとらえるか。無責任で甘えてばかりの子供のたわごととみるか、挫折して屈折した男の真実の吐露とみるか。

人形の身代金 ・・・ 30代の人気作詞家の女性から普蘭西(指定通りの表記)人形を盗まれ、身代金を要求された。代わりにいって回収と脅迫者を見つけてほしいとの依頼。受け渡し場所は吉原公園。午前0時にいくと、相手は絞殺されていた。翌日、女から事件のことを警察に伝えないでほしければ同額の金を払えとの電話。事件はシンプルそのもの。「黒南風の坂」と同様、優れた女に囲われて屈辱を感じる男の妄執。こちらでは同棲相手が語るが、男の孤独が身に沁みる。

見えない猫 ・・・ 妻が帰ってこないので見つけてほしいと依頼される。古い付き合いの友人はなくて、このところ通うことになった文芸サロンの仲間に話を聞きに行く。最初の男は東京大学近辺の廃屋然とした長屋住まい。いい加減な情報を教えて、再び戻ると殺されていた。クライアントにこのあとの方針を相談すると妻は帰宅している。釈然としないが、翌日妻は探偵事務所に来て、犯人をしっているからボディガードになれと言い出した。殺された男は、妻の不倫を小説に書いて夫に送った前歴があるという。タイトルは、被害者の住む廃屋の階段が古くて、足をかけると猫の鳴き声のようなきしり音がするから。


 舞台は、新宿、新大久保、池袋、大塚あたり。明治通りをしょっちゅう行き来する。このあたりには土地勘があるので、風景を思い出して楽しかった。自分の知っている2000年前後と、小説の1980年前後で変わっているところと変わっていないところがあって、そこも楽しい。
 最後の短編にあるように、「依頼人の多くは、私立探偵を精神分析医とまちがえているようだ(P224)」という具合に、みんな探偵には饒舌。きっと、彼らの話を聞く人は生活にはいないのだろう。鬱屈を心にため込んで、吐き出せないまま溜まり、人間関係がおかしくなって人が消えてからようやく噴出する。犯人は行動で、依頼人は言葉で。その言葉を吐き出したあとに、依頼人はふたたび都市の群衆にもどる。探偵はそれを聴くだけ。探偵に話せるのは、その職業倫理もあるけど、同時に探偵の心の鬱屈が依頼人に劣らず深いものなので、受け入れる余地があるからだろうな。