odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

開高健「フィッシュ・オン」(新潮文庫)

 1969-70年にかけて、作家がカメラマン秋元啓一といっしょに世界をめぐって釣りをした記録(文庫のカバーデザインは柳原良平なので、作家の知己が集まっている)。週刊朝日に連載されてのちに単行本にまとめられた。
 1968年に西ドイツの釣具店でルアーを教えられる。それから病み付きになり自己流で研鑽しているうちに、世界中の有名な釣り場を巡ろうと野望を持つ。それに週刊誌が載って実現した。なにしろドルが変動相場制に移行したのは1971ね12月のこと。1ドル=360円という円安は気軽な海外旅行をする高い壁になっていた(逆に1960年代の高度経済成長期には、この固定為替がこの国の輸出産業に有利に働いた。政治的な円安政策で、海外では競合製品よりも安く販売することができた。変動相場制の直後にオイルショックになり、この国の高度経済成長は終了する。ただし、高度経済成長の終了は貿易収支に原因があるのではなく、人口の都市流入が止まったほうに理由があるとされるのが一般的な見解)。閑話休題

 そこで世界各地にいく。訪れたのは、
アラスカ/スウェーデン/西ドイツ/ナイジェリア/フランス/ギリシャ/エジプト/タイ/日本
となる。これが当時の「世界」。東欧、ロシアが丸ごと除外。中国、韓国、朝鮮、台湾、ベトナムの東アジアも入出国が難しい。アフリカとアラビア、南アメリカ軍事独裁政権の抑圧や内戦や飢餓などで危険であった。オーストラリア、ニュージーランドは大物のいそうな釣り場がないので対象外。21世紀からすると、この国の人が訪れることのできる「世界」は実際の陸地の3分の1くらい。そこで起きていることがこの国に関係していて、それ以外の土地や場所のことは知らないで済ますことのできるような時代だった。目次にある地名を眺めるだけで、あのころの「政治的状況」が髣髴する(のは自分が同時代を生きて知っているから)。
 各地のサケやマスなどをどのように釣ったか(釣れなかったか)は触れない。達意の文章で、人情の機敏と瞬間の躍動を読んで追体験するに限る。
 そこで別のことに注意してみよう。アラスカ、西ドイツやアイスランドでは、釣りをするには自治体などで許可を得なければならない。そこには細かい規則があり(三本針はだめ、一本針に改造しないといけない。一日の釣果には制限があり、サイズに合わないものは放流しないといけない。ときには立ち入りできるエリアも制限されるなど)、ガイドや民宿経営者らは旅人に穏やかではあるが毅然と対処する。その時期に注目。この国ではその種の規制は1980年代になってからと記憶し、公害防止条例からの延長で施行されている。西洋諸国では、公害問題はまだ深刻ではなく(アドリア海水俣病に似た病気が発見されたとか、酸性雨で森林破壊が進み対策が始まるなどは1970年代後半になって)、作家の訪れる釣り場は美しい。しかし上記のような厳しい制限がある。これは所有権が強いことと、水利権の争いが中世から延々と継続していることと、19世紀のナショナルトラスト運動などの影響などで説明可能だろう。なので釣り場に限らず渓流や海岸の景観は守られている。
 一方、この国ではこのレポートのように「穴場」が紹介されると、無数の釣り人が殺到し、「やらずぶったくり」で釣った魚も持ち帰り(「キャッチ・アンド・リリース」は作家が最初に紹介し、実行を訴えたという)、ごみを捨てて渓流や森林や海岸を破壊する。それはプロの漁師が海外の漁場で行ったことでもある(岡村昭彦「南ヴェトナム戦争従軍記」岩波新書)。西洋ではミミズを餌にして釣りをするのを「土ン百姓(ママ)釣り」と軽蔑する(釣り人が魚よりもはるかに有利で、スポーツマンシップと無縁だから)のだが、この国では食べない魚、これから育つ魚も持ち帰り、廃棄する。他人やあとのことを考えず、自分の利益と満足を満たすことばかりする。そのさもしさ、精神の貧困に唖然とし、激しい嫌悪と侮蔑の感情を持った。釣りはやるものではなく読むもの(それもできるだけ古いものを)、と独り決めした。初読から35年以上たったが、一度も釣りをしたことはない。