odd_hatchの読書ノート

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笠井潔「天啓の宴」(双葉文庫)-1 「天啓の宴」は失われたテキストである「天啓の宴」を探索する物語。

 「天啓の宴」は失われたテキストである「天啓の宴」を探索する物語。かつて「作者」を除くと5人しか読まれたことのない「天啓の宴」は、おそるべき影響力を持ち、読者の文学的生命を失わせるにいたった。そして、この因縁深い「天啓の宴」を読みたいと欲望するものが過去と「天啓の宴」の探索を開始する。そうすると、この「天啓の宴」が一度だけ「読者」を持つまでに複数の人間が死んでいた。「天啓の宴」の捜索者は事件の探偵にもならなければならない。

 全部で20の章のうち、奇数章は最初はだれかはわからないが次第に影山真沙彦という名前を持つ者によって書かれた、「私」「僕」の人称を使わない一人称のナラティブ。どうやら「天啓の宴」を書いた人に関係する人に手になるようで、過去の事件を語る。すなわち1970年ころの黒狼団という左翼テロ組織の粛清と、その関係者の妹が遭遇したストーキングと殺人事件。その過程で複数の「天啓の宴」が現れては持ち去られ、書き換えられた経緯がわかる。そのうえ、影山は「黄昏の館」に登場する「昏い天使」の作者であり、その後失踪/自殺したはずの宗像冬樹であると名乗る。
 最後の章を除く偶数章は、失われた「天啓の宴」を捜索する探偵の物語。10までは第1作で新人賞を受賞したが第2作を書けない小説家(の卵)・天童直己によるドキュメンタリー(自分を三人称で記述)。「天啓の宴」の新人賞審査にあたっていた編集者・三笠(これが「昏い天使」の宗像冬樹を担当)にそそのかされて、天童の熱望する「作者の死」を実現することを実際に書き上げた「天啓の宴」を捜索。そうすると、「天啓の宴」の作者は少女向けライトノベルの作者でもあり、人目につかない生活をした挙句殺されていたが、実際はかつてストーキングしていた二人の女性のいずれかと入れ替わっていたのではないかと推理する。そして現存する一人と会う直前になって失踪。12からは出獄した黒狼団の首魁・野々村辰哉が「天啓の宴」を取り戻すドキュメタリー(自分を三人称で記述)。天童の失踪直前の道をたどり直し、どうやら奇数章の小説を書いている人物がこもる山荘に向かう。
 奇数章の過去と偶数章の捜査で浮かび上がる殺人事件の構造は複雑。粛清事件の関係者が、小説家殺人事件の関係者になり、「作家」であることの欲望と情念が複雑な人間関係となる。その錯綜さといったらまあ、ロス・マクドナルドもまっさお、というくらい。その探偵小説的な人間関係よりも、ここでは「天啓の宴」の作者にかかわる情報が重要か。すなわち、19までの章の書き手は小説から作者を取り除くことを熱望するのだが、さてなんの「天啓の宴」を指すのかそれがあいまいにされている。すなわち、粛清事件の被害者の残したのはノート「天啓の宴」であり、それを読んだ加害者の妹が書いたことになっている小説版「天啓の宴」があり、新人賞応募直前にすり替えた影山による「天啓の宴」があるわけだ。そのうえ物理現実の読者にはものとしての「天啓の宴」があり、そこには「笠木潔」が印刷されている。この複数の「天啓の宴」が区別なく、名指されている。
 そのうえに20章であきらかになるのは、この章の書き手・三笠の手元に届いたのは1から19までの内容であるらしい「天啓の宴」である。ここで三笠が1から19までを読み、さらに天童と野々村辰哉のあとをおって、影山の山荘を見つけ出し、福祉医の死体を発見するまでが書かれる。そして人間関係の錯綜ぶりを解き明かしたあと、もうひとつの物語が進行しているのを発見する(これも事件の関係者)。それでとりあえずの全貌の説明がつくのだが、三笠の推理が当を得ているかどうかはわからない。なにしろ、三笠の持っている情報はテキストに書かれたものに限定されているからだ。「探偵小説」の部分は物足りなさが残るように書かれている。事件の謎を完全に解き明かす視点はない、すべての情報を集約できる存在はいないというのが前提になっているから。ようするにみかけは探偵小説だが、犯人も探偵も特定できないというしかけになっている。三笠のとは別の解釈も可能はなずで(まあそこまでやる読者は数少ないと思うが)、読者にカタルシスをもたらすかわりに、もやもやを残させようとする。なんとも「意地の悪い」作品(押井守ビューティフル・ドリーマー」みたいな作品と思いなせえ)。
 というような作品の構造は20の章で三笠が丁寧に説明している。混乱したくないひとはメモを取りながら読むことをお勧め。
 さて。小説内の語り手の語り手と作者は「作者の死」を熱望している。作品があるから必然的に生じる作者、読者に対して全能の権限を有する作者を殺したい。そんなのはなかったから、ここにあると提示することで「この国の文芸界をブラックホールにたたきこみたい」と妄執することになる。まあ、初出の1996年にはそんな問題設定もありえただろう。まあ、自分のような凡庸で無名な読者からすると、その問題もなにそれ?と思ってしまう。というのも、作者のいない小説、作品、テキストはすでにあるから。聖書みたいな口承や書き写しによって作者がわからなくなったり、もともと「作者未詳」で出版されたポルノだったり、電子掲示板の匿名ハンドル「名無し」によるテキストだったり。こういうのが「ある」のに、「作者の死」のこだわりはその職業内だけ、ないしジャンル内だけで流通する問題じゃないのかなあ。(というボヤキが「天啓の器」に書かれていて、批判されていました)。


2016/03/11 笠井潔「天啓の宴」(双葉文庫)-2 に続く。

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