odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

筒井康隆「やつあたり文化論」(新潮文庫)

 1975年に週刊誌に連載。そのあと単行本化。
 1975年をこの本をベースに思い出すと、どうやら不況でインフレも進行しているころ(OPEC原油価格を従来の数倍にあげて、製造原価や光熱費などが値上がりしたのが理由)。年収1000万円が高額所得者の基準になっていた(当時の大卒初任給は10万円に満たない)。カラーテレビに普及率が94%。単行本や雑誌が売れていて、マスコミの影響力が大きかった。田中角栄が前年に失脚し、ロッキード事件が話題になっていた。こういう羅列ではあの当時の空気とか気分はあまりよみがえらないな。角栄日本列島改造論とかその前からある全国総合開発計画による全国の工場化や人口の流動化(それによる核家族の推進)などがこのあとの経済にうまくあてはまらず、無駄な投資と遊休資産になって、そのつけが21世紀に噴出している感じか。さまざまな問題があっても、棚上げにして、後回しにするのができていたころ。あのころの明るさ、能天気さの背景にはそんなのがあった。昔はよかったなあ、といえない老人の繰り言でした。
 そのような時代に、タイトルの通り、毎回世の中に腹を立て、やつあたりの痛罵や罵倒をしていくという趣向。俎上に上がるのは、なれ合いになった芸能や大衆、マスコミ、文化を大事にしない企業や政府、高い税金、教養人といったところ。個別の問題で著者の主張を細かに聞いても仕方がないので、ざっとまとめると、
・文化や芸事の当事者が観客をなめていて、作品の質を落としている。
・政府や企業は文化に興味を持たないので、文化が根付かない。
・マスコミは新しい文化を勉強していない。古い基準でしか文化を評価できないので、たいていとんちんかん。
・文化や芸事を消費する側は、教養がないし、創作者などに敬意を払わない。
あたり。他のところでも、ドタバタやスラップスティックなどを楽しむためには常識が必要、それをわきまえているから、常識を覆したり笑ったりするギャグを楽しめるといっていて、本人はいっていなくても「教養主義」の主張と読んだ。当然著者には教養による徳育とか人格修養などという目的は共有していない(そういう古い教養主義の人を痛罵する)。情報を入手して意思決定する基準、人生の生産性をあげるツールとしての教養を持つようにと(婉曲に)言っている。そこには同意。
 また著者の博物学者としての観察と分類が載っているのも楽しい。当時の社会では視線を向かい合わせるのはマナー違反だったそうだ。ときに偶然人と人の視線が合ってしまうことがある。そのときどちらかが視線を逸らすのだが、著者は視線の動く向き(5種)とスピード(3種)のマトリックスをつくり、それぞれの意味を解読する。そのときの心理をセリフにまでするサービス。ああ、こういう観察ができる人なのだなあと感心。著者は俳優を目指していたこともあって、演技が好きというから、演技をつくる技術としてこのような観察をしているのかしら。
 全集18には1975-76年に個別に書かれたエッセイも載っているが、特に重要なものはなかった。