odd_hatchの読書ノート

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海野福寿「韓国併合」(岩波新書)

 教科書では「日韓併合」と称される事象をここでは「韓国併合」とする。以下の事態進行中では「韓国併合」が普通の表記であったから。同時に、日韓が対等であると思わせるような表現にしたくないという意思も込められる。実際、下記のような歴史的事実をみると「併合」の意思を持っていたのは日本のみであった。

第1章 朝鮮の開国 ・・・ 前史と1870年代。長らく東アジアでは宗属関係、朝貢関係があって、対等であり独自性を尊重する関係を保ってきた。当時の朝鮮はその関係を維持。しかし開国した明治政府は西洋的な従属関係を望む。江戸幕府対馬藩に対朝鮮交渉を任せていたが、外務省に移管させた。1875年江華島事件を起こし、翌年日朝修好条規を締結。ここで、日本は公使常駐(それまでは交渉時のみ入国)、日本人集住地設置、日朝貿易開始などを認めさせた。朝鮮側は輸入超過で、課税を求めたが日本が拒否(1883年の交渉で課税可能になる。
(本書では詳述されていないが、日本の朝鮮蔑視は江戸時代に醸成されたとの由。)

第2章 「軍乱」とクーデター ・・・ 朝日で不平等条約が締結されたのち、米英独露仏伊なども後を追う。兵士の給与不正支給に端を発する抗日暴動がおこる(壬午軍乱)。事態収拾で日本は影響力を強めたいとしたところ、清の収拾力が上回る。朝鮮の開明派がクーデター(甲申政変)を起こすが、これは日本の指導と支援があったもの。あいにくクーデターは失敗し、事態収拾においても清がリーダーシップを発揮。
(甲申政変後の日本特派全権大使は伊藤博文だった。日本の対朝鮮政策の実行にはその当初から伊藤が関わっていた。この時期は清朝の宗属関係が強く、日本は軍事でも外交でも清に勝てなかった。それが日清戦争につながる。一方朝鮮では宗属関係を解消して近代国家をつくろうと目指す運動も始まる。)

第3章 日清戦争前夜 ・・・ 新興宗教集団が甲午農民戦争東学党の乱)が1894年に起こす。朝鮮は清に出兵要請。日本も勝手に出兵。鎮圧後、撤兵を要求したが、日本は従わず、現地軍隊が王宮を占拠する事件を起こす。清も対抗して日清戦争勃発。日本は朝鮮と攻守同盟を結び、人馬・食料などを徴発。戦後、日本公使が日本兵を動員して王妃を殺害する事件を起こす。日本国内裁判で全員無罪。朝鮮でレジスタンスが開始。日本軍が常駐。1897年大韓帝国成立。自立をめざしたが、ことごとく日本につぶされる。朝鮮中立化構想がロシア、清などから提案されたが、日本は無視。
日清戦争の経緯を詳しく見ると、1930年代の満州事変以降の日本軍のやりかたがすでにここに現れているのがわかる。現地軍が勝手に他国を徴発し、戦闘を開始。それを政府は事後承認。以後、軍隊は勝手に行動し、徴発して現地の人と疲弊させ、残虐行為を行い、処罰されない。これはまったく「祖国防衛戦争」ではなかった。それほどに、日本は朝鮮を直接支配する政策を続けた。)

第4章 日露戦争下の韓国侵略 ・・・ 20世紀のゼロ年代前半。日本は韓国を保護国化することを政策決定。1904年日露戦争。韓国の中立宣言を無視して、軍隊を進め、常駐する。戦後の撤退しない。日英同盟ポーツマス条約によって日本の韓国支配がイギリス、アメリカ、ロシアなどに承認される。
日露戦争は祖国防衛戦争であると解釈されるが、そうではなかった。日本の韓国保護国化に反対する国家との帝国主義戦争。当然ロシアに正当性があるわけではない。韓国のみならず清の中立宣言も無視し、戦争は清領土内で行われた。戦争中には、朝鮮人による反日蜂起もあったが、日本軍により鎮圧される。)

第5章 保護国化をめぐる葛藤 ・・・ ゼロ年代後半。1905年第2次日韓協約。内容も凄まじいが、調印までもひどい。日本兵が韓国官邸を制圧。御前会議に日本の大使他が臨席し、脅迫・恫喝。統監府を設置したのち、韓国皇帝を強制的に退位させる。第3次日韓協約締結後、韓国軍を解散。それにより義兵・蜂起などが起こるが、日本軍が鎮圧。
(形式的にはこれらの条約は合法的ではあるが、正当であるとはいいがたい。ただし、このころには国際世論は日本の韓国保護国化を承認していた。なので韓国の訴えを聞く国はない。また反日蜂起に手を焼いた日本軍は焦土作戦を展開。のちの中国の三光作戦の先駆といえる。国土が狭い朝鮮ではゲリラ掃討は成功したが、中国大陸では成果が上がらなかった。)

第6章 韓国併合への道 ・・・ 伊藤博文統監は保護国化論者であったが、在任中、反日蜂起に手を焼き、併合論に変わり、統監を辞任。1910年に韓国併合が決定(8月22日)。この「外地」は大日本国憲法の適用外。憲法に規定された参政権、人権の保障、兵役義務、三権分立などがない。
(ちなみに「併合」annexationはこのときの造語。合併の意味が消える。また「任意的併合」を見せかけるような形式をとられた。)


 これこそ「教科書が教えない歴史」にふさわしい。明治政府樹立後に、日本が対欧米にどのように対処してきたかは克明に描かれるが(それも日本が自主独立を回復する物語として)、東アジアにどのようにあたったかはまず書かれない。底を補完するために、この一書は必読。
江戸幕府に開国を迫った欧米諸国は、不平等条約を結び、不利益をこの国に押し付けようとした。それと同じことを、明治政府は朝鮮や清に対して行う。いじめにあったものが、別の弱いものをみつけて、おなじいじめをしているみたい。その政策は明治政府樹立後すぐに明確になる(自分はこれまで日本の政治や外交、軍事の変質が起こったのは日露戦争以後とみていたが、それは間違いだった。開国からすでにあった。ここは自分の不明)。
・明治の日本は国際法順守であったというのもよく言われることであるが、それは対欧米に限って。対朝鮮、清においては国際法無視が常態であった。それを欧米に追認されるように外交政策が展開する。
・教科書にでてくるような明治の政治家のほとんどすべてが、韓国併合までの政策に関与し、積極的に推進する。とくに伊藤博文は当初から実行し、初代統監にもなる(暗殺時にたまたま朝鮮にいたわけではないのだ)。
・この本では政治、外交に主眼を置いている。実際の統治の問題(圧制、脅迫、詐欺など)は、高崎宗司「植民地朝鮮の日本」(岩波新書)を参考に。政治家、軍人がひどいことをしたわけではなく、民間人もひどいことをしてきた。
韓国併合に日本の世論は賛成してきた。社会主義者にしても反対の論調はない。そのうえ、政府が展開してきた「韓国の『国利民福』のため、韓国側の申し出で行われた」ということだけを強調し、そのように理解してきた(歴史学者もその論を展開して礼賛正当化に励んだ。この歴史的事実にもとづかない認識は戦後も残り、現在(2017年)でもある。