odd_hatchの読書ノート

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福岡安則「在日韓国・朝鮮人」(中公新書)

 1910年の韓国併合によって、日本は朝鮮人を「臣民」とした。併合にいたる経緯とその後の植民地政策は以下を参照。
海野福寿「韓国併合」(岩波新書)
高崎宗司「植民地朝鮮の日本」(岩波新書)
 1945年夏のポツダム宣言受諾と無条件降伏は、この国には敗戦を、朝鮮には解放をもたらした。しかし東西冷戦と中国の内戦は朝鮮半島の政情を不安定にし、朝鮮戦争が起こり、二つに分断される。一方、日本国内には戦前から移住してきたもの、強制的に連行されたもの、戦後逃れて移住してきたものなど多数の朝鮮人がいた。1945年12月の外国人登録令で参政権をはく奪し、1952年4月のサンフランシスコ講和条約日本国籍をはく奪した。以後、この国は在留の朝鮮人に対し、同化でもなく抑圧でもなくあいまいで首尾一貫しない政策をとってきた。納税義務があっても参政権はなく、パスポートを作らせない一方指紋押捺を強要(1991年廃止)し、種種のセイフティネットの対象から外している。(同化でも抑圧でもないとすると、棄民であると自分は思う)。
 その結果、日本人からは朝鮮人はみえないものとされた。戦前の植民地政策などで醸成された差別意識は残り、ヘイトクライムから陰湿な差別まで、さまざまな行為や偏見が在日コリアンに浴びせられる。この日本と名付けられた国で日本人であることは民族や国籍を意識することはない。ところが日本人から理由なく民族や国籍で蔑称や嘲笑を受ける側からすると、それらについて強烈に意識することになる。

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 どのような意識にあるかを長年在日コリアンの聞き取りをしてきた社会学の研究者が見取り図を作る。著者は、以下の分類は定量的ではないし、明確な対立項をもっているわけでもないが、ある傾向を見ることが可能だという。
1.共生志向(共に生きる)・・・差別にあいやすい
2.祖国志向(在外公民)・・・在日コリアンの共同体のそととの関わりが少ない
3.個人志向(自己実現)・・・コスモポリタン志向
4.帰化志向(日本人になる)
 初出時(1993年)ですでにオールドカマーには3世、4世がいて(21世紀の10年代には5世、6世にもなる)、戦後にきたニューカマーがいる。在日コリアンと日本人はひとくくりにするが、出自や民族意識に違いがあり、これからの自分の在り方をどう規定するかもさまざまである。その多様性を日本人は知ることが必要なのであって、どれを選択しろという要請などするべきではない。むしろ、どの選択を選ぶにしろ、その実現が容易になるような制度や仕組みに変えるべきだろう(たとえば、21世紀の10年代においても帰化の手続きは煩瑣であり、審査での面談は申請者に屈辱的である)。なので、この見取り図は正しさの検証をするようなものではなく、在日コリアンがこの国にさまざまなことを要求していることを知るのに使う。
 残念ながら、21世紀になってからのように、大都市でヘイトデモや街宣が行われたり、地方都市で差別落書きが目立って書き込まれたり、ネットにヘイトスピーチが氾濫している状況になると、彼らの多様性を受け入れるどころか、日本人の差別行動をなくすことがより重要な課題となってしまった。経済成長に余裕があって、政治家や企業人がまっとうな人権意識をもっているころには、差別意識を表現することは抑えられていたが、そのタガが21世紀の不況と右翼政権によって外されようとしている。これに対応するやりかたは別書を参照。
 「共に生きる」は日本人による民族差別に対抗するスローガンであるが、これはマジョリティである日本人がマイノリティに寄り添うとか、マイノリティの権利を代弁するとか、マイノリティの運動を前面に出すとかを意味していないことに注意。民族差別はマジョリティの問題なので、社会を守るためにやる。そこが重要(野間易通「実録・レイシストをしばき隊」(河出書房新社)を参照すること)。「共に生きる」に過剰な意味を持たせることは不要で、隣にいることを受け入れるまでで十分。
(雑感。柄谷行人は国家は他の国家があることによって作られるということを繰り返し言っているが、ピンとこなかった。でも本書を読んで氷解。強い国家があって、その圧力を受けることによって、民族(本書ではエスニシティ)と国籍(本書ではナショナリティ)を意識し、自己のアイデンティティを作る。その過程が本書の様々な人の聞き取りにある。日本人のエスニシティナショナリティも普段はほとんど意識する必要がなく、「日本人」という概念が常にあいまいであるのはそのせい。「日本人とは何か」が強く意識されたのは、この国では明治維新の前後と敗戦から講和条約までの間でなかったかな。そのくらいに我々「日本人」のナショナリズムは曖昧模糊としている。)