odd_hatchの読書ノート

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文京洙/水野直樹「在日朝鮮人」(岩波新書)-1

 在日朝鮮人の問題を歴史的にみる。明治政府以降の日本がどのような政策を朝鮮に取ってきたかは以下のエントリーを参考。これらには日本国内の事情はほとんど書かれていないので、本書で補完することになる。
2017/05/25 海野福寿「韓国併合」(岩波新書) 1995年
2017/05/24 高崎宗司「植民地朝鮮の日本」(岩波新書) 2002年
 本書が刊行されたのは2015年。日本国内の民族差別や排外運動がきわめて多数行われている時期。

第1章 定着化と二世の誕生──在日朝鮮人世界の形成 ・・・ 1876年の江華条約から日本は朝鮮に干渉するようになった。しばらくは朝鮮人はほとんど日本にこない(黒岩涙香「無惨」1889年には中国人街ができているのと好対照だが、日清戦争をきっかけに中国人入国は禁止ないし制限)。1897年が最初の多数の労働者を迎えた(九州の炭鉱など)。以後、鉱夫、土建業などに使われた。1910年の併合で朝鮮人日本国籍にされたが、戸籍では区別される。朝鮮では工業の雇用がなく、公務員にもなれないので、中産階級からその下は機会を求めて日本に移動。しかし渡航制限があって、簡単には日本に移住できない。それでも1920年ころから在日朝鮮人が増えた。日本の警察や行政は「朝鮮人危険」のプロパガンダを行っていて、その結果が関東大震災時の虐殺。
アーレント「全体主義の起源」などによると植民地は本国の階級階層などがないので、実験的な制度をつくることができる。それは三権分立を確立するように働くが(アメリカ)、レイシズムを強化して差別と監視の体制をつくる(インドや南アフリカなど)こともある。日本の朝鮮統治は後者にあたる。アーレント帝国主義の官僚制は、政治・法律・公的法的決定に代わって行政・政令・匿名の処分による支配形態というが、これも実践された。すなわち、朝鮮人渡航制限は法的根拠を持たない。現地の官僚による行政や政令で行われたのだった。それを本国は統制せず、官僚制が強化される。列島ではほとんど実施例のなかった治安維持法は朝鮮では実施されたのだった。そして植民地の統治形態は本国の政治や政策に影響を与え、本国のレイシズムを強化する。)

第2章 協和会体制と戦争動員 ・・・ 次第に朝鮮人労働者が増え、失業などの問題が生じる。世界恐慌で渡日は減ったが1933年ころから増加に転じる。強い渡航制限と朝鮮内の皇民化同化政策で対応した。しかし1939年から渡航制限はそのままに、強制連行・強制労働が開始された。この時期の在日朝鮮人は67万人と推定され、徴用が激しくなった1945年敗戦時には200万人強の朝鮮人が渡日していた推測される。徴用工・連行された労働者は居住・職業移転の自由がなく、送金も制限された。おもには炭鉱、金属鉱山、土建、工場などの厳しい労働が強いられ死者が多数でた。
 1930年代には朝鮮人の中からも成功者が出るようになり、集住地区のまとめ役などになり、参政権もあったので一時期は衆議院に議員がいたりもした。日本政府や官憲は官製の組織を作って彼らを監視し、子どもらには民族教育を認めず皇民化同化政策がとられた。集住地区のなかでは階層分化が起こる。
(前の章の感想で書いたとおりのことが起きていた。すなわち、植民地の政策が本国で採用された。またこの政策の一部は現在まで続いている。たとえば顔写真付きの在留カードの形態など。21世紀の極右や排外主義者の主張はこの時代の警察や特高などの公安政策に由来している。例えば通名反対、朝鮮人の土地所有不可など。なお、20世紀前半、植民地朝鮮からの渡日は制限されていたが、条件があえば渡日は可能であった。それを望むものがたくさんいるというのは、植民地で就業や居住の制限が厳しく、機会を得られなかったり、資産を奪われたりした人が多数いたことを意味する。先に渡日した人は生活が安定するば家族を呼び寄せることができたので、これによって在日人口が増えたりもした。)

 最初の二つの章は戦前。

 

2022/05/18 文京洙/水野直樹「在日朝鮮人」(岩波新書)-2 2015年に続く