odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

小酒井不木「短編集」(別冊幻影城)

 1978年3月刊行の「別冊幻影城3」小酒井不木集から短編を読む。  「恋愛曲線」(ちくま文庫)には収録されていない短編もある。タイトルの前に★をつけたもの。

痴人の復讐 (1925) ・・・ これは別冊幻影城にはないので、「日本探偵小説全集 1」(創元推理文庫)から。愚図でのろまと罵られている男性医局員。とても効果的な復讐方法を思いついた。なんというか、そこまで仕事と行動性向が合わないなら(この人、ADHDみたい)転職を薦めたほうがよかった。一方、復讐の矛先が若い女性という弱者に向けられるのがよろしくない。

呪われの家(1925) ・・・ 妊娠3カ月の女が殺され、地面に「ツノダ」と書いていた。そのような人物は関係者にいない。露原警部は自分の開発した「特等訊問法」を容疑者に使うことにする。彼らの意外な関係。1925年、デビュー直後。うーん、障碍者の描き方が微妙。21世紀にはアウト。

三つの痣(1926) ・・・ サディズムの法医学者、解剖医の告白。犯人に自白をもたらすために、被害者の腸の蠕動運動を見せる心理的拷問を行うことにした。被害者感情を優先すると容疑者の人権を無視するのだなあ、という過去の在り方に反省することになる内容。

人工心臓(1926) ・・・ 科学者以外では生気論が優勢だった時代に、極端な機械論者が結核治療のために人工心臓をつくる。妻が結核で死亡したので最初の人工心臓装着者となった。しかし・・・。機械論者はデカルト心身二元論の罠にはまった。記述のほとんどは「科学」的な記述(誤り多数あり)。そこより妻が男の欲望実現のために奉仕する、自己犠牲をいとわないというところが気に入らない。

★直接証拠(1926) ・・・ 借金のかさんだ西村博士は高利貸しの岩井を研究室で殺した。その際、指を傷つけた。岩井の甥は博士の研究室にはいって証拠を探す。7年目に直接証拠を発見した。ああ、だめ。これはアウト。ちくま文庫に収録されなかったのは当然の内容。

★稀有の犯罪(1927) ・・・ まんまと宝石を盗み出したが、手入れに会って宝石を飲み込んだ一人が殺された。残り二人は司法解剖に紛れ込んで、取り戻そうとする。うまく塊を持ち帰ったのだが・・・。ルヴェル流の皮肉でグロテスクな犯罪小説。

恋愛曲線(1926) ・・・ 心臓を研究する生理学者が友人の結婚祝いで、手紙と恋愛曲線を送る。これもルヴェル流。語り手のマッドサイエンティストと心臓提供の女性のマゾヒズム。世俗の名誉や資産への嫌悪。死への憧れと甘美への倒錯。

新案探偵法(1926) ・・・ 生理学者の奇妙な実験。犯行の遺留品をつかって犬に条件反射をつくる。容疑者と犬を面会させれば、犬の反応が変わるはず。試してみたが・・・。パブロフの条件反射が当時の最新知見であって、生理学・心理学の双方から興味を持たれていたのだろう。

★汽車の切符(1926) ・・・ 捨てた女の行方を見つけるために、自殺を偽装して、別人になりすます。ようやく本懐をとげたが、新聞に「真犯人逮捕」の記事が出た。気になって犯人の住まいを探ることにする。これもルヴェル流。ミイラ取りがミイラになる。女性の警察官(それも捜査課)はこのころからいたんだ。

★三つの証拠(1926) ・・・ 自分を捨てた女に復讐するために、綿密な殺害計画を立て、十分に練習を積んだ。やり遂げたのだが、すぐに露見した。どこに誤りがあったのか。

好色破邪顕正(1928) ・・・ のんきな青年がタイトルの古本を買って帰宅する途中、女が倒れていて介抱する。その女はある殺人事件の有力容疑者。美貌と義憤にかられて青年は探偵の真似事をする。探偵小説の形式に乗っ取っているが、主題は青年の心の移り変わり。

闘争(1929) ・・・ 日本精神医学会の雄、毛利先生(脳質学派)と狩野先生(体質学派)が論争していて突然終わってしまった。ある事件で検死の依頼が毛利先生に来る。興味をもって調べると、意外な事実が。この先に、夢野久作ドグラ・マグラ」、小栗虫太郎黒死館殺人事件」があるのだな。芥川の自殺(「唯ぼんやりした不安」が作中に引用)、ニーチェが出てくる。当時の知識人の関心のありかがわかる。

愚人の毒(1926) ・・・ すぐに露見することから愚人の毒と称される亜ヒ酸を使った犯罪。その露見に至る顛末。解答編だけでできた探偵小説みたい。


 著者は生理学者、血液学者。渡欧中に結核で吐血。帰国後、探偵小説談を書いているうちに、森下雨村に見出され、江戸川乱歩二銭銅貨」発見のひとりとなり、創刊された雑誌「新青年」で創作を発表する。このとき35歳。以後4年間で100編以上の短編と一つの長編を書いて、39歳に急逝肺炎で夭折。
 いわゆる短編探偵小説の形式に則った作品はひとつもない。犯人あてや意外なトリックには興味を持たない。主題にするのは犯罪者の心理。おりから近代心理学が紹介されたのか、犯罪に至る過程や露見までの緊張など。そこに著者の専門だった医学知識を書く(場合によってはほとんどが蘊蓄の場合であることも)。そして、人間の残酷さ、冷酷さ、エゴイズム、その反転である滑稽さを描く。私小説が自己露出であるとすると、小酒井の書く犯罪小説は露出する自己を隠そうとする二重性を暴く、といった趣か。
 なので、大半の小説は告白。犯罪者や探偵がすでに終わった事件を語りまくる。全編はモノローグ。告白は知的であるとされていたので、医学や心理学の蘊蓄とあわせて、エリート学生や高級サラリーマンに受け入れられたのだろう。モノローグなので、他者はいないし、対話もない。その分、探偵小説の勢いや知的快楽には乏しい。
 そのような構造よりも、書かれている内容が気になって。サマリーに書いているように、1920年代に問題がなかったことが21世紀には差別意識を反映した内容になっている。書かれた時代を斟酌しても、見過ごしがたいものがある。なので小酒井の小説を今日再読するのは極めて厳しい。さらに、分子生物学以前なので、書かれている科学的知見には誤っているものがある。それも落とさねばなるまい(「恋愛曲線」「人工心臓」「闘争」)。読めるのは数編(収録作品の中では「汽車の切符」「新案探偵法」「好色破邪顕正」「愚人の毒」)。