odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

フレドリック・ブラウン「宇宙をぼくの手の上に」(創元推理文庫)

 ブラウンの名前には懐かしさを感じる。大人の小説を読み始めるきっかけのひとつが、中学生時代に図書館で借りた星新一だった。彼のショート・ショートを読みふけるうちに、ブラウンの名前を知り、いくつかの短編小説集を読んた。20代になって、彼への興味は急速に薄れていった。理由は単純で、大文字の「文学」にいかれたからだ。久しぶりにブラウンのこの短編集を購入したとき、まだ彼が読まれていることに不思議な気持ちがしたものだ。そのときはもう「文学」熱は冷めていたので、ストーリーを楽しんだ。
 ブラウンの短編集としては最も早いもの。短編が発表されたのは1940年台で、まとめられたのは1951年。

緑の地球 ・・・ クルーガーIII星に不時着してからマックギャリーはずっと宇宙船を探していた。見つければ緑の地球に戻ることができる。その期待を胸に、褐色の密林と猛獣を避けて、彼はもう5年も歩き回っている。友といえるのは、この惑星で見つけた5足のけものだけ。彼女に話しかけながら、彼は歩く。あるとき、空に爆音と飛行機雲を発見した。正気であるというのは不幸なことかもしれない。星新一ショートショートにいくつか孤島(星)に不時着した人というのがあったね。

一九九九年 ・・・ タイトルは書いた年の50年後なのだろう。それすら過去になったということに狼狽。さて、すでに病気や訴訟が撲滅されている未来社会で、極悪人がウソ発見器をやりすごす手段を見出して、検挙率と起訴率が大幅に低下してしまった。そこで、警視総監は名探偵に捜査を依頼する。しばらくして捜査を終えた探偵はこの稼業をやめることにすると宣言する。まあ検挙率が低下する事態も別の視点から見るとよいことになる。この未来社会では、医師・弁護士・警官が無職になるというアナルコキャピタリズムからすると、とてつもないユートピアだ。でもご安心下さい、このお話は遠い遠い未来の物語なのです(「狙われた街」@ウルトラセブン)。

狂った星座 ・・・ 星がものすごい速度で移動しているのが観測された。天文学者があわてだし、宇宙船の運行に支障が出て(なにしろ星の位置を観測して、自分の位置を計算するのだから)、メディアが騒ぎ、飲んだくれは酒におぼれる。そういうてんやわんやが数日続く。そしてお笑いの結末に、現在ではなんとものどかなおちのつけかた。1950年代は宇宙が膨張しているというのが知られるようになり、一方、商業広告が盛んだった時代。書かれてから半世紀もたつと、もう古臭さはノスタルジーに移行。なるほどあの時代はそういうものかという感想に代わる。

ノック ・・・ 異星人が訪れて地球の動物を振動銃で絶滅させてしまった。一人残った男は、異星人のつくった動物園に収容されている。この異星人は自然死しないので、地球の生物が短命であることがわからない。そこで地球最後の女を見つけて、男にあてがった。女はでていくが、「地球上で最後の男が、ただひとり部屋に座ってい(ると)、ドアにノックの音が…」。地球最後の男と女の物語は、もうひとつのノアの箱舟の物語。蛇を使って悪をこらしめるなど、創世記のなぞりがうまい。

すべて善きベムたち ・・・ 何も書けなくなった小説家がタイプライターを前に呻吟していると、突然飼い犬がしゃべりだした。おれたちはアンドロメダ惑星から来た異星人で、地球の影響で事故にあってしまった。ブラウンの小説には小説の書けない作家がでてきたり、機械にとって変えられることにおびえる小説家がよく登場する。ときどき作家に訪れるスランプすらネタにする作家の貪欲さ(ブロック編「ブラウン傑作集」サンリオSF文庫の序文によると、書けなくなったときブラウンは長距離バスに当てもなく乗り込んでアイデアが訪れるのを待ったという)。

