odd_hatchの読書ノート

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ヴォンダ・マッキンタイア「脱出を待つ者」(サンリオSF文庫)

 過去に大壊滅があって、地上は生存できない環境になっている。そこで、残された人類は地下に洞窟都市をつくっている。<中央>というのがあって、それをいくつかの<ファミリー>が支えている。<中心>は動力源を保有し、いくつかの<ファミリー>が保全事業を独占して、ほかのファミリーの参加を許さないようであるのだ。ティーンエイジの少女ミーシャはどの<ファミリー>も属していないので出世とか財産とかに無縁。教育を受けていないので都市のはぐれものとして、奴隷みたいにいきるしかない。一方で、家族とか兄弟とかの紐帯はとてもきびしく、不治の病にあるクリスや障碍者と思えるゲミなどが桎梏になっているし、当面の保護者である叔父も憎々しい。
 そこで、ミーシャは<中央>から離れ、宇宙交易を独占敷いているブレーゼ一族の<石の宮殿>に忍び込む。時折やってくる宇宙船にのって、<中央>と地球から脱出しようと考えているのだった。この<石の宮殿>は封建制というか絶対王政というか奴隷の存在する社会であって、長のブレーゼはたくさんの奴隷を抱えている。
 ミーシャは宇宙船の仕事に就きたいと願うが、鞭打たれるだけ。嵐をついて<天球>の宇宙船が到着。なぜか「源氏物語」に打ち込んだ学者の子供であるジャン・ヒカルという異星人にであう。ミーシャはヒカルに教育を初めて受け、数学の天才であることがわかる。ヒカルはミーシャの願いをかなえようとするが、宇宙船を統括するサブワン、サブツーに拒否される。ミーシャとヒカルは<天球>の宇宙線からも<石の宮殿>からも追放され、独力で脱出を試みなければならない。

 1975年初出で、著者27歳の長編第一作。著者の頭の中にあるイメージをそのままぶつけたのはよくわかるが、いかんせん整理が不足していて、ごちゃごちゃ。「脱出」のモチーフもなぜ、どこからがわからないので、まるで共感を生まない。まあ、深いところまで書けているわけではないなと思ったので、途中から読書スピードをあげて、飛ばし気味に読んだが、まあそれでよいだろう。
・地球で「大壊滅」を経験していて、文化・文明が退化し、1970年当時の生活水準は損なわれている。そのような未来社会はすぐに到来するのだから、そこにおいて脱出や再生の希望を見ようというのは、当時のSFによく見られたこと。反科学、反官僚、反知性などがその主張のもとにある。ここでも例外ではない。ただ、その対象を未来都市に描こうとしたときに、なにが問題なのかわからない中途半端な都市になってしまった。
・ミーシャの脱出は、科学・官僚・知性の権化である<中央>からのみではないらしい。家族とか兄弟とか、そのような血縁地縁のうっとうしい人間関係全般と、女性に向けられた差別と、強いられた貧困などにもあるらしい。なるほど、その時代においてもアノマリー(異端者)、女性、病人、障碍者などは暮らしにくいものであったと見える。でもミーシャの脱出は社会を変えることではなくて、自分だけが社会から抜けて、より公平な社会にジャンプすること。まあ、自発的な移民になることだ。そのうえ彼女は数学の天才という才能も持っているのであって、移民先で成功することが約束されている。この解決は特殊で、単独のできごと。ミーシャに自己を投影した作家には解放であるだろうけど(たぶん第1長編小説が出版されることは、宇宙船でより公平な社会にジャンプすることと同じ)、読者には関係ないわな。
 ヴォンダ・マッキンタイアーは大学院で生物学を研究したそうで、科学描写は適切。秀才が小説を書いて破たんなくまとめたものの、主題の掘り下げには不満が残る。そんな感じの作品。こういったことを考えると、同じくらいの年齢のときにル・グインが書いた第一長編と比べると、ル・グインはとんでもない才能の持ち主だったのだなあ。

<追記>
 <天球>の側がこのような荒廃した惑星を眺めるのが、 アレクセイ・パンシン「成長の儀式」(ハヤカワポケットSF)になるのだろう。この小説の天球の側が行う惑星への無慈悲な仕打ちを惑星の側はどう思うだろうか。