odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

都筑道夫「雪崩連太郎幻視行」(集英社文庫)

 雪崩連太郎は旅行雑誌に主に怪奇譚を発表しているルポライター。1970年代に反知性・反理性のムーブメントがあって、オカルトがずいぶん流行った。映画「エクソシスト」とかユリ・ゲラーとかスプーン曲げ少年など。そういう傾向が旅行雑誌にも反映したので、オカルトや怪奇の話が載るようになったという設定。この一見頼りなさげなルポライター、行く先々でさまざまな怪奇な因縁話にぶち当たる。いやいやながらの探偵も時に勤めなければならない。

人形責め ・・・ 旧家のからくり人形には製作者の職人の怨念がたたるという話があった。当代の所有者は、夫を最近亡くしたばかりの未亡人。以前彼女に求婚して振られた男が、雪崩を誘ってからくり人形のしまわれる蔵を開けさせる。男は、未亡人に未練を残していて、どうにか気を引きたいというのだ。夫が死んだときにいっしょにあったからくり人形を見せてもらう。本当に祟りがあったともいえるし、振られた男は昔の怪奇譚にとらわれた妄執があるともいえるし、未亡人の人形愛が怪奇を現出したともいえるし。

背中の蝶 ・・・ 取材先のスナックの女の背には蝶に似たあざがあった。同行者は同じ町のトルコ風呂(ママ)にも、蝶に似たあざを持つ女がいるという。雪崩は二人のあざを実際に見て、興味をもった。炎の中で、幻の技術が一瞬浮かび上がり、消えていく。

白蝋牡丹 ・・・ 男と女の顔を持つミイラがあるという寺には、娘が25歳になると消えるという言い伝えがあった。それを気にする住職の娘といとこ。雪崩の提案で誕生日は東京で過ごすことにしたのだが。最後に起きたのは、見た目の通りの心中なのか、言い伝え通りの祟りが起きたのか、住職らによる事件であったのか、祟りのもととされる人形の仕業なのか。

花十字架(くるす) ・・・ 八幡の藪知らずで一年前に子供が死ぬ事故があった。その一周忌に雪崩は、子供の母とその藪に向かう。藪知らずの森は土地の人に恐れられていて、深いもない森に入る人は少ない。十分な装備をして侵入しても、雪崩たちは道に迷う。まるで森が動いているかのように。その最深の森で、彼らは祭壇と熊のぬいぐるみを見つける。とてもすっきりしたモダン・ホラー。子供、秘密の祭儀で笠井潔「黄昏の館」の先駆作。

比翼の鳥 ・・・ 昭和一桁のころ、若い天才的な彫刻家が比翼の鳥一対の木彫りをつくった。その彫刻家は、恋人の結婚のときに五重塔で首吊自殺。それ以来、比翼の鳥は悪運を招くという評判になり、別々の家で保管されることになった。それから40年、彫刻を持つ家同士で結婚があり、比翼の鳥が集まることになる。それを恐れて雪崩に調査が依頼される。結婚することになっているお嬢さんの心がこの噂に囚われているのだが、その心情は昭和でないとわかりにくいだろうな。こういう形でしか、女は主張できないというところが。

和歌礼櫛 ・・・ 江戸時代の櫛を身に充てると不幸が訪れるという話がある。それを見に行くと、当主の娘が「姉が去年自殺したのは櫛のせい、それは旅館の主人が姉を強姦したからと日記に書いてある、だから復讐したい」といいだした。翌日、旅館に行って奥さんに櫛を使わせ、姉の自殺のことをほのめかす。主人は狼狽し、三人で崖に出向いて話をすることになった。櫛の言い伝えに囚われていたのは、自殺した姉か、それともこの娘か。


 小説を読んでいるという充実した時間を過ごせた。

「カウンターのなかには、髪の長い若い女がいて、コーヒーを入れていた。私は食いもの、飲みものについては、ぜんぜん女性を信用しないほうだが、この化粧つけのない娘の入れたコーヒーは、おいしかった。(P11)」

「和服がよく似あう、というだけではなく、無表情のようでいて、気のくばりの察しられる落着いた目鼻立ちといい、半日でもすわっていられそうな物腰といい、寿子は現代の女ではなかった。(P15)」

 適当に引用してみたが、この80字ほどのわずかな文章で、それぞれの女が過去何をしてきたか、どういう感情をもっているか、どういう表情で語り手をみているかがすぐさま髣髴する。ひるがえって語り手のもののみかたの保守性も浮かび上がる。それが作品の奥行をもたらす。描写というのはこういうことだ。
 この短編集は、探偵小説と怪奇小説アマルガム。特徴的なのは、ものが主題であること。荒俣宏博物学や産業考古学に関連していっているが、日常用品は使われて古びると捨てられてしまうが、蔵に閉じ込められて長い時間がたつと者が主張してくる、そのときものは(憑くも)神になるのだ。そのような古びた昔の物がでてくる。作者がそのような物を記述するときも喜びと驚きを持っているのが手に取るよう。

「匂うような曙染の振袖をきて、金欄の袴をはいた人形は、ゆっくり首をめぐらして、私たちのほうを見た。その美しい顔の額から顎へ、見るもむざんな傷が走っていた。しかし、その傷さえも、妙になまめかしく見えるのだった。(P41)」

「黒漆のつやの美しい箱のなかは、大小いくつもの区画にわかれていて、それぞれに蒔絵の櫛がおさまっていた。とき櫛、すき櫛、髪かき、毛すじ立て、さし櫛、そのほか私には呼び名のわからない大小の櫛。小倉百人一首の読象札、取り札が、そのどれにも.美しく蒔絵してある。(P221)」

 時間がたった物はそれ自身が神になるというのだが、小説では文章が物を憑くも神に変えることができる。正確な描写、巧みな比喩、リズミカルな文章、適切な語彙の選択、エロティックな感覚。これらに支えられて、作者の小説ではありふれたものが実在感あるものに変わる。読者の周囲が文章によってフェティシズムの空間に変わり、読者はその中で物を愛でる。
 これが描写というものだよな。読者に想像させる力だよな。こういう文体と比喩をもっている作家、とりわけエンターテイメント小説の作家は極めて珍しい。自分が作者を珍重する理由の一つはそれ。

    


2015/06/05 都筑道夫「雪崩連太郎怨霊行」(集英社文庫)