odd_hatchの読書ノート

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吉見義明「従軍慰安婦」(岩波新書)

 1945-70年にかけてのこの国の文学や映画には従軍慰安婦が登場することがあった。野間宏「真空地帯」、大岡昇平「俘虜記」、野村芳太郎「拝啓天皇陛下様」、岡本喜八「独立愚連隊、西へ」「肉弾」「血と砂」などが思いつく。慰安婦の実態を知らないでいたので、この本を読む。1991年から数年かけての調査の結果。1995年初出。

序 ・・・ 1991年の韓国人女性による提訴から研究を開始したことについて。政府と軍の資料は破棄されたり非公開になっているために実態把握が極めて困難。この呼称にある「慰安」が実態とかけ離れている(当時のこの国の政府や組織はまさに『ニュースピーク@オーウェル』の恰好な使い手であった、と嘆息)。

Ⅰ 設置の形態と実態―第一次上海事変から日中戦争まで ・・・ 1917-8年のシベリア出兵で強姦が多発して問題になったのがきっかけのようだ。1931年満州事変の年に、海軍が上海で、翌年陸軍が慰安所を設置。以後、各地につくられる。慰安婦は国内、朝鮮、中国、台湾から派遣されたが、現地「調達」の多数。軍の他、内務省総督府、警察などが関与。とくにエリート軍人が指揮にあたっている。強姦防止、性病予防、「慰安」提供、スパイ防止などを目的にしていたが、前者ふたつには効果なし。旧軍の他の慰安なし、休暇なし、私的制裁の横行など人権抑圧に問題があるだろう。

Ⅱ 東南アジア・太平洋地域への拡大―アジア太平洋戦争期 ・・・ 1942年以降は中国戦線以外に慰安所が設置されるようになる。最前線を除いたほぼすべての占領地にあり、国内でも設置された(特に沖縄に多い)。慰安所の形態には、1)軍直営、2)民間の慰安所を軍属専用にする、3)民間で軍属優先にする、の3パターンがあったらしい。慰安婦の数は資料がないか、未公開。推測するしかないがきわめて多いようだ。(慰安所以外に民間の売春宿があったので、セックスワーカーの数がどのくらいになるか、見当もつかない。)

Ⅲ 女性たちはどのように徴集されたか―慰安婦たちの証言と軍人の回想 ・・・ 統計資料等がないので、表題の方法でまとめる。植民地では業者が行い憲兵や警察が支援することが多く、占領地では軍が直接徴集した。強制連行、だまし、さぎ、経済的拘束、拉致、誘拐などが横行した。
慰安婦の徴集は軍による強姦や虐殺とセットになっている例が多い。支払いの多くは軍票で敗戦と同時に無価値になる。また徴集の背景には、植民地政策による貧困、義務教育の無視、人権無視があり、それが人身売買、未成年の性的奉仕などにつながる。)
参考エントリー: 軍票が敗戦で無価値となり、戦後補償が行われていないことが詳述されている。
小林英夫「日本軍政下のアジア」(岩波新書) 

Ⅳ 慰安婦たちが強いられた生活 ・・・ 慰安所は軍の監視・管理下にあった。大きな屋敷、学校、寺院などが接収され、慰安所にされた。設備、衛生環境はよくない。軍人、兵士のマナーも最悪。長時間労働、強制使役、未成年の使役、性交強要、暴行、賃金未払い、性病感染、監禁などが日常的であり、慰安婦の保護規定はなく、軍法もなかった。

Ⅴ 国際法違反と戦犯裁判 ・・・ 当時日本が批准していた国際条約や国際協定から見て、従軍慰安婦は条約と協定違反。そのために敗戦後、オランダ人慰安婦の事件で戦犯裁判が開かれている。首謀の軍人と民間人に実刑(一人死刑)。日本の軍と政府、そして兵士に民族差別、女性差別があり、女性の奴隷化を推進した。
慰安婦にされたのは、朝鮮人、台湾人を含む中国人、東南アジア太平洋地域の女性。オランダ人、オーストラリア人の場合は戦中に閉鎖勧告があった際にはすぐに閉鎖されたが、上記のアジア人女性の場合は敗戦まで継続した。また日本人女性を徴集しなかったのは、兵士の士気にかかわると判断したため。ここにも民族差や女性の差別意識がある。)

Ⅵ 敗戦後の状況 ・・・ 国内では敗戦後、占領軍のために慰安所を官が率先して作る。若い女性を犠牲にして差し出した。この施設は占領軍の指示で1946年初頭に廃止になる。慰安婦の中には帰還させずに放置され、異邦で暮らすことを余儀なくされた人もいる。後遺症、トラウマに苦しみ、差別にあっている。国家と軍の責任を公表し、謝罪・賠償・名誉回復をすることが必要。

終章 ・・・ 従軍慰安婦の本質は、1)暴力の組織化、女性への重大な人権侵害、2)民族・人種差別、3)経済的階層差別、4)国際法違反、戦争犯罪。問題解決のための6つの施策を提言する。Ⅵのほか、資料公開と真相解明、責任所在の明確化、被害者の更生の実行、歴史・人権教育など。


 なんともすさまじい記録。敗戦後組織的に隠蔽され、被害者は差別と貧困下におかれていたために、1990年までは事態が明るみに出てこなかった(上記のようにほのめかしがあっても、さらに追及してこなかった)。少ない資料と当時の生存者の聞き取りによって、おぼろげであっても事態の輪郭がはっきりしてきた。そのうえで、著者は6つの施策を提言するが、まったく同意。現在進行中の民族・人種差別とあわせて、過去の差別の実態はさらに調査されなければなるまい。あいにく多大な時間を無為にすごしたために、被害者には鬼籍に入られた方が多いのがなんとも気にかかる。
 この国は、日韓併合やシベリア出兵のころから軍隊を拡充していった。その結果、新兵や下級兵士を既存士官では掌握できず、また基礎教育を受けた兵士の忠誠を引き出すような軍隊の理念や思想をつくりだすことができず(アメリカやフランスのような民主主義の防衛という思想を持たない)、暴力や強制で服従させるしかない。そのうえ過重勤務に休暇なしの兵隊生活(この国最初の「ブラック企業」)が軍隊全体の退廃になり、日本社会の女性蔑視と公娼肯定があいまって、アジア全域に住む女性への暴力行為になった。これは単体でみるだけでなく、周辺諸国の植民地化、物資徴発、捕虜虐待、戦時や占領期の虐殺などの戦争犯罪と結びつけて考えなければならない。