都内の中堅広告代理店でマネージャーになった山倉史郎。その息子が誘拐された。しかし実際に誘拐されたのは息子の同級生。身代金を要求されたので、警察が代理になることを断り、自分で行くことにする。調布から八王子の周辺をあちこち行き来したあとに受け渡しの場になった公園で足を滑らせてしまう。その結果、指定時間までに身代金を渡すことができず、身代わりの子供が死体になって発見された。奇妙なことに亡くなったのは、受け渡しの指定電話がかかってくる前。警察から容疑者の自動車の車種を聞いたとき、山倉はある男を思い出す。その男にはアリバイがあった。名探偵・法月綸太郎と終日談論していたのだった。男を問いつめようとしてマンションを訪れた時、山倉は殴られて失神。目覚めたとき、男は密室で殺されていた。
このような事件が進展する一方で、山倉の周辺たちの複雑な関係が明らかになる。山倉の妻は、広告代理店の創業者。そのもう一人の娘が、容疑があると思った男と結婚し、妊娠していた。出産時に娘は死亡。残った息子を山倉夫婦は養子に引き取り、家族に向かえていた。山倉の妻も妊娠したが流産。そして子供を産めなくなってしまう。山倉が看病していたときに、ある女と不倫関係になり、妊娠させてしまった。そして生まれた子供が誤認誘拐された子供なのである。山倉からすると、「誤認」こそが誤認であり、自分の子供が誘拐されたことに他ならない。
とても小さな集まりで、濃密な関係になっていて、それに縛られていながら、互いに知らんふりをしている。このように思えるのは、読者が読むのが事件の渦中にいる山倉という男の手記であるから。すなわち、現在の誘拐事件と殺人事件、過去の不倫と家族の組み換えに最も関与しているのが山倉という男。その男の見聞きしたことと感想が書かれたテキストを通して事件をみることになり、この男の反省と自己嫌悪、そして衝動的な行動が事件を錯綜させていくのだ。
とはいえ、平成の頭(1991年)に書かれた小説に描かれる男の肖像は、自己中心的でミソジニーをたぶんに持っている。過去と現在のできごとに責任を持とうとする態度は男の側からすると潔いかにみえながら、実際は女や子供を手段として扱っている。なので、かつての初読のときは血縁のない子供を息子であると認めることに感心したが、21世紀になるとちょっとね。それに自信過剰で封建的な義父(広告代理店の創業社長)の振る舞いは全く日本的でなく、アメリカの家父長をコピーしたようで、鼻知らむ。まあ、著者26歳の作というから、ロス・マクドナルドをよく日本に移植したのだということにしようか。(文庫のあとがきでは、「ポスト黄金時代の本格ミステリの傑作を引用/再解釈」したとうことだが、そのタイトルは秘密の日記に。このブログで紹介済。もう一つ、クイーンの長編も引用されている。)
ここまでは異常に厳しい評価であるが、それは自分の中の期待が大きいからで、初出時のころの「新本格」のあまたいる書き手の中では抜群に文章がうまく、会話がなめらかで、心理も情景描写も秀で、なにより構成の妙に感心してきた。なので、20年以上をたっての再読では、ちょっとした瑕疵が目に付いてしまった。
小説の背景はバブルからその直後(執筆時期とほぼ重なる)。なので、ガジェットが21世紀と異なる。携帯電話はなく(爆発的な普及は1995年から)、パソコンのかわりにワープロを使い、ネットもないしパソコン通信も知られていない。誘拐もので身代金受け渡しに携帯電話を使わないのは、21世紀にはあり得ないが、この小説のトリックはそれがなくても成り立つ。なので、小説はまだ賞味期限を迎えていない。代わりに上の点が古びてしまった。当時は問題にならなかったことが、21世紀では瑕疵になってしまう。)
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