odd_hatchの読書ノート

エントリーは3200を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2024/11/5

ヴォンダ・マッキンタイア「夢の蛇」(サンリオSF文庫) 「大壊滅」後の地球。人を救う女性治療師は畏怖と差別を同時に受ける。

 「脱出を待つ者」と同じころか数百年あと。<中央>はあいかわらずシステムの外の人たちを排除して、科学その他の知識を独占して生存。それ以外の荒地に住む人たちは、小さなコミューンをつくって、地球の中世時代のような自給自足の生活をしている。医療は「治療師」と呼ばれる放浪の人たちがになっている。彼らは蛇の毒を使って慢性疾患を直したり、伝えられてきた家庭医のような治療を施す。蛇毒を使い、蛇の改良の取り組んでいるので、治療師は蛇毒にならされている。それは治癒のスピードを速めることであるが、一方で不妊と関節炎(というか自己免疫疾患)を持つ。そのために、治療師は村や共同体から離れ、放浪しなければならない。新たに治療師になるのは、治療師が養子とするものだけ。治療師は敬われている一方で、恐れられている。彼らは異邦人であり、差別を受ける側であることを自覚している。

 さて、中堅の女性医療師であるスネークは、ある村での治療中、同行する蛇のうち「草」を蛇におびえた村人に殺されてしまう。夢の蛇と呼ばれる「草」は希少であると同時に、治療師の作業には不可欠であった。<中央>であれば「草」の代わりになる夢の蛇を手に入れることができるかもしれない、という情報を得て、スネークは砂漠を越えて<中央>に行くことを決める。
 蛇は彼女の仕事になくてはならないもの。それを失ったために、アイデンティティの危機にあり、回復のために夢の蛇という聖杯を求める旅に出る。彼女の求める聖杯はあまりに特異で、個人的なものであって、ほかの人、とりわけ村や共同体で生活している人にはほとんど理解されない。それが、彼女の孤独の原因。そのうえ行く先々では敬意と畏怖の視線にあい、治療という行為は村や共同体の権力や権威のあり方を壊すのだから、権力者に嫌われる。という具合に、彼女の旅(それはすなわち人生と同義だ)は、過酷で、心をも痛めつけるものになる。そこにおいて、自己を確保するのは、共同体の道徳の代わりに共同体の間で成立する倫理に他ならない。
 その倫理は、彼女の出会う先で試される。すなわち、<中央>から逃げてきた青年たちの事故で尊厳死安楽死を実行しなければならないことであり、共同体でいじめられている少女を救うために自分が傷つくことを覚悟することであり(ちなみにこのケロイドの大きな傷を持っている少女を粗暴な男が虐待するというのはル・グイン「オメラスから歩み去る人々@風の十二方位」の変奏)、<中央>に青年たちの報告をしたあと拒絶に耐えることであり、夢の蛇を大量に飼育している廃墟になったドームで長に捕らえられた後逃げ出すことである。ここでは治療師という特別な職業意識から生まれたのか、「人を殺してはならない」が最優先され、例外事項は本人の意思に基づく場合は補助することができるというもの。彼女は、「気違い」に荷物を荒らされたり、廃墟のドームで<北>(という名の長)にリンチにあったりしても、逆襲は取り押さえるか威嚇して攻撃心をなくすところまで。殺しはしない。ここらの矜持が、この物語ににた西部劇の放浪のガンマンと異なるところ。男であり独身者であるガンマンは、法を執行したり、私的制裁をすることを躊躇しない。それが個人の道徳にはふさわしいから。しかし、女であるスネークはそれをすると共同体から放逐されることを知っているために、殺すことはない。
 見方をちょっとずらすと、1978年初出のこの小説は、当時の女性がいかに社会進出するのが困難であり、男性同様の職種や雇用条件を獲得するかがいかに困難であったかを示している。スネークのように誇り高く、能力にたけたものであっても、男社会の村や共同体、<中央>は女であるスネークを拒絶するのだった。おなじような屈辱を受けた女性は当時多かったのではないか。と1970年代の女性作家の小説を読んで思う。そのような社会で女性が自立するためには、男を乗り越えるくらいの苦労と努力が必要で、場合によっては家族や出産をあきらめるくらいの決意を持つということになるのか。この小説のスネークみたいに。
 著者ヴォンダ・マッキンタイアーはシリアスなSF作品は3つか4つくらいしか書かず、この国に紹介されたのはエントリーの2作品を除くと、たいていは映画のノベライズ。残念だと思いながらも、「脱出を待つ者」「夢の蛇」を読むと、彼女のテーマとその解答は「夢の蛇」に出し尽くされているようであって、その先に展開するのは困難なことであったのだろうと想像する。

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 <大壊滅>があって文明が崩壊。国家がなくなって小さなコミューンに残った人々が回復の方法を様々に探究する。そのとき科学は壊滅の原因であり、回復の手段にはならない。むしろ易経やインディアン(ママ)などの古代からの知と生活の体系が鍵になる。このような小説は1970年代に大量に書かれた。
アーシュラ・ル・グィン「世界の合言葉は森」(ハヤカワ文庫) 1972年
ロバート・ホールドストック「アースウィンド」(サンリオSF文庫)
ノーマン・スピンラッド「星々からの歌」(ハヤカワ文庫)
ヴォンダ・マッキンタイア「脱出を待つ者」(サンリオSF文庫) 1975年
アーネスト・カレンバック「エコトピア・レポート」(創元推理文庫)
ケイト・ウィルヘルム「鳥の歌いまは絶え」(サンリオSF文庫) 1976年
ケイト・ウィルヘルム「杜松の時」(サンリオSF文庫) 1979年
マイクル・コニイ「ブロントメク!」(サンリオSF文庫)
あたり。あまりに似通った設定、似通った物語を読んだので食傷気味。