odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

小泉文夫「音楽の根源にあるもの」(平凡社ライブラリ)

 この国では明治維新のあと、西洋音楽を普通教育に取り入れた(堀内敬三「音楽五十年史 上・下」講談社学術文庫に詳しい)。
堀内敬三「音楽五十年史 上」(講談社学術文庫)
堀内敬三「音楽五十年史 下」(講談社学術文庫)
それによって、軍歌や唱歌、童謡などの合唱運動がおこり、国民が一緒に歌えるようになった。映画、ラジオなどのメディアの普及によりコンテンツには西洋音楽が使われるようになった。西洋音楽を聴いて衝撃を受けた知識人は、西洋音楽をこの国やアジアの音楽よりも優れている、また教養の音楽は民衆音楽よりも優れているものと啓蒙した。そうした風潮の反映か、昭和40年代にはピアノとオーディオ機器がたくさん売れるブームになった(山本直純「オーケストラがやって来た」実業之日本社に詳しい)。

 でも、そのようなあり方はこの国の音楽を貧しくしている、と著者はいう。すなわち生活と音楽が乖離して、自由闊達な音楽(新作を作るとか即興するとか、何よりコミュニティで共有する)を失っている。日本音楽の良さがわからなくなっている、自分をみないし自分のまわりをみない。テレビの普及は音楽の想像力を失わせている。なるほどみかけでは音楽は町と家にあふれ、常に何かの音楽が聞こえている。それは上と照らし褪せてよくないことだ、という。似たような国家の近代化で自国の音楽を冷遇し、西洋音楽一辺倒にした国にトルコがあるが、同じような問題を起こしている(ただし1970年前後の話。現在がどうなっているのかは自分にはわかりません)。

 そのような主張をするのは、著者の経歴や研究にあるといえる。1927年生まれで戦後に西洋音楽の教育を受ける。転機になったのは1957年から1年間のインド留学。インドの音楽の研究と楽器演奏の習得で、インド音楽に開眼。そのあと音楽民俗学の研究を開始して、世界のさまざまな地域に出かける。そこで聞く音楽に魅了され、西洋音楽の規範でほかの音楽を評価することができないのを体験する。そこから、非西洋音楽を聞くことから、ほかの非西洋音楽の良さを発見していく。
 著者は小田実の同時代人で、海外に初めて出かけた時期もほぼ同じ。彼らのユニークなのは非西洋諸国を経験したこと。それが小田には民主主義の、著者には音楽の見直しや再評価につながる。荒っぽくまとめれば、西洋中心主義に対する異議申し立てであり、文化的な相対主義の主張になる(ここで注意するのは、民主主義や音楽研究の方法は西洋由来であるが、彼らはそれを利用しているところ。単純な排外主義やナショナリズムではなのだ)。小田の話はここまでにして、著者の音楽民俗学に戻そう。そうすると、著者は冒険博物主義の人であって、ぐいぐいと現地や現場に行って、そこで発見し、中間報告をする人だった。なので、この本には1963年から1975年までの文章や対談がいろいろ載っているが、面白いのは研究結果ではなくて、彼の見聞したこと。バリ島のケチャを住み込みで練習したり、台湾やボルネオの首狩り族の音楽を聴いたり、エスキモー(ママ)と一緒に生活したり、国内でも子供のわらべ歌を採集したり。このフットワークと、現場の奇想天外(に思えるのはこちらが西洋中心主義や西洋音楽優位のバイアスをもっているから)な出来事に捧腹絶倒したり感心したり、と主張や結論出ないところを楽しんだ。
 この本では点描的に書かれていないが、西洋音楽の教育がありメディアは西洋音楽しか流さないといっても、日本音楽の伝統があらわになるというのも面白い。森進一の声は新内であるとか、かまやつひろし「わが良き友よ」が民謡音階になっているとか。この人は歌謡曲分析もしていて面白かった記憶があるが、別の本に収録されているので、参照を。
 この国では民族音楽や民衆音楽を普及・啓もうする活動をした最初期の人だったように記憶する(もうひとりは非西洋のポップスを紹介した中村とうよう)。あいにく、1983年に57歳で若くして亡くなったので、バブル期のワールド・ミュージックブームを知ることはかなわなかった。まあ、コマーシャナリズム優先で沸き上がったブームには辛口の批評になったとおもうが。
 さて、最初に読んだとき(1997年)には夢中になって面白かったのだが、再読(2015年)したらそれほど楽しめなかった。それは自分が、この本のあとにワールド・ミュージックをいろいろ聞いて、非西洋音楽の楽しみ方を会得したからだろう。さすがに原著の初出から30-40年たつと、論文の古さもめだってしまう(当時は科学であるとされた角田忠信「右脳と左脳」の話があるとかも問題)。非西洋音楽の楽しさは多くの人に知ってほしいけど、これを入門書にするのは躊躇する、しかし著者には敬意を払いたいと思うと悩むなあ。