odd_hatchの読書ノート

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ロバート・ハインライン「異星の客」(創元推理文庫)-2 火星的ユートピアは労働と貨幣と家族を廃棄する

2015/10/02 ロバート・ハインライン「異星の客」(創元推理文庫)-1


 ヴァレンタイン・マイケル・スミスを通して語られる火星人的思考や火星的共産主義が多義的であることから、さまざまな誤解や誤読があるように思う。多くの誤解はこれを「精神世界」やスピリチュアリズムなどとして読むこと。あいにく、別のエントリーで見たように、ハインラインはそういう思想の持ち主ではないし、マイクを通して語られることや語り手が説明する火星人の描写などにはその種のオカルティズムやスピリチュアリズムはまったくない。マイクの見せる「奇蹟」ですらそう。
 マイクと火星人の考えは、心身二元論を極限まで徹底した考え。まあ、デカルトあたりから始まる心と体を分離する考えだ(それは中世キリスト教の心と魂と体の三元論から魂を除いてできたものだと思うのだが)。優位にあるのは心。これが人間の本質であり、中核。これは目新しい考えではなくて、ロック「市民政府論」にも顕著な考え。ロックは心=精神が身体を所有し、自分の身体はその持ち主である心がどのようにでも処分できる自由を持つという(だから職業選択の自由があるわけで、奴隷廃止論になるわけ)。もちろんわれわれ地球の生物は、心と体を分離することはできず、いずれも他方をうらぎるというジレンマを抱えていて、心身二元論を実践することはできない。あくまで思考実験と理念のなかでしか達成できない。それをマイクと火星人は達成している。すなわち、心=精神によって時間は自由に引き延ばされ、自分の身体は実験材料のごとく客体化され、自由にお好みのままに操作することができる。心臓の鼓動を止めたり、感覚器の活動を止めたりして仮死状態になったり、他人の皮膚を改造したり、はなはだしくは他人の身体をまるごと消去したりという具合。
 そのような身体の自由な操作は、別に精神の鍛練とか瞑想とか神的体験とか至高体験とかドラッグを服用するとか、そういうスピリチュアリズムの契機はまったく不要。認識の転換を図る上記のようなプラクティスは一切いらない。マイクのごとくになるためには、火星語を習得すればよい。この文法から発音から語彙までいっさいことなる言語(といえるのかもあやしいが)を子供のごとく習得し、火星語で考えられるようになればよい。そうすると、おのずとマイクの行うさまざまな奇蹟(テレパシー、念動力、物体の変換、記憶力などなど)を実行することができる。まあ、われわれもマシン語で考える場合があり、それを使うと日常言語ではできないことができるようになる。あいにくわれわれの身体はマシン語では制御できないので、マシン語を理解するPCなどで「奇蹟(大量のデータの計算、仕分け、集計、照合など)」を実現することになるのだが。
(精神=魂を身体から取り出し、別の個体に移植するという点で、アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」に似ている。)

 このような考えの基本には一切の神秘はない。すべて小説に書かれている。考えは合理性を貫徹。ただわれわれの身体は徹底した心身二元論を生きることはできないという生物的な限界が、マイクのように生きることを不可能にする。そういう意味では、解説にあるように1968年ごろからヒッピーの聖典として爆発的に読まれているという挿話も、当時のヒッピーが見事に誤解していたのがわかるという意味しかない。まあ、インドや東洋思想や禅がはやり、ドラッグが日常的に使われ、「意識の拡大」で人間の解放を目指す運動なんてのがあったからなあ(カスタネダとかティモシー・リアリーとかヴィルヘルム・ライヒとか)。そういう一つに見えたのだろう。
 というのも地球の重力に囚われている生物からすると、火星人の生活は「精神世界」なるものの主張と見かけが似ているから。火星人の一生は卵→子供→青年→大人→長老とステップを踏む。より長生きをしている個体(なのかもわからない)がメンターになり、火星語で考え、全体を丸ごとグロク(認識)するできるように指導する。われわれ地上の生き物は感覚器を使って対象を分節し、情報を選択して、部分的にとらえたのを脳で統合する仕方で認識するのだが、火星人のグロクは分節や選択をしないでまるごと全体をとらえる。それがどのような体験であるかは地球の言語では表現不可能。似ているのは、原始部族の食人。
 長老になると、身体は捨てられ純粋思念体として存在することになる。時間と空間を超越し、あまねく遍在する。なので、死は存在せず、彼らは「(心身が)分裂する」と表現する。そのような状態を示すとなると「神」というのが最も近い語彙。この神はキリスト教の神ではないし、ほかの宗教の神でもない。あえていえば理神論の神に近いかな(wikiの説明を見ると、理神論の系譜にロックが出てくるので、この小説は「市民政府論」を極限化したといえるのかもしれない)。
 そういう存在なので、人間の持つ欲望からは解放されている。所有欲はないし、性差はない。なので、家庭と公共空間の区別はないし、労働も貨幣もない。科学もないし、迷信やウソもない。まあ、われわれ地球の重力に囚われている生き物が最近作り出した近代とか資本主義とかを全面的に転倒した世界になるわけだ。これは、近代のさまざまなユートピア小説が近代(特に労働と貨幣と家族)を前提にして構想されたのと大きな違い。近代を否定し、といって封建制や原始部族性にもどったわけでもない。近代を構想する考えの一部を拡大することによって、近代を否定してできたユートピアだ(火星人のユートピアに至るまでの最初のステップが「月は無慈悲な夜の女王」の月のアナルコキャピタリズムかもしれない)。
 多くの読者は、反近代のみかけに惑わされて「意識の拡大」を読み取ったのだろうが、それはユートピアに至る道でもないし「革命」を起こす条件でもないと思う。「精神世界」の探求を個々に目指すよりは、労働と貨幣と家族を廃棄し、国家をなくす道のほうが火星的ユートピアに至るには近いのじゃないかな。到達は自分の死後であるのはもちろん、数万年かかるかもしれないし、もしかしたら別の知的生物が地球に生まれてからかもしれないが。
 ハインライン畢生の大作。たぶん最高傑作。10代に読んだときはわけのわからなさに幻惑されたが、老年の入り口で読み返すと明晰で明快なのに感心した。ここには神秘(@ウィトゲンシュタイン)はまるでなかった。政治学、経済学、キリスト教形而上学をさわって知識を持っていると、この小説は面白く読める(ただとても長い)。


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