odd_hatchの読書ノート

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伊藤計劃×円城塔「屍者の帝国」(河出文庫)-1 19世紀のエンタメを総動員した聖杯伝説の物語。

 著者名がふつうと異なるのは、伊藤計劃がプロローグを書いたところで亡くなり、そのあとを円城塔が続けたため。書いた分量は円城塔の方が多いが、クレジットとおり、二人の「合作」とみるべきだろう。
 この作品はさまざまな先行作品を利用していて、もちろん知識なしで読んでもいいが(とはいえ「霊素のインストール」などがでてくるから、ある程度のオタク的な知識は必要)、知っているとより面白い。とくにシェリー「フランケンシュタイン」とドストエフスキーカラマーゾフの兄弟」は必読。それ以外にも19世紀のエンタメ作品が登場し、18世紀末からの科学史(とくに博物学と進化論)は知っておくべき。また実在の人物も登場するので、彼らの名が出てくるたびに何をしたか何を主張したかがすっと思い出せるくらいになっていたほうがよい。細部にこだわるなら、そういう事前準備をしておこう。

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 小説の社会は我々の知っている社会の地続きではあるが、すこし異なっている。18世紀末のメスメルが主張した動物磁気説(と言われた瞬間に内容を思い出せるくらいであってほしい)が発展して、人間の「霊素(スペクター:この言葉に当然007も思い出すこと)」を死者にインストールすることができ、「屍者」として奴隷労働をさせることが可能になった。おりからも英ロの帝国主義競争がヨーロッパの辺境で起きていて、軍事的政治的経済的野心がぶつかりあっている。そこにおいて、英国諜報部は若い医学生ジョン・ワトソンを抜擢して、アフガニスタンに派遣する。「屍者」の秘密を知る男と接触するために。そこで明らかになったのは、「ザ・ワン」という謎の存在と、「ヴィクターの書」に書かれた謎。これをもとめて、ワトソンは、アフガニスタン、日本、アメリカ、英国と世界一周の旅をする。
 サマリーに熱をいれるつもりにならなかったのは、このストーリーが昔ながらの聖杯伝説であること。ジョン・ワトソンひとりがエージェントになったが、記録媒体のフライデーに、アフガニスタンの冒険旅行をしたバーナビーが道連れになり、レッド・バトラーとハダリーがさらに加わり(以上のメンバーの元ネタがすぐわかるくらいの知識があるといいね)、と旅のメンバーが順次増えていくのは冒険ものの常道。もうひとつはメアリー・シェリー「フランケンシュタイン」の後日談になっていること。怪物(monster)を作った人の名前を思い出せばいい。
 そして次第に、世界転覆を企む組織が現れてきて、過去から暗躍しているのが分かり(過去の歴史を陰謀団の暗躍で読み替えられる)、組織と頂上決戦を行う。そこに至るまでに、神や死に関する哲学的(にみえる底の浅い)議論が交わされ、主人公ワトソンは存在の不思議に直面し、自分の存在理由に懐疑をもつことになる。まあ、そういう物語が語られる。
 ただ、通常の冒険譚、アタック・アンド・エスケープはここでは成り立たない。というのも、彼らの冒険を鳥瞰する「神」のごとき超越的な視点はなく、彼らの最終決戦でであう相手が「真」の敵や危機の原因であるかははっきりしない。英国諜報部と「ザ・ワン」の説明は食い違っているし、3年かけて世界一周したワトソンの仮説も確かめようがない。決定不可能で宙吊りな状態で、ワトソンは冒険から追い出される。そうなる理由が伊藤計劃の先行作に由来するものであり、あの先行作の後に書かれたのではあるが、先行作の前日談になっていて、ウロボロス的な仕掛けになっているのだと感心する。
 このように全編引用で書かれていて、ほとんどすべてのページに注釈をつけることができるとなると、そのような詮索好きの読者にはたまらない一作になるのではないか。

 

 

2018/11/02 伊藤計劃×円城塔「屍者の帝国」(河出文庫)-2 2012年に続く。