odd_hatchの読書ノート

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M.R.ジェイムズ「短編集」(創元推理文庫)-2 「ハンフリーズ氏とその遺産」。20世紀にゴシック小説をかけたのは流行を無視できるアマチュア作家だったから。

2024/01/12 M.R.ジェイムズ「短編集」(創元推理文庫)-1 「消えた心臓」「銅版画」「秦皮(とねりこ)の木」「十三号室」 の続き

 

 ジェイムズの短編のサマリーで何度もディクスン・カーの名前をだしているが、カーの作品(ことに1930年代)はM・R・ジェイムズの短編を探偵小説仕立てにしたように思った。序盤に不可解な出来事がおこり、それを好古家が調査する。ときに友人がしゃしゃりでて、二人のジェントルマンシップが事態を鎮静化し、合理的な説明を見つけていく。カーは心霊現象がないという立場だから不可解な出来事は科学的に説明がつくのだが、ジェイムズは心霊現象はある(という世界を仮構する)という立場なので不可解な出来事はオカルト風の説明になる。でも重要なのは、因果がつくことなのだ。そこはラフカディオ・ハーンが怪談を書くときの立場ややり方と同じ。たぶん当時の英国怪奇文学のルールに則ったもの。

ハンフリーズ氏とその遺産 ・・・ 高等遊民のハンフリーズ青年はあったことがない伯父から遺産として家をもらい受けた。そこには封鎖された迷路があり、開けると簡単に中央部に行けた。しかし翌日招いた人と一緒に行こうとすると、どうしてもたどりつけない。それに家の古文書には、迷路に入って呪い殺されたらしい先祖がいたと書いてある。迷路の図面を作ると、さらに怪異が・・・。ここからカーは「曲った蝶番」を構想したのだ(嘘)。18世紀に流行った迷路庭園も20世紀初頭には撤去されるようになったのだね。管理が面倒で、貴族も貧乏になってきていたし。地図にできた穴の描写は相対性理論(の通俗解釈)の影響がありそう。

ウィットミンスター寺院の僧房 ・・・ この寺院に起きた奇譚。1730年代にアイルランドから子爵の男の子がやってくる。暫くしてお付きの子供が死ぬ。子爵の男の子は秘密めかしているが何かの秘儀をやった模様。その直後にこの子も死ぬ。それから百年。開かずの間だった子爵の男の子の部屋を使うと、葉蜂が下男下女を襲い、小箪笥の中で何か蠢いている。下女は板(タブレット)に昔の映像を見る。それを聞いた現在の主人は部屋を調査することにする。そこには屋敷の中にある古い子供の墓のことを書いてある古文書があった・・・。イギリスは宗教改革で国教会ができ、アイルランドカソリック。なので英国人から見ると、アイルランドは異教の土地であり、ケルト文明の古代宗教の土地。蠢く葉蜂をおれはハンド・オブ・グローリーかと思ったくらいに、異郷の異教徒がもたらしたのはアンチキリストの魔術なのであった。前半は「悪を呼ぶ少年」「オーメン」の原型のよう。語り口が迂遠なので(実体験を実況するのではなく、古文書を転写する)、恐怖を感じはしないのだが、古文学者には間接的な語りの方が恐怖を呼ぶのだろう。

寺院史夜話 ・・・ ある好古家がサウスミンスター寺院の古老に聞いた話。1860年代に寺院の司祭が内部を改修すると言い出した。みな反対したが工事が進むと、寺院の周辺では奇怪な出来事が頻発する。祭壇の下にある墓碑の工事はとりわけ手間取った。あるものは毛むくじゃらで真っ黒で足が二本で目が赤いものを見たという(どれも悪魔の特長)・・・。怪談はここで終わるが、モダンホラーはこれをプロローグにして大長編にするのだ(マキャモン「アッシャー家の弔鐘」ブラッティ「エクソシスト」など)。

呪われた人形の家 ・・・ ある好古家がドール・ハウスを購入した。自室に展示すると、深夜1時になると、月の明かりが人形の家に指し、人形たちがパントマイムを演じる。どうやら過去の惨劇を再現しているらしい・・・。このあとの来歴調査は不要だし、落ちは途中にでてきた骨董店主の述懐の方がいいんじゃない。
〈参考〉 都筑道夫「怪談ショートショート 人形の家」 
2014/03/28 都筑道夫「はだか川心中」(剄文社文庫)

猟奇への戒め ・・・ 古い王冠を発掘したがその時から誰かがつけてくると恐ろしがっている青年がいる。彼の頼みで、王冠を見つけた場所に埋め戻すのを見届けたが・・・。ジェイムズの怪談では過去に人が殺された話をするが、現在の事件の当事者が死ぬことはめったにない。そのめったにないのがでてきた例。そのせいか、この短編集では珍しく後味が悪い。英国の怪奇小説はジェントルマンの慎みを持つことが大事。

一夕(いちゆう)の団欒 ・・・ 夜いつまでも起きている子供たちを寝かしつけるために、お婆さんが近くの黒イチゴを盗んでいる子供らをちょっと懲らしめようと、怪談を話して聞かせる。水木しげるののんのんばあは世界各地にいるのだなあ。あと蠅の王(ベルゼブル)が登場。

