odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

ロバート・ハインライン「異星の客」(創元推理文庫)-1

 1962年作。wikiによると、もともとは80万語あったのを削って22万語にし、さらに短縮を要求されて17万語に圧縮したらしい。それでも翻訳は文庫版で780ページ弱。構成の緩いストーリーのうえ、冗長な会話や説明が延々と続く。結構へこたれそうになったが、どうにか読めた。これが後年の「愛に時間を」になると、もっとテンポが遅くなって、中巻の100ページ目でギブアップした。なにしろ子供を産んでよいのか堕胎すべきかのモノローグだけで100ページ越えだからね。同じ主題と同じくらいの長さの大江健三郎「個人的な体験」はもっと冒険があり、人の出入りが激しかった。閑話休題。おおざっぱなストーリーを見ておこう。

その汚れた起源 ・・・ 火星に到着したチャンピオン号は火星で一人の青年を発見する。彼の名はヴァレンタイン・マイケル・スミス。25年前、エンヴォイ号による第1次火星探検隊の8人が消息を絶った際の遺児で、火星人によって育てられた。帰還した彼には莫大な遺産があり、火星の所有者であるかもしれない。しかし、マイクには「所有」への欲望がない。病院に閉じ込められたスミスを新聞記者と看護婦が脱出させるまで。

その途方もない遺産 ・・・ 逃げ込んだ先は作家で哲学者で弁護士で…さまざまな職業をもつ老人、ジバル・ハーショー。マイクの人間性(?)に魅了されて、彼らをかくまうとともに、マイクの保証人になる。彼を奪還しようとする連邦政府の巨大な力に抵抗するのは、ジュバルの同居人10人くらいに、政府高官などへのジュバルの人脈のみ。複数回、特別警察がジュバルのマンションを攻撃するがマイクの力で危険を消滅する。そして連邦政府の事務総長相手に政治的寝技で交渉を開始。この章の主題はのちの「月は無慈悲な夜の女王」に通じる。徹底した個人主義者ジュバルがマイクというマイノリティのために彼を独立した個人=国家とするのだ。

その風変わりな教育 ・・・ ジョバルの持っている本を読み切ったマイクは、その隠れ家を出ることにする。従うのは元看護婦で大切な水兄弟のジル。彼らは、宗教団体・カーニバルの魔術師・カジノの従業員・ストリップバーの踊子など、仕事を転々とする。それは人間を理解するため。動物園で小猿がより小さい猿をいじめるのを見たとき、マイクは初めて笑う。笑うのはつらいから。そしてすべての宗教は同じであるという認識に達する。ここは、荒野や深い山で修業した僧が俗界での使命を発見するまでに相当するな。そしてマイクは使命を果たすために俗界に向けて下山する。

そのひどい経歴 ・・・ マイクのつくった「世界の全ての教会 (Church of All World) 」のレポート。詳細は別途まとめるとして、火星語で考えられるようになることがこの教会で必要なことに注目。そして、キリスト教社会からみると反道徳であること。さらには、官憲の許可なしで路上で説教していること。これらが教会の破滅、ないしは高挙の理由になる。

その幸福な宿命 ・・・ 2年半のマイクの活動は耳目を集めるものになった。その反社会的、反道徳的とみえる振る舞いと集団に憎悪が集まる。マイクは収監されては保釈される。ついには、教会が爆破され、グループはあるホテルに集まる。群衆が集まったとき、マイクはすべてをグロク(認識)して、憎悪の集団の前に立った。新たな使命の創出。


 ヴァレンタイン・マイケル・スミスは異星で生まれ異邦人に育てられた。そのため彼には地球の常識・道徳・社会性がまったくない。そこで個人主義者のメンターが付き、この世界のルールや規範や倫理などを実践しながら教えていく。そこから彼は認識を開始し、この地上の世界のすべての解釈を転倒させてしまう。その認識は周囲に強い影響を与え、私的なグループが生まれ、彼は「教師」として、新しい義や知を普及していく。その活動期間は2年半。その活動は周囲との軋轢になり、とりわけ常識を販売しているものに疎まれて、集団リンチにあって死んでしまう。新聞記事のようにマイクの生涯を記述するとこんなふうになり、それこそイエスの生涯を模していることがわかるだろう。これはジュバルによる(マイクの)福音書だ。実際に、この小説はマイクの語録があり、言行録があり、奇跡物語があり、黙示録があり、生誕そして受難と復活の物語がある。wikiには「「SF界で最も有名な、というよりおそらくは最も悪名高い作品の一つ」とかいてあるが(もとはブライアン・アッシュの『SF百科事典』によるらしい)、さもありなん。そういう悪名が生まれる理由はよくわかる。
 マイクの「世界の全ての教会 (Church of All World) 」は次のエントリーで考えることにして、ここではマイクのメンターでありマイクの思想の代弁者であるジュバル・ハーショーに注目。このあらゆる分野で成功したルネサンス的天才は、強い個人主義者。すなわち、個人の意思が最も重要で、そこに介入することは悪である。個人の自由に介入するのは、国家であっても誤っている。それは彼の持っている資産が莫大であり、国家のセイフティネットや社会保障がなくても心配のないところに由来する。なので、彼は一人で国家の権力や暴力に抗するし、自由世界連邦(という地球大の政府があり、国家はその下部機関)に対して、マイクの代理人として一人で抵抗する。そして国家がマイクという個人を抑圧・管理することから解放することになる(ではジュバルがマイクを国家の代わりに抑圧・管理するのではないかといえそうだが、ジュバルはマイクの管財人にならないし、マイクの意思で家を離れるときすぐに容認する)。
 彼のもう一つの思想は、文化的相対主義。文化には高低、優劣、後先はないとする。なので火星人のさまざまな奇妙な習慣を否定しないし、必要があれば彼の行為を支援する。そうすることが個人の自由や価値を最大限に尊重することになるから。(一方で、火星の方法を実践することは拒むのであるが。)
 個人主義アメリカの伝統であるといえるが、文化的相対主義は書かれた時代をみるととても先駆的。資本主義やマルクス主義実存主義などが文化人ではやっていて、そこでは西洋文化や目覚めた個人(「意識した労働者」とか「入党した革命家」なんか)がその他の文化や大衆よりも優れているという認識はあたりまえで自明で反論の余地なしとされていた。それを拡大すると、同時代のSF作家であるクラークやアシモフが、イデオロギーに幻滅して文化の相対性は提示していても、科学の方法と言明には疑問を持たなかったのにたいし、科学すら相対化するハインラインの視点に注目することになる。なるほどこの小説にはマイクによるさまざまな「奇蹟」がふんだんに書かれて、その科学的な説明は放棄しているし、地上のすべての宗教は同一という主張までしているから。
 このふたつは、「月は無慈悲な夜の女王」の基底にある考え。ハインラインの小説を読むときに、心得ておくべきところ。


2015/10/05 ロバート・ハインライン「異星の客」(創元推理文庫)-2