odd_hatchの読書ノート

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フョードル・ドストエフスキー「作家の日記 下」(河出書房)-1(1877年上半期)「おかしな人間の夢」

  下巻は1877年から。近東問題は急を呼び、ついには露土戦争の開始にいたる。

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 そこでドスト氏は、汎スラブ主義と反ユダヤ主義を強く主張するようになる。ことに3月号は前編が愛国主義的な論。すなわち、この戦争は政党であり、コンスタンチノーブルはロシア領にするべきであり(かつてギリシャ正教の本拠地があり、モスクワに移転した経緯があるので、聖地奪還の意図があるのだろう)、国内ユダヤ人はロシア人の権利や自由を踏みにじるというのだ。こういうヘイトスピーチを読むのはつらい。そういえば、ドスト氏の小説内でもスラブ民族以外の民族出身者は侮蔑的な表現をよくされている。ドイツ人やフランス人などには甘くとも、ポーランド人、中近東出身者、韃靼人(ママ)の扱いはひどい。5・6月号では、1528年版ヨハン・リヒテンベルゲルの予言の書に現在(1877年)のロシアの実情が書かれているとする(「ノストラダムスの予言」のロシア版か)。ドイツはプロテストの国、それもローマ帝国の時代からという。やれやれ。
(加えて、ドスト氏は子供や幼女への折檻や暴力を強く否定し、ハラスメントに抗議する。それをいうかたわらでは、バルカン半島に住むイスラム教徒や国内に住むユダヤ人の排撃を主張する。こういう考えは一貫しているとは思えない。ドスト氏はどう折り合いをつけていたのか。)
 1月号ではフランスに対する無茶な議論。すなわちフランスはカトリックに洗脳されていて、革命の「自由・平等・同胞愛」のスローガンもカトリック無神論者にいわせたものであるとも。というのも、カトリック=フランスは、理念と実態があっていないし、直す力もないから。社会主義カトリックへのプロテストであるが、強制的な人間の結合を押し付けるダメな思想である。これは「地下生活者の手記」からの一貫したドスト氏の主張だ。ドスト氏は反カトリックで、そこから反ヨーロッパ。若い時は社会主義がヨーロッパの中にある西洋批判であると思っていたが、ロシアの民衆を発見することで、社会主義も欺瞞であると見限った。そういう思想の変遷があったと、「作家の日記」から読む。


 1月の「古い思い出」には、ドスト氏のデビュー時の思い出が書かれている。「貧しい人々」を読んだネクラーソフが激賞し、批評家ベリンスキーに持ち込む。3日で読んだベリンスキーも激賞して、ドスト氏を呼んで励ます。22歳のドスト氏。ペテルブルグの文学青年たちの青春。


おかしな人間の夢(4月) ・・・ ふいに世界が存在しようがしまいが「おれ」にとっては同じことと啓示を受けた男。雨の後の靄の中、空を眺めて星をみつけたとき、自殺することを決意した。八つくらいの女の子がひじをひっぱり、「お母ちゃん」と叫ぶ。部屋にもどってピストルをテーブルに置いてその時を待つうち、女の子の存在と生が重要なものに思え、「おれ」の独我論が通用しないと悟る。そのまま眠りに落ち、ある存在者の案内で無限の空間を移動し、はるかに太陽と地球を見る。そのとき地球愛がめばえ、真の愛は苦痛を通じてのみ味わえるという大悟となる。ある存在者は労働と家族のない社会で永遠の生を楽しんでいたが、「おれ」の存在が彼らを侵食し(いまわしい旋毛虫@罪と罰のように)、うそを愛するようにしむけてしまう。それから彼らは堕落をたどり、「おれ」の哀願に耳を貸さない。その時目が覚め、「おれ」は大悟を伝道する決意を固める・・・
 不思議な味わい。冒頭の自殺にいたる心理は前年10月の「宣告」に等しい。夢の中で離れたところから太陽と地球を見て、地球愛を見出すところも同じ。この地球も、リアルな人々の集まりとしてではなく、抽象的てあいまいな観念であるところも同じ(「宣告」では人類愛だった)。なお、「おれ」は超越者といっしょに「無限の空間」を飛翔しているのだが、この時代(1877年)には暗黒な無限空間が宇宙であるというイメージが定着していたらしい。この直後には「エーテル」などもあったので、宇宙は真空ではなく何かが充満していたのだ(そういえばポオ「ハンス・プファアルの無類の冒険」1835年も空気が充満している宇宙空間を気球で移動するのだった)。
 そのあとの「ある存在者」の堕落がよくわからない。「作家の日記」の前後の記述をみれば、無垢で清浄なギリシャ・ローマの時代がキリスト教カトリックに汚染されていったメタファーであるのかも。嘘が情欲、嫉妬、残忍を生み、邪悪から科学が出現し、互いに争うようになる。義人(ただしいひと)が警告したが、彼らは石で打擲したというエピソードが裏打ちになる。「おれ」は彼らに悔悛を懇願するが、彼らは嘲笑して拒絶する(「賭博者」「夏象冬記」などを参照)。夢の後、「おれ」が真実を伝導するという。真実の内実は、彼らが生命よりも知識を重要とみなし他のは誤りであり、真の愛は苦痛を通してのみ味わえるということを普及することであるとなると、これはドスト氏の信念(およびこれまでの探究の成果)にほかならない。
 あいまいでなんとでも寓意を見出せそうでありそうだが、自分はドスト氏の反ヨーロッパのメタファーであると見た。さて、専門家はどうみているのか。
米川正夫は「ドストエーフスキイ研究」全集別巻で、

キリスト教は長い世紀を経るにしたがって、ギリシャ(ロシア)正教として残り、ローマ帝国はローマン・カトリック教に変形し、最後に社会主義と提携した、というのがドストエーフスキイの論旨である(P192)」

といっている。だいたい上の見方にあうな。)
フョードル・ドストエフスキー「おかしな人間の夢」(米川正夫訳)