2021/03/09 江口朴郎「世界の歴史14 第一次大戦後の世界」(中公文庫)-1 の続き
第一次大戦(WW1)はおもにヨーロッパと大西洋で戦われたので、東アジアは政治的・経済的な空白ができた。そこに入り込んだのが日本。日露戦争のあと、帝政ロシアと協力関係にあったので、北からの脅威を感じることなく、ドイツに対して宣戦布告。ドイツの占領地を代わりに占領。イギリスの代わりに中国大陸の開港都市に軍隊を派遣し、ずっと居座ることに成功。ヨーロッパからの輸入が途絶えたので、日本製品が代わりになった。WW1はおおむね日本の帝国主義には有利に働く。問題があったのは、ロシア革命。帝政ロシアとの協力関係はなくなり、反共政策に転換する。
総力戦を経験した西洋諸国は軍備拡大を忌避する。国内の反戦運動の高まりが理由なのではなく、新兵器・新戦術が開発されたことで装備が陳腐化し、新造や維持コストが上昇し、経済投資のために財政が拡大していたことなど。それが1921年のワシントン会議以降の軍縮につながる。日本にとっては、日英同盟の破棄、中国に対する日本の進出阻止を目的にしていたので、日本の利益と一致していた(当時は経済侵略政策を日本はとっていた)。予算減の海軍以外は軍縮を受け入れていたし、政党や議会も軍のコントロールが可能だった(それを破壊したのが満州軍の張作霖爆殺事件以降の独断専行)。
とはいえ、1880年代からの朝鮮侵略や日清戦争で、東アジアへの民族差別・人種差別が民衆に定着する。そのあらわれが1923年関東大震災での朝鮮人虐殺(1919年のシベリア出兵時に、日本兵は虐殺・放火・強姦などの戦時犯罪を犯していて、ヘイトクライムの先駆けといえる)。この事件をまともに総括できなかった(くわえて民間人の虐殺にたいしても)ことが、のちの15年戦争や太平洋諸地域での戦争犯罪やヘイトクライム、植民地政策を止められなかった理由となる。
WW1には民族独立運動阻止を目的にする国もあったが、結果は各地の民族独立運動をさかんにする。本書で詳細に取り上げられたのは中国とトルコ(敗戦国で、スルタン性が崩壊した)。東欧諸国でも独立を果たす国が生まれる。しかし周辺の帝国主義国家はこれらの独立国を併合・衛星国家化したり(東欧諸国)、独立を承認しなかったりした。アメリカに代表されるような孤立主義・保護経済政策などがあって、民族独立は国際協調のプログラムに入らなかったのだ。
1920年代は先進国では日本を除いて好景気にあった。国際連盟はアメリカ・ソ連の参加がなくても、国際協力の会議の場を作れた。対外戦争は行われず、政権も安定していた。それが不況の1930年代になると、政治と経済の安定は失われ、ブロック経済圏の確立によって不況を打開しようとする。それは対外侵略とヘイトクライムの多発を産み、大量殺戮に至る。アメリカでは民族差別・人種差別が温存・強化され、イタリア、ドイツ、日本のとりあえずの民主国家がファッショ化し、労働者主権のソ連が収容所群島に転化する。そのきっかけはいろいろあるだろうが、俺は排外主義と民族差別の蔓延、ヘイトクライムの放置を重視したい。これを理論的にも、国家政策でも、社会運動でも阻止できなかったことが重大だと考える。
(加えると、表現の自由を制限することが合法化され、政権批判・反権力の運動や個人が徹底的に弾圧された。それを抗議する大衆・民衆の運動も高揚しなかった。ヘイトスピーチの放置と表現の自由の制限は一体になって行われる。)