odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

笠井潔「魔」(文春文庫)

 私立探偵・飛鳥井の第2短編集。当初の構想では、もうひとつ中編が加わるはずだったが、大きくなりすぎて長編にするつもり。ということだったが、2015年末現在で続編はでていない。

追跡の魔 ・・・ 解説に初出情報がないが、背景にペルー日本公邸占拠事件があるので1996年のことだろう。ようやくドアの軋み(「道――ジェルソミーナ」)を直した事務所に、鷺沼というセラピストが訪問する。岩城教授(「硝子の指輪」)の娘の紹介。相談は女子大生からストーカー被害をなくしてほしいというもの。数年前からストーキングにあい、あるとき傷害事件を起こされて、犯人は逮捕されたが執行猶予期間が終了し、また被害が出たという。ストーカーは最近は妄想だか幻覚を持つようになり、「鴉」の命で何ごとかをしようとするらしい。仕事に就いたゲームソフト会社も無断欠勤している。そこで過去の傷害事件で被害者のセラピングと犯人の精神鑑定を行った教授を訪れる。実は、と教授の妻は切り出し、同じくストーキングの被害にあっているようだと打ち明ける。猶予が成らないと犯人のマンションを訪れると、そこには被害者だった女子大生の刺殺体とストーカーの服毒自殺体が見つかった。ビデオデッキには、ストーカーによるレイプシーンが撮影されたビデオがあった。同じものは教授にも届いている。このころにいくつかの女子大生をターゲットにしたストーキング事件が起き、当時の刑法では警察や司法の保護ができなかったために、被害者が殺されるという事件が数件あった。そのあとストーカー規制法ができた(2000年)。21世紀になって読むと、問題発生から司法対策のできるまでの過渡期の作品なので、なんじゃこりゃと思うかもしれない。今のようになるまでにいろいろあったのを知っておくように。本格探偵諸説として読むと意外な犯人、複雑なプロットなど盛りだくさんな内容。社会派小説としてみると、表面的。

痩身の魔 ・・・ 前の事件から1年後、ふたたびセラピストが訪問する。今度は摂食障害(当時は拒食症とも言われて、病態を正しく表現していないと前の言葉に代わった)の女子大生。高校時代に33㎏まで痩せてしまった若い女性が再び摂食障害を起こして、行方不明になってしまった。父は大学の助教授(当時の呼称)でリストラにあいそうだった。というのも、指導教官の娘との結婚を拒み、別の女性と結婚したので、大学で疎まれていたのだ。しかも結婚相手は駆け落ちしてブラジルに移住している。女子大生の祖父は資産もち。父は金と土地に変えておいて何もしなかったおかげで、バブル期に数億円の現金をもっていた。さて、父はマンションをもっていたが、どうやら若い日系ブラジル人女性と同棲している様子。マンションを開けると、父は殺され、現金も消えていた。日系ブラジル人女性も行方不明になっている。セラピストと協力して、二人の行方を捜すと、父の残した別荘近くのホテルで女子大生の睡眠薬大量服用による中毒死体が見つかり、別荘では移動に使ったと思われるレンタカーが発見される。世相の反映でいうと、バブル経済崩壊後の平成不況が深刻化しているころ。大学も経営合理化が進行している(そのために父の兄弟二人は失業中)。バブル期ほどではないが、海外からの出稼ぎ労働者も多く、過酷な労働条件にさらされている。摂食障害を持つ人も増えて、この時期には書店に摂食障害を扱った本がたくさんでていたなあ。という具合に、あの時代をまとめようとしても、取り留めなくなってしまう。たくさんのできごとがいっせいにおしよせているものの象徴的なできごとがないからか。自分も忙しすぎてあまりよく覚えていないんだよね。社会性を取り上げる試みはうまくいっていない。探偵小説としてはというと、家族の関係の複雑さがこの国の家族のあり方とマッチしていなくて興覚め。何しろあの人とあの人が出合う確率は天文学的な低さで、あまつさえその事実を知ることも困難でしょうに。矢吹駆シリーズの緻密さには程遠いなあ。


 作者によるとこのハードボイルド連作を構想するにあたって、暴力性を出さない、反権力を標榜しない、警句を吐かないという制約を課したという。その成否はおいておくとして、このシリーズはどうにも印象が薄い。なるほど上記の制約のために探偵を無個性にし、観察する目に徹しさせたということであるが、それだけではない。まあ私見では、飛鳥井の調査はつねにできごとのあとであり、終わってしまったところにしか行けないところ。通常のハードボイルドだと事件を捜査する探偵にはちんぴらやギャングが現れて脅したり半殺しにするものだし、通常の探偵小説では探偵の目前で犯人が出し抜いたりするものだし、矢吹駆シリーズでは探偵と思想闘争するしーんがあったりしたものだ。そうやって事件を作るものと捜査するものが一瞬出会い、駆け引きし、心理的な闘争をする。事件の解決の前に探偵が事件を構想するものと出会う。出会いが探偵小説のクライマックスになる(たいていは読み返してそうだとわかるのだが)。ここでは出会いはつねに回避されていて、対決するのは解決するときだけ。物足りなさを感じたのはそのあたり。
 あと探偵とセラピストが類似しているという指摘が面白かった。以前読んで内容をすっかり忘れた後、ロス・マクドナルドやハメットを読んだら、アーチャーやスペードが積極的に依頼人に介入してセラピーやコーチングを施しているのを発見した。あるいは家政婦も彼らと同じように家族の問題を解決しているのをみつけた(小川洋子「博士の愛した数式」新潮文庫)。自分の発想や発見のもとはここにあったかと納得。