odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

筒井康隆「全集16」(新潮社)-1974年の短編「ウィークエンド・シャッフル」「如菩薩団」など

 1973-74年の短編。このあたりはさまざま出版社の原稿の取り合いがあったのか、複数の文庫に収録されている。「ウィークエンド・シャッフル(講談社文庫)」「おれに関する噂 (新潮文庫) 」など。


犬の街 1973.12 ・・・ 集金の金をもった青年が途中の駅で降りて、酒を飲み、犬にまとわりつかれる。「音楽学校に行ってさえいたらなあ」のリフレイン(「男たちのかいた絵」にもそういうやくざがいた)。リアルとファンタジーの境目が崩れていくふわふわした感じ。それに動じない青年への違和感。

熊の木本線 1974.12 ・・・ 田舎の列車に乗っているとき、髭男にタイトルの電車を薦められ、乗り換えの待ち時間の間に通夜に誘われる。酒がふるまわれ、座がくだけてきたとき、「熊の木節」を歌うことになった。著者の小説では、電車は異世界に通じる回路。この作、前の作、「乗越駅の刑罰」、「エロチック街道」、「夢の木坂分岐点」など。

YAH! 1974.01 ・・・ 低所得のサラリーマン夫婦、どちらの服を買うかで喧嘩になりそうなところに「家計コンサルタントの田中」が闖入してくる。田中は異なるごとにしゃしゃり出て、贅沢をいましめる。当時、不況とインフレが同時進行していたなあと時事を思い出すが、ここではどこからともなく登場して消えるキャラクター(たとえば「富豪刑事」の所長、「虚航船団」のキーパーなど)の前駆とみる。

生きている脳 1974.01 ・・・ 瀕死の男が体を生き延びさせる最後の方法を選択したら・・・・

モダン・シュニッツラー 1974.02・・・ 元ネタは、 シュニッツラー「輪舞」。舞台をウィーンから宇宙船に変更。そういえば、1980年ころみたアメリカポルノで、相手が順繰りに入れ替わってゆき、最後に最初の相手が出てくるというのがあったが、元はシュニッツラーだったか。35年来の疑問が氷解。

如菩薩団 1974.04 ・・・ 収入や家族に不満を持つ主婦8人がファミレスに集まって、高級住宅街に出かけていく。上品な言葉使いとその行動の齟齬。

その情報は暗号 1974.04 ・・・ 深夜のバーで情報部員が最高機密の情報を伝達する。

佇むひと 1974.05 ・・・ 小説を書き終えた作家が原稿を投函にでる(PCもワープロもインターネットも電子メールもクラウドもない時代)。猫の形をした植物を見かける。人の形をした植物を見かける。静かで恐怖の市民社会の終わり。「1984年」よりこちらのほうがリアルな「日本」のディストピアになるんじゃないかなあ。

ジャップ鳥 1974.05 ・・・ ローマで最近見つかった「ジャップ鳥」の話を聞く。日本人によく似た性向を持っていて、「おれ」は気になって仕方がない。小金をもった日本人が海外で悪名高かったころの話。

「蝶」の硫黄島 1974.06 ・・・ クラブ「蝶」に30年前の硫黄島守備隊の生き残りが集まる。酒で議論が興奮し、50代の男が騒ぎ出す。それにしらける戦後生まれのホステスたち。リアルとファンタジーがたった一行で入れ替わる。

さなぎ 1974.07 ・・・ こどもの父親への反抗に耐えかねた大人は「さなぎセンター(擬似睡眠センター)」をつくり、父の申告でこどもを数年間「さなぎ」にして洗脳できるようにした。父に反抗できず復讐心を強めていく息子。背景には全共闘運動ほか。「1984年」よりこちらのほうがリアルな「日本」のディストピアじゃないかなあ。あいにくこのシステムでは世代間憎悪は解消しなかった。

旗色不鮮明 1974.07 ・・・ 大滋県助駒市(ダイジケンスケコマシ)では政治的立場を鮮明にしないとサービスを受けられないのである。それを知らない「おれ」にある会から手紙が届き・・・。「おれ」は町から出られない。「1984年」よりこちらのほうがリアルな「日本」のディストピアじゃないかなあ。

ウィークエンド・シャッフル 1974.07 ・・・ 週末の一戸建て。順調に出世する夫、かわいい息子、立てたばかりの家。昭和の幸福が絵に書かれたような家で、ひとりきりになった妻に不意の客が。息子を誘拐したという電話、どろぼう、3人の同級生、夫の使い込みを見つけた上司などなど。全部で3つの死体。口に出せない不始末。でも、全部うまくいきました。ひとつのセットにひとりの人物。そこに人がどんどんやってきて主人公がどんどん混乱、困惑していくという劇作の作法で書かれた一編。技術にうなるとともに、中流サラリーマンの幸福のあいまいさ、いかさま性を暴き出す。傑作。この地と図が反転したのが「毟りあい」。1982年に中村幻児監督で映画になった。

弁天さま 1974.09 ・・・ 狭い家に弁天さまが突然やってきた。福を授けるために、妻と子供の前で交合するという。え〜、そのシーンでは××ばかりの伏字になって、戦前の検閲を知っているので爆笑するのであり、また「虚人たち」「驚愕の曠野」の文字脱落の遥かな先駆であることを確認できる。あわせて「YAH!」「死にかた」「ヒノマル酒場」「平行世界」のような日常に異なるものが来訪するシリーズのひとつ。

五郎八航空 1974.10 ・・・ 無人島の取材に出たライターとカメラマンが台風の直撃にあう。明日朝には東京の会社に出社しないといけない。そこでガイドにも載っていない飛行機に乗ることにした。イラストレータ和田誠の監督作品「怖がる人々」第5話で実写化。

喪失の日 1974.12 ・・・ 24歳の童貞経理社員が初体験することになる。気もそぞろになった青年は仕事中に妄想を展開していって。若い読者には、この時代にはAVはないし、ネットもなくて、頼みはピンク映画と青年雑誌の童貞喪失記事くらいだったということを説明しておかないと。


 このころの短編で目に付いたテーマは、暴力とディストピア。前者は自覚的で、後者は結果としてあらわれた。当時の現実を誇張すると、とんでもないディストピアになる(21世紀では現実を誇張すると地獄になる)。