白昼の悪夢 ・・・ 木製の衛星カリストでは過去5年間殺人事件は起きなかったのに、今朝、死体が発見された。古本屋の主人だ。おかしなことに死体を見た5人はいずれも別の死因であると主張する。そのうえ翌日には同じ男が別の場所で殺された。夜になると、二区に対する憎悪をあおるささやきが聞こえる。それにつられて人々は口々に蜂起と殺戮を主張する。ああ、気が狂っていくみたいだ…。書かれた時代が、冷戦からマッカーシズムナチスの人種差別政策の記憶も新しい。そのうえフロイト精神分析が流行していて、無意識の悪意や殺意に気をもんでいた。それらのあいまじった小説。ブラウンには、煽動者が政権を倒すのを主人公が一人で打倒する、あるいは本性を明るみに出すというテーマの小説がたくさんある。これもそのひとつ。ブラウンの民主主義は「スミス氏都会に行く」「12人の怒れる男」のように、正義は一人でも主張するというところにある。アメリカの民主主義はそういうものだ(単純に多数決で決するというのが民主主義ではない)。憎悪煽動に対する怒り、一人でも強権に強訴するというのがブラウンの主張。物語はともかく、主張は今でも有効。

シリウス・ゼロは真面目にあらず ・・・ ロケットにスロットほかを積み込んで興業している親子。シリウスに新しい内惑星を発見した。着陸すると、地球によく似ていて、レストランがあり、映画のセットがあり、旧友が暮らしていて…。でもどこかおかしい。彼らは姿を現し、秘密をしゃべる。異星人のコミュニケーションは不可能であるというペシミスティックな話題を家族のだんらんで隠した問題作。なにしろ、知的生命体は油虫そっくりの姿なのだから。この惑星は、レム「ソラリス」だし、筒井康隆「ポルノ惑星」だね。

星ねずみ ・・・ ドイツから亡命した博士が宇宙ロケットを開発(個人でつくるのだが、いやはや…まあフィクションだし)した。家にいたネズミを乗せて月に向かって発射! 途中で行方不明になる。というのは、知的生命体が住む小惑星に到着したから。その知性が発達した生命体はネズミに知恵と言葉を与え、情報を聞き取った後、地球に返すことにした。ネズミは人間からの独立を宣言、オーストラリアに移住すると言い出す。しかし電気に触れるなといわれていたのを…。アメリカ人がこういうコンタクトテーマにすると、異星の知的生命体はコンタクトできないか、野蛮であるかなのだが(フォワード「竜の卵」が典型)、ここでは人間よりも優れていて、ネズミを通じて人間を啓蒙すると言い出す。このような非「帝国」的な存在を考え出すというのはこの人の文化的相対主義は本物。あと、このストーリーはキース「アルジャーノンに花束を」のプロトタイプみたい。

さあ、気ちがいになりなさい ・・・ 新聞記者のジョージ・パインは3年前の1944年に記憶喪失になった。27歳まで彼は18世紀後半フランスに住んでいたという記憶しかなく、そこから今(1947年か)までは空白。デスクから精神病院への潜入取材を依頼される。そこで記憶喪失の治療も受ければよいのではないか。病院で精神分析医と話していると、次第に自分は狂っているのではないかと疑惑が生まれる(そういう自己の同一性がたもたれなくなるのだ)。入院した最初の夜、パインを呼ぶ声が聞こえる。「明るく輝かしいもの」となのる「それ」は宇宙の神秘を彼にかたり、真実を知ってしまったために君は狂っているのだと告げる。結末はあいまいなまま。「明るく輝かしいもの」の教義(一はすべてで、すべては一。地球を支配する知能。宇宙的な目的のための覚醒、など)はグノーシス主義そのもの。この時代に知られていたんだねえ。それにしても、何とも救いのない物語。自分が自分であることが確かでないというのをこれほど痛切に描写したのは、とても早い時期なのではないかな。それはブラウンらしくないのだが、物語はブラウンそのものだ。参考は、ロバート・ハインライン「かれら@輪廻の蛇」(ハヤカワ文庫)


 SFのアイデアよりも、政治的・人権に関する主張にフォーカスした読み方になってしまった。「未来世界から来た男」あたりでは能天気なアイデアを惜しげもなく披露するほら話の得意なおじさんというイメージだったけど、こうやって丁寧に読んでみるとそうではないのだね。