odd_hatchの読書ノート

エントリーは3200を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2024/11/5

ケイト・ウィルヘルム「杜松の時」(サンリオSF文庫) 男性原理とそれで構成された社会は、攻撃的で支配的で破壊的。失意から回復する過程にある女性に近寄る男は鈍感で女性の要求を理解できない。

 アメリカでは干ばつが急速に進み、ほとんどの産業が壊滅した(それ以外の地では大雨や寒冷など世界的な異常気象)。国家の支援は用をなさなくなり、人々はパニックになるか、茫然自失しているか。各地で暴動が起き、人々の放浪が始まり、世界に破滅が訪れている。
 そのような危機の前には、宇宙ステーションを使った開発計画が進行していたが、大きな事故を起こし、計画は中断されている。その関係者である軍の士官は失意のうちに亡くなり、残された妻には精神障害を起こしているものもいた。それから、その息子や娘の世代が大学を卒業し、危機の世界に出ようとしている。
 その一人ジーンは言語学者のアシスタント。知らない言語でも暗号鍵や辞書がなくても解読できるという研究をしている。博士にはできなくても、ジーンにはそれが可能になった。発表すると即座に軍管轄になり、ジーンは解雇される(博士が成果を独占しようとしたのだ)。彼女の収入に頼っていた同棲中の中年男はジーンを即座に捨てる。アパートを追い出され、浮浪者の仲間入りをするとレイプにあう。まあ、人生のさまざまな破局が一度に訪れたわけだ。ジーンは祖父の残した家、砂漠に囲まれたニュータウンのある、に移住する。そこはインディアンの居留地が近くにあった。彼らは西欧人や都会人のように、自然に破壊的に侵襲するのではなく、嵐や旱魃、寒気と灼熱を受容するように生きる。チェロキー語を復活させ、過去のインディアンの生き方を復活させようとしている。ジーンは、インディアンと暮らし、彼らの中にメンターを見つけ、思春期の少女を教育する/されることで、失意から回復していく。

 これは近未来の物語ではなく、現在(1979年であり21世紀)の物語。女性の側からすると、近代の社会は男性原理で構成されていて、男性には有利であるが、女性にはとてつもなく不利である。そのことに男性は気づいていないし、「理解」あるレディーファーストを心得た親切で優しい男性であっても、無意識に女性を差別的に扱っているということだ。ジーンは優秀であるけれども、男性教授や学生は彼女の能力を正当に評価しないし、そのあとのできごとは女性に暴力的・高圧的であることばかり。男性原理とそれで構成された社会は、攻撃的で支配的で破壊的。その実践が旱魃ほかの異常気象の原因になっている。ここらの告発と怒りは著者の主張そのものであるのだろう。
 そのような男性原理を相対化し、より親密で自然に親和的なインディアン(作中の表示をそのまま使用する)の教え。たしか発表と同じ時代(1979年初出)に、インディアンや南太平洋の現地民たちの教えに学ぶという本がたくさん出たのではなかったかな。この設定を取り入れたのは安易だし危険だと思うけど、もちろん著者はわかってやっていることで、インディアンの教えはジーンの回復と自立を促したが、ジーンはインディアンの一員にはなれないし、インディアンと同じように暮らすこともできない。男性原理の攻撃的社会では、アノマリーとして、厄介者、余計者として生きるしかない。それはおそらく、当時の女性の生き方だったし、現在でも社会の不備による諸矛盾を余計に押しつけられている(「最貧困女子」のようなニュースをみると)。
 さて、宇宙ステーションの開発にかかわった軍人の息子クルーニーは、資料の読み直しから地球再生の技術がありそうなことを発見。宇宙ステーション計画を再開する。そして軌道上を周回する宇宙デブリから金色の「巻物」を発見する。そこには模様があり、記号ではないかと推測。暗号鍵も辞書もない記号=文字を解読できるのはジーンのみ。というわけで、解読を依頼する。そして「巻物」が異星人による地球人へのメッセージであることを示唆。各国首脳はいろめきたち、いさかいをやめて、宇宙開発を強調することになった。クルーニージーンに拒絶されながら、彼女を助けようとする。
 他の小説であれば、失意から回復する過程にある女性に近寄る男は、彼女を献身的に支えるいわば「白馬の王子」のような役割を与えられる。でもここのクルーニーは、女性ジーンを理解できないぼんくらとして描く。すなわちジーンに寄り添っていながら、国家や自分の意図を押しつけようとしている。ジーンの身の回りの世話をするが、ジーンの要求を一切無視している。悪意があるというより、鈍感で女性の感情とか内面と化をまるで理解できない、そういう男性。自分の要求に望むようにジーンが反応しないので、怒ったり、おろおろしたり、下手に出ようとしたり。そうするとますますおろかに見え、ジーンに魅かれながら、まったく無視されているのが滑稽。それもまた著者から見た男性の問題(というか無神経さなのか)。
 では、己の身になって小説を読むと、著者が批判する男性原理を自分もまた強く体現していることを発見する。それにげんなりする一方で、批判を受けて自己変革するのはたぶんできないだろうなあと自分に幻滅もしている。ようするに、すごく居心地が悪かったのであって、小説の中ではジーン一人が自己変革と達成感を獲得している(ただし将来がどうなるかは未定で不安)一方で、世界の干ばつやインディアンの自立アクションの行く末が語られないままになっているのに不満を感じてもいて。まあ、どうも男性独身者であるおれは、この作家との相性が悪いらしい。

ケイト・ウィルヘルム「鳥の歌いまは絶え」→ https://amzn.to/43FcRgy https://amzn.to/43ETMez
ケイト・ウィルヘルム「クルーイストン実験」→ https://amzn.to/4cxhYmV
ケイト・ウィルヘルム「杜松の時」→ https://amzn.to/3xhMP72
ヴォンダ・マッキンタイア「脱出を待つ者」→ https://amzn.to/4ablVMI
ヴォンダ・マッキンタイア「夢の蛇」→ https://amzn.to/4cyAQSC
ドリス・レッシング「生存者の回想」→ https://amzn.to/4ai8Hh5 https://amzn.to/43Eo6Wz