odd_hatchの読書ノート

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加藤陽子「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」(朝日出版社)-2 日露戦争とWW1の「勝利」。世界史に登場した日本は挫折し、世界情勢と戦略の見直しを迫られる。

2023/01/27 加藤陽子「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」(朝日出版社)-1 2009年の続き

 

 日本の「国防」思想は、恐らく孝明天皇の攘夷と焦土を辞さない戦争の意志から始まる。外国からの危機が迫っているという恐怖がもとにあるのだ。なので、政策は彼らが来ないようにすることと焦土戦を辞さない軍事力を持つこととなる。その際に、「神国」日本に外国人が入ることは国土が汚れることになるから戦争はできるだけ国外で行わねばならない、と考えたと妄想する。したがって、19世紀末の仮想敵国であるロシアの進出を抑えるためには、朝鮮半島黄海周辺が日本の「絶対防衛線」である。
 このような安全保障思想から植民地化が行われたのが日本の帝国主義の特長。ヨーロッパの帝国主義は拡大する資本主義の要請と余剰人口の解決のために、遠く離れた地域を植民地とした。いっぽう、日本は自国の軍隊が容易に出動できる近隣諸国を植民地にしようとした。

  

2章 日露戦争―朝鮮か満州か、それが問題 ・・・ 日清戦争後の朝鮮と満州情勢は複雑怪奇。日本は1895年に閔妃暗殺事件を起こす。中国とロシアは秘密条約。1900年の義和団事件で中国は列強に宣戦布告。ロシアは満州に進出し鉄道を敷設し、北京から軍隊を撤退しない。1902年イギリスは日本と同盟。中国はロシアから離れ日本に協力。満州の大豆生産と日本海不凍港をねらうロシアの帝国主義政策に、日本・中国が反発し、イギリスとアメリカが後押しする図になる。朝鮮は「自主の邦(くに)」とされながら主権を無視される。開戦直前は日本は厭戦的、ロシアは好戦的。中国の協力は戦場とすることを黙認するだけでなく、諜報活動でも(そういう地元の支持が軍事的な「勝利」につながるわけだ)。日本の陸海軍共同作戦(旅順戦)は当時画期的。日本は戦費を増税でまかなったが、賠償金を取れない。そのため戦時期間中の一時期の増税を継続しなければならない。そこで地租増加に反発する地主議員を牽制するために、選挙権を拡大し、実業家議員が増えるようにした。そして実業家の利益を代弁する政党政治が始まる(それまでは藩閥政治)。
司馬遼太郎坂の上の雲」ではほとんど描かれない事態が進行していたのだね。19世紀末の帝国主義国家による植民地争奪は中東やアフリカで行われているかのような印象があったが、極東もその渦中にあった。大きなプレーヤーはロシアと中国と日本。ロシアにつくのはフランスとドイツ、日本につくのはイギリス(のちに中国とアメリカ)。こういうプレーヤーによる経済と外交と軍事のいさかいが行われていた。忘れてはいけないのは、ロシアによって日本の権益が損なわれるという説明があるとき、それは資本主義と国民国家の都合においてであって、民衆のものではないということ。とはいえ、当時の日本国民は現実的な政府よりももっと好戦的であった。日露戦争の勝利で朝鮮や中国に行けるようになり、そこで差別主義者になり、国に戻ってレイシズムが蔓延するという事態が起こる。)
(植民地争奪はもちろん現地の資源奪取にあるのだが、同時に本国の余剰人口・失業人口の解決も目的にしていた。本国で生きずらいモッブを植民地に招いたのはそこにある。日本はくわえて安全保障を目的にしているのが西洋の帝国主義国家とは異なっていて特異。)
日露戦争後、日本はロシア帝国と協調する。そのために、1917年のロシア革命時にロシア人亡命者が日本を目指したり、日本を経由してアメリカなどにわたった。プロコフィエフが日本に滞在したし、ロシア人演奏家や指揮者が日本で音楽教師をしたりしたのはそのような背景があったのだ。しかし日本は反共政策をとっていたので、ボルシェヴィキ政権誕生後は日露の行き来は途絶える。ロシア人亡命者は中国に行った。)

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3章 第一次世界大戦―日本が抱いた主観的な挫折 ・・・ WW1のインパクトは、ヨーロッパでは1.ロシア・ドイツ・オーストリアの3つの王朝が崩壊、2.国際連盟の設立、3.植民地支配批判であり、日本では1.政党政治の確立、2.植民地獲得とされる。WW1では日本はもっとも労少なくして益おおくしたとされる。

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 しかし、WW1は日本に挫折となった。それは、1.宣戦にあたりイギリスとアメリカから反対や牽制があった(連合国や同盟国からの反発があって英米への不信や反感が生まれる)、2.朝鮮経営が非人道的であるとアメリカから批判(アメリカでは日本移民への差別・ヘイトクライムがあるのに)、3.朝鮮で独立運動英米、中国からの避難)、4.議会で野党が追及(ネトウヨ的な好戦論で政府は弱腰とされる)。当時日本が注視していたのは山東半島を領土化すること。それが英米の反対で確立できない。ここで日本は世界情勢と戦略の見直しをすることになる。
(このころには不平等条約は解消され、先進五カ国(ソ連と中国を除く)に入るくらいに威信は高まっていたが、帝国主義の植民地争奪「ゲーム」では尊重されるプレーヤーとみなされていなかった。そのことを思い知らされた。ことにパリの講和会議において。ここで恥をかかされた日本は、中国ソ連にくわえ英米への反感・反発を増す。恥をかかされた英米には復仇(ふっきゅう)しなければならない、と決意したと妄想。)

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 これまでは日本の政党政治は民主主義や自由主義を拡大するものとしてとらえていたが、むしろ政府の弱腰をたたく右翼的な運動のようにみえた。藩閥政治を支持するものは地主層なので、地租をあげたり小作人を兵士にするような政策を受け入れない。しかし主に都市の実業家を支持層とする政党はこれらの負担を受け入れて軍拡と対外戦争を進めようとする。政府と官僚(と軍部)は予算と国際関係を見て、その当時の「現実的」な政策を取ろうとするが、議会ではそれを弱腰とみなし、批判し批難する。メディアもそれに同調して帝国主義政策をとるようにキャンペーンを行う。大衆も好戦的な論調に熱狂する。皇国イデオロギーレイシズムが声高に流通されている社会ではそうなるのか。
 朝鮮はWW1のどさくさまぎれで併合される。日本との国境がなくなったので、人の行き来が簡単にできるようになり搾取された朝鮮の人々が次々と来日し、集住地域を作るようになる。しかし、「外国人」の侵入と見た日本人は自然災害に乗じたヘイトデマによって数千人を殺戮するヘイトクライムエスニッククレンジングを実行した。大きな咎めがなかったので、日本の企業や軍隊が「外国人」を処するときに規範になった。植民地の制度が国内に持ち込まれた事例。

 

  

 

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2023/01/24 加藤陽子「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」(朝日出版社)-3 2009年に続く