 以下3編は小品。
ある男がお墓のそばに住んでいました ・・・ シェイクスピアの「冬物語」は、タイトルから始まる話をしようとしたところで中断されてしまう。そこでキャラはどういう話をしただろうと、想像を広げる。舞台で行われる怪談なので、落語と同様に仕草落ちになった。

鼠 ・・・ ベッドの布団がもぞもぞしていたらそれは鼠のせい? いわれのありそうな遺跡の近くで宿を取った。深夜、隣の部屋を覗くと、人が寝ているベッドがもぞもぞ動いている。客は「私」一人で、宿の人は別棟にいるというのに・・・。なかなか宿の主人に尋ねない奥ゆかしさ(まあ追い出されたら行く先がなくなるからだけど)が真相究明を遅らせ、「私」を深く悶々とさせる。

公園夜景 ・・・ 夜半に公園を歩いていたら、フクロウが口をきいてきた。何かに怯えていて、すぐに森に返してくれという・・・。逢魔が時の幻想譚。エドガー・A・ポー「大鴉」のパロディかな。あと晩鐘を「カーフュー」というのを初めて知った。1950年代、マジソン・スクエア・ガーデンでは夜11時に興行終了、進行中のプロレスは試合もそこで中止というルールがあり、それを「カーフュー」と言っていた。そのもとの言葉がようやくわかった。

 

 ジェイムズの活躍期は短編探偵小説黄金期と一致する。どの短編でも発端の謎-中盤のサスペンス-因果の解明という形式をもっている。怪談で因果を説明するのはときに興覚めになることもあるが、合理的論理的な説明をつけずにはおかないのは英国の思想や精神の伝統なのだろう。ジェイムズは心霊現象や超常現象、宗教の悪があるという世界観で因果をつけるのだが、チェスタトンになると似たような怪談があっても、それは科学的心理学的な説明をつける。神や悪魔、幽霊がなくても奇怪な出来事は説明ができ、むしろ宗教的な立場ではそのほうが教義に照らして正しいのだ。神の威光はそう簡単には顕現することはなく、そう見えるのは誰かの悪意の表れか、目撃者の心理が捏造したものなのである。その立場を継承したのがカーであるとすると、江戸川乱歩は「カー問答」でチェスタトン-カーの系譜を見出したが、そこにM・R・ジェイムズ(に限らず英国怪奇作たち)も加えることができるのではないか。怪奇小説と探偵小説の距離はそんなに遠くなく、合理主義の貫徹というところでは、幻想小説とはかなりはっきりした線を引くことができそうだ。
 怪奇小説と探偵小説の親近性はこのエントリーを参考。自分が忘れていたのは、謎が解ける喜びがあるということ。因果の説明がつくことで、読者は喜びと安心を持てるのだね。それがジャンル小説を求める理由なのだろう。
ボワロ&ナルスジャック「探偵小説」(文庫クセジュ

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 そのかわり、ジェイムズの小説は近代の枠から抜けられない。それはなぜ自分は恐怖を感じるのか、他の人が平静なのは自分だけがおかしいのではないかという自我の不安、主体の崩壊感覚がないため。恐怖の源は自分の外にあるものなので、理性を使うことで撃退できると考えているのだ。この自我や主体の堅固さはどこに由来するのか。これはもう当時の英国上流階級が盤石であったから、としか言いようがない。日の沈む所はないというほどの海外植民地をもって、国際経済を中心であった。男優位の社会は崩れようがなく、女子供、エスニックマイノリティを無視することができた。誰からも攻撃されることがないマジョリティは自身に満ち溢れていた。実際、ジェイムズの怪談では語り手が危害を受けることはない。社会状況がそのまま小説に反映している。
モダンホラーになると、主人公は下層階級や精神疾患を持っていて自分の立場や内面に不安があり自信を喪失した人たちになる。彼らを襲う怪異は外からのものだが、襲われるのは自分に責任があるかもしれないと自分を攻撃せずにいられない。それが恐怖をいや増す。)

 翻訳は紀田順一郎。英文学の泰斗であって、文体は1910~30年代の日本文学に近しいものにする。芸が細かい。注釈が丁寧に付けられている。今ではまず読むことができない19世紀以前の書籍情報、英国の古い建物、言葉の端々にでてくる古事名句の出典などが記される。英国の読者はこれらのうんちくを楽しむ。まことに英国の19世紀の怪談はディレッタントが楽しむためのものだった。この国の読者はそこまで「常識」を共有していないので、このくらいの便宜を図らないといけない。
(なので、この短編集は一気読みをしないように。一日一話にとどめ、十分な時間と心のゆとりを用意してから読むようにしよう。短期間で読んでしまうと、「消えた心臓」「銅版画」「秦皮(とねりこ)の木」「十三号室」「ハンフリーズ氏とその遺産」くらいしか記憶に残らない寂しい読書になってしまう。)

 

M.R.ジェイムズ「短編集」(創元推理文庫

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