パリの原子力関連施設で殺人事件が起きた。調べないで書くと、初出の1958年当時にはまだ原子力発電は実験段階。それもアメリカの企業が開発していたので、この施設は核兵器の開発施設だったのではないかと思う。なにしろ、核燃料を詰めたチューブが同時に盗難にあったのだから。この時代に完全な遮蔽ができていたのかなあ。チューブが盗難されたというのに、警察の保安体制は普通の殺人事件と同じだし、ちょっとこの国の事情とは違うね。第五福竜丸が「死の灰」を浴びた後、大変な騒ぎになったのだし。ちなみに、この2年後の1960年にフランスもサハラ砂漠で核実験を行った。閑話休題。
銃声は一発。それを聞いた技師たちが技師長の部屋に飛び込むと、死体があっても、犯人はいない。部屋も建物も敷地も封鎖されたというのに、犯人もチューブも見つからない。
さて、技師長は仕事と研究一途の実直な男。美しいスウェーデン娘と結婚している。初動捜査を担当した警部はたちまちこの未亡人に惚れてしまって、ときに事件よりも彼女の安全に気を配るのだった。なぜかというと、技師長が私的に雇用した運転手というのが、窃盗の前科のある男で、しきりに夫婦のプライバシーを覗いていたから。第一級容疑者ということで、この男(数日前に解雇済)の行方をたどると、アパートの部屋の中で拳銃で撃たれているのがみつかる。ここでも密室状態(というより外部の出入りが不可能なところ)で、犯人はもぬけのから。技師長の未亡人の部屋で密室状態で犯人はいないという事件が2回起こり、2度目には未亡人が射殺されているのが見つかる。
という具合に、密室状況が4回発生するのだ。これがクイーンやカーであれば、舌なめずりするように、部屋の構造やら関係者の証言やら事件のタイムスケジュールやらをつくるのであろうが、このフランス人作家はそんなことには一切目もくれない。怪奇な状態に思考が停止してしまったようで、捜査に浮かび上がる数人の容疑者を洗うことに専念する。
そうすると容疑者と被害者のそれぞれに家庭の事情やら過去の隠しておきたい経歴やらが浮かんでくるのだが、捜査を担当する警察官はそれにも目をくれない。彼らの人間関係と心奥の感情などにはそっちのけ。なので、犯罪の進行や社会の不安などはほとんど書かれない。
では何が書かれているかというと、専従の警察官の感情。怪奇や不条理とかに身をすくませている自分自身の反省とか、美しい未亡人へのはかなくおぼろげな思慮とか、友人や同僚への友情とか劣等感とか。まあ、警察小説の形式を借りて、繊細で微妙な感情を書く心理小説を書いているようだ。それを読む間、読者は恐怖とか不安を主人公と共有する。そこがフランスという国の探偵小説なのだろうね。ガボリオとかルブランのときから、物理的な証拠を見つけ論理的に解決することの快楽よりも、犯罪を実行したり巻き込まれたりする美男美女の感情の揺れ動きをじっくり書くことに注力しているのだから。
まあ、探偵小説というのは、資本主義と同じくらいにネーションの違いがあるものなのだ。あいにく、いかにもフランス風の探偵小説はこの国ではなかなか受容されないらしい。クイーンやカーの謎解きを期待すると、肩透かしを食らうからね。犯行方法は心理的なトリック。犯人は意外でもなんでもない。なので、解説にあるように、ルルー「黄色い部屋の謎」を想起すると、探偵よりさきに解決できると思う。謎解きはこの小説の主題でないので、それで結構。
翻訳は長い間絶版で、2012年に30年ぶりに再販されたのはその前年のこの国の出来事に関係していると思うが、さあどれほど反響を呼んだものか。