odd_hatchの読書ノート

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木下順二「木下順二戯曲選 I」(岩波文庫)

 「風浪」は明治8年から10年にかけての熊本が舞台。大政奉還後、廃藩置県廃刀令、四民平等などの西洋化政策が上からの浸透で進められているころ。下級武士は殿様との関係が切れ、行く末が定まっていなかった。直前に地租改正もあり百姓は困窮状態。熊本県で起きていたのは、殿様が消え、上から送られた県令が政治を動かし官僚化が進んでいたこと、アメリカの農業技術を養殖し新たな産業を興そうとする地方郷士がいて、旧弊な儒学と攘夷思想でもって武士政権に戻すことを期待するものがいて(後の神風連の乱になる)、洋学校で西洋技術を勉学するうちにキリスト教に目覚め宗教的共同体を作ろうとするのもがいて、あるいは百姓の苦しみに共感して民権運動を開始するものがいて、または官吏や企業に関係して官僚政治と資本主義で栄達を望もうとするものがいて、さらには鎮台兵に応募して官僚の末端の権力機構に巻き込まれていこうとするものがいて、という複雑な状況が起きている。舞台は山田蚕軒なる地方郷士の家。この家の20代の若者たちを描く。同じ土地に生まれたものである顔見知りであっても、思想の食い違いがそれぞれをばらばらにし、流血騒ぎも起こす。ついには、神風連の乱がおこり、ついで西南戦争の予感の状態で幕になる。とりあえずの主人公は佐山になるのか。かれは儒学・攘夷の思想にも、実学にも、キリスト教にも共感を得ることができず、自分の立ち居地をきめることができない。たぶんそれは、これが書かれた1939年の木下順二の立ち居地でもあったはず。結局彼はなんとも説得力のない理由で西南戦争で西郷側に立つという行動に走る。たぶん、太平洋戦争に徴用された学生たちに重ねていたのだろう。
 1868年から1945年までの日本の歴史を総括するような意図があり、それを成立直後の時代において書いた、ということだ。これはわれわれにとってもヴィヴィッドな問題であると思う。


 「蛙昇天」は1952年ころの作品。舞台はカエルの世界。人間の投げ込んだ石が謀略ではないかとカエルたちは騒ぎ出す。アオガエルはアカガエルと戦争をしていて、大量の捕虜が幽閉されていた。デモプリ党なる保守政党はアカガエル国家と理念を同じにしているカプリ党の謀略とすることによって、カプリ党の党勢を削ごうと画策する。おりしも、アカガエル国家の捕虜を帰還させようとする運動のころ、カプリ党の党首がアカガエル国家に「立派な理念を持ったアオガエルにして帰還することを要請/希望する」と発言・翻訳して、政治問題になる。そのときの通訳が正しい状況を説明しようとすると、国会喚問にまで発展し、党の政治活動に使われる。通訳カエルは自殺する。こんなあらすじ。1950年ころにソ連抑留中の日本兵捕虜に対する「徳田(球一)要請問題」なる同じ事件があり、やはり通訳が自殺するという事件がおきていた。高杉一郎「スターリン体験」岩波ライブラリーに記述がある。
 コミンテルンなんかの指導を受ける共産党の愚かしさを読むもよし、保守政党の堕落振りに憤るもよし、自我の確立されていない青年の思想や立ち居地のあやふやさに共感するもよし。これもまたヴィヴィッドな問題になりうるのだよな。共産主義の代わりに新興宗教とか資本主義会社あたりを想定すれば、同じことが起きているから。