odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

徐京植(ソ・キョンシク)「在日朝鮮人ってどんなひと? (中学生の質問箱)」(平凡社)

 日本は単一民族、一民族一国家と言われることが多いが、それは幻想。実際は、さまざまなマイノリティがいっしょに住んでいる場所。それを確認することから始めよう。突っ込みを入れれば、ネトウヨの大好きな「大日本帝国」は満州・朝鮮・台湾を併合して「五族共和」を国家スローガンにしていた多民族国家なのである。「多文化共生は失敗」と叫ぶネトウヨもいるが、それでは「大日本帝国」の国家目標や政策は失敗したことになる。
塩川伸明「民族とネイション」(岩波新書)によると、「日本単一民族」説が流布されるようになったのは、WW2の敗戦後とのこと。)
 ところが日本と日本人は明治政府以降の植民地政策や同化政策、敗戦後の国籍法などで、単一民族であるという考えに慣れ親しんでいる。そのために、「故国(生まれた国)」「祖国(先祖の出身国)」「母国(国籍のある国)」を同じものだと思い込む。でも、日本に住んでいる数百万人のマイノリティは故国と祖国と母国が一致しない。ほかの国をみると、一民族一国家のところはきわめてまれであって、マジョリティであっても故国と祖国と母国がそれぞれ異なる人がたくさんいる(アメリカの〇〇系アメリカンといういいかたに典型的)。
 日本のマイノリティがややこしいのは、明治政府以来の植民地政策による。満州・台湾・朝鮮を併合し、戦時中に占領下においた中国の一部では旅券の発行なしに行き来ができた(ただし日本人以外には厳しい制限付き)。国内の労働力が不足すると、植民地の人を自由・強制的に日本列島各地に移住させた。彼らは「日本人」であったので、旅券なし・パスポートなしで移住できた。1945年にポツダム宣言受諾し敗戦。多くの植民地出身者は帰国したが、事情があって帰らない人がいた(権力の真空状態になった植民地では戦争状態が継続して危険であったとか、日本政府が帰国支援をほとんど行わなかったとか)。1947年の外国人登録令で彼ら植民地出身者は「難民」にさせられた。1952年のサンフランシスコ講和条約締結によって彼らは国籍をはく奪された。以来、故国や祖国が日本でない人たちは、日本に居住しながら、日本を母国にすることを拒否され、難民扱いのまま現在にいたる。

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 この事情は「教科書に載っていない歴史」なので、ぜひ日本のマジョリティ(故国、祖国、母国が日本である人)は本書で補完してほしい。そこで明らかになるのは、この国は大日本帝国植民地主義とその政策を戦後も一貫して正しいとしていること。なので、植民地出身者の兵士に補償をしないし、「慰安婦」と呼ばれた性奴隷の存在を無視し、企業による搾取と暴力への請求を拒否し続けている。ことに、日本に来ていながら国籍をはく奪させて、難民とした「在日朝鮮人(韓国人、コリアンとも)」の存在を無視し、「いないもの」「見えない人」にしようとする。より詳しい情報は以下の本が参考になる。
海野福寿「韓国併合」(岩波新書) 
小林英夫「日本軍政下のアジア」(岩波新書)
田中宏「在日外国人(新版)」(岩波新書)
福岡安則「在日韓国・朝鮮人」(中公新書)
朴一「「在日コリアン」ってなんでんねん?」(講談社α新書)
 日本のマジョリティが国籍やアイデンティティを考えるのはとても観念的になってしまう。しかし在日朝鮮人は16歳になると外国人登録をさせられる。常時携帯することをもとめられ、ちょっとそこまでの外出で不携帯がみつかると長時間警察に拘束される。海外の渡航手続きはきわめて大変(ことに朝鮮籍の人)。過去には指紋押捺が必要で(犯罪者扱い)、パスポートが発行されず、公営住宅に入居できず、公務員になれず、健康保険がなく、国民年金に加入できなかった(なので高齢の在日朝鮮人生活保護が多い)。このような法と行政の手続きのたびに、国籍、アイデンティティを意識させられる。日本の政治は「国民でなければ人権を持たない」「国民でなければ国家は庇護しない」という考えなので、国籍を持たない在日外国人やマイノリティは人権尊重やセイフティネットの対象外になっている。
 明治政府以来の植民地主義は植民地出身者への嫌悪と差別を起こさせる。背後にあるのは、共同体の外から来た人への恐怖。なので、日本のマジョリティは日常的にマイノリティを差別する(ヘイトスピーチ、就職・居住・結婚などの差別)し、過去にはジェノサイドを行ってきた。関東大震災の虐殺のみならず、徴用工への賃金未払・低賃金・暴力などが行われた。植民地でのほうがより悪質で、国内では適応事例のない治安維持法による処刑者がいたし、陳情・労働争議などには軍隊が出動して鎮圧し、強制労働・強制連行も日常であった。そのような行為を日本政府は反省していないし、責任を感じていない。その「気分」は国民にも浸透している。路上やメディアのヘイトスピーチヘイトクライム扇動をマジョリティが行うとき、マイノリティや在日外国人は「自分は殺される」という恐怖を持つ。マジョリティはマイノリティの恐怖を理解しがたい。
 著者はこのような日本を変えるために以下を提案する。
1.植民地支配と在日朝鮮人の歴史をきちんと学ぶ。
2.単一性を乗り越えて多様性のある社会を実現する。
3.他者の痛みを想像し、正義を求める心が尊重される社会にする。
 まさにその通りであって、マイノリティを知ることはマジョリティを考えること。マジョリティが意識しない自由や正義がいかに他者の人権を侵害したうえで成り立っているか(ル・グィン「オメラスから歩み去る人々」@風の十二方位)を理解することである。差別はよくないと頭でわかっていても、差別する側になっているかもしれない。善意の言葉や行動が差別になっているかもしれない。理解からさらに知ることと具体的なアクションに起こしていきましょう。ミスや誤りがあれば謝罪し、他者との関係を直していく。そういう正しさを身に着けて実践していきましょう。差別の怒りは国家や権力への怒りにして、国家やマジョリティの横暴に服従しないでいきましょう(怒りを持たないと支配層に好都合になってしまう)。
(本書が出版されたのは2012年。在特会のヘイトデモや街宣の参加者がもっとも多くなった時期。本書のメッセージは明確で、路上やメディアのヘイトスピーチに抗議するプロテスターになろうということ。直接本書に触発されたとは思わないが、出版の翌年からアンティファが路上やネットなどで抗議活動を行うようになる。日本で民族・人種差別に抗議するプロテスターは、本書で基礎知識を獲得しよう。ネトウヨレイシストの屁理屈や歴史ねつ造に対する反論がここにある。)