odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

開高健「生物としての静物」(集英社文庫)

 タイトルは「いきものとしてのせいぶつ」と読む。著者が書斎とアウトドアで精選し、使い込み、壊し、修理し、繰り返し購入して、ほとんど身体そのものになった<もの>をメーカーやブランド、商品名といっしょに紹介する。ものはほとんど身体であり、各所に記憶を蔵している。書斎で、これらの<もの>を前にして語るとき、作家は人生を振り返ることになる。まずは、敗戦後の焼け野原で腹をすかし、社会を憎悪し、しかし力を持たないぼろを着た中学生の姿からだ。そうして、とくにベトナム戦争の最前線に出た記憶を何度も反芻し、最近のアラスカやアマゾンその他での釣りの記憶をよみがえらせる。

 そういう契機になった<もの>のリストは以下の通り。
生物としての静物/ラッキー・ストライクよ永遠に/書斎のダンヒル、戦場のジッポ/グェン・コイ・ダン少尉とオイル・ライター/哲人の夜の虚具、パイプ/七日間ごとの宝物、ウィーク・パイプ/小さな、偉大な戦士ウェンガー・ナイフ/パンパスの野点肉料理アサードの鞘付ナイフ/インディゴ・ブルーの秀作、ジーンズ/サドル・レザーのベルト、しなやかで寡黙な友情/この一本の夜々、モンブラン/カユイ、かゆい、痒い モスキート・コイル/ヘヴィー・デューティーの極、軍隊用品の細徹/開高流アウトドア、砂糖キビの帽子/超薄型の、蓋付の、懐中時計はいいもんだ/聖書・百人一首言海…旅の夜の白想を遠ざける/なんとなく、忘れにくい小物、タリスマン/亜熱帯夜を噛みしめる、ビーフ・ジャーキー/救われたあの国、あの町 正露丸梅肉エキス/煙りの向うの後味を聞くグラス、阿片、そして…/水辺に立つ釣師のバッグの中身、あれ、これ/使わなかった物、指紋をつけなかったもの/道具としての人体、修練の果ての機能美/釣師と釣具、あるいは深くもつれあうもの
 作家が物を評価するときの基準はまず使用価値。うまい、便利、壊れない、効果が高い、携帯しやすい、などなど。作家は書斎やアウトドアで同じ使用価値をもついろいろなメーカーのさまざまな商品を、とっかえひっかえ試す。長年の経験から、使用価値の低いものはおのずと選択肢から消える。代わりに長年使用しているうちに、ものは身体の延長になり、記憶をとどめる装置になる。そこまで来ると手放せなくなり、他人に推奨し(ときに押し付け)、コレクションに加える。そのような<もの>の共通性を見ると、使用価値に優れることに加えて、いくつかのポイントが見えてくる。例えば、(とくにデザインで)シンプルであること。ごてごてした飾りや無用な機能がついていない。使用価値を達成するための機能のみに特化。そして製作者の矜持があること。流行り廃りやブームにのらずに、最初に設定した<もの>のコンセプトを変えない。結果としてロングセラーで、どこでも入手できる、高級な品がならぶ。
 作家が書斎で書いた博物誌。個室で孤独でいるときに、<もの>を思いだす。それはすなわち半生の振り返りであり、断片的な自伝になる。この人の書いたエッセイ群のなかでも異色のできばえ。美しい挿絵といっしょに、これは繰り返し楽しめる。
 ものを集めるのが好きな作家はほかにもいて、たとえば都筑道夫。小説のなかには、めずらしいおもちゃ、ゲーム、マジック用品などが登場。あるいは、ギミックのついた時計とか、流行のTシャツを身につけさせたり。こちらは使用価値は二の次で、ギミックの面白さ、制作者のアイデア、実現するための技術に着目する。あるいは荒俣宏。この人は古本の収集家でもあるが、美術品ではない骨董に興味を持つ。こちらも使用価値には目もくれず、多数の人の手を経て壊れずに現在まで残ったものを珍重する。
 このような3人のものに関する蘊蓄を聞くのは楽しいこと(ただ、それは熟練の書き手が書いたものであるからで、熱意のない書き手による 丹生谷貴志「天使と増殖」(朝日出版社)などは熱心に読めない)。とはいえ、自分がそのような<もの>をもつことに執着があるかというとそうではなく、生前整理のつもりで過去に集めた<もの>を処分している。下手な写真を残しておくだけで、記憶がよみがえるので、それでいいや(というか写真をとったとたんに、ものに対する執着がきえるようになったのだよな)。