odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

ロバート・スティーブンソン「ジキル博士とハイド氏」(新潮文庫)

 尾之上浩司編「ホラー・ガイドブック」(角川文庫)は、19世紀の怪奇小説で「フランケンシュタイン」「ジキル博士とハイド氏」「吸血鬼ドラキュラ」をあげている。その選択はまことにその通りで(ポオホフマンディケンズに挨拶くらいはしてほしいけど)、20世紀のモダンホラーで取り上げられる恐怖がこの三作に代表されている。すなわち、人造生物であり、サイコパスであり、オカルト。言い換えると、理性で制御できない科学、無意識、超常現象となる。というのは読後の感想で、まず小説を読もう。

f:id:odd_hatch:20200424092516p:plain

 弁護士アタソンは、重要なクライアントであるヘンリー・ジキル博士の遺言書に重荷を感じていた。解剖学と薬学の権威であるジキル博士は科学的異端者と自認していて、このところ引きこもり気味。最近作成した遺言書には死亡ないし失踪したらエドワード・ハイド氏に全財産を譲るという(イギリスでは遺言書の効力は強い。 ロバート・S・メンチン「奇妙な遺言100」(ちくま文庫))。ジキル博士の実験室に自由に出入りするようになったハイド氏は、めったに姿を見せないばかりか粗暴で、すぐに人傷沙汰を起こすのだ。何度か会ったが、青白い小男で人相が悪く、不愉快な笑い方をして、殺気立った態度をとり、全体として出来損ないの印象を持つのだった。
 ジキル博士のほとんど唯一の友人は学敵といえるラニョン博士であるが、とうとう絶交した模様。ラニョン博士は死後開封すべしという封書をアタソンに残している。ジキル博士の屋敷の下僕プールがアタソンに主人がおかしな命令ばかりするうえ、実験室に引きこもって一週間にもなると泣きついてきた(このあたりの展開は黒岩涙香「怪の物」に似ている。あの時代は引きこもりは異常であることだったのだ。20世紀初頭の アンリ・バルビュス「地獄」(岩波文庫)の覘きが異常であるのと同じように)。扉をぶち破ると、ハイド氏の死体があり、博士は行方不明になっていた。博士の自筆による封書が残されていて、アタソンはふたつの文書を読み、真相に驚愕する。
 1886年にでたので、20世紀後半からのサイコパスホラーからすると、単純なストーリー。そのことに批判的に読むよりも、ロンドンという都市の夜や闇の描写をゆっくりじっくりと読もう。ガス灯すらない深い闇、スモッグで見通しのきかない中、石畳みに響く靴音、時折足もとに伸びてくる長い影、散乱したごみに廃墟、湿った大気にただよう腐敗や垢の臭い。そのような「風景」が恐怖を強める。
 ジキル博士の考えというのは、人間の二重性格に着目するもので、善と悪の相克があって、内部で抗争しているのだが、悪の部分を人工的に摘出・排除することで人間の精神は新たな段階に進むのではないか。そこで、「飲み薬」を作って、自分を被験者とする人体実験を行った。悪は摘出されたが、博士の修養や規律で制御してきた悪は矮小であっても、快楽や誘惑はとてつもなく大きい。悪のほうに生の充実を感じるハイド氏は悪そのものとなっていく(公共哲学からすると正義や善は社会の共通理解から生じるのであって、公共を破壊して社会から離反する個人の自由は悪になるのだ)。
 この手記を分析した評論はたくさんあるのだろう。読んだことがないので無視して、自分が気づいたことを箇条書きに。
・善と悪の区分はそれまで神様とか道徳とかに根拠があった。行為の良しあしは神様の意向にかなうかどうかとか、社会の共通善と一致しているかどうかなどで判断できたのだが、19世紀末にはいずれも善悪の判断の根拠にならない。神なき世界、共同体の道徳が無効になった世界にあって、よりどころになるのは科学であった。その科学ですら期待を裏切ってしまう(それは薬と製造した博士が社会から離反して閉じこもり、正義や公共善から離れたため。俺の個人的な意見では、科学活動の知見は正義や善から中立であるが、科学活動という個人の行動は社会の制約にあって、正義や善になり悪にもなる)。
・ジキル博士の方法は「飲み薬」を使うところ。およそ100年前のメアリー・シェリー「フランケンシュタイン」1818年がメスメリズムに基づく電流を使ったのと対照的。たぶん中国産の阿片など麻薬の蔓延が背景にあったのだろう。リアルのロンドンでも都市の闇には麻薬があった(オスカー・ワイルドシャーロック・ホームズがコカインをたしなむように)。
・人間の二重性格は、ポオ「ウィリアム・ウィルソン」ドスト氏「二重人格」のように19世紀の文学のテーマになってきた。言動と内面は一致していないし、主体にも統御できない内面があって、理性でも理解できないというわけだ。こういう理解が、都市や屋敷の観察から生まれる。エドワード・ブルワー=リットン「開巻驚奇 竜動鬼談」では部屋や屋敷に内面の闇が憑依して怪異を生んだのだが、こちらでは内面の闇が投影されているのは都市そのもの。夜が来て闇に包まれると、徳を失った内面が路上を疾走する。だぶだぶの服を着て夜の都市を歩くハイド氏は、1888年の「ジャック・ザ・リッパー」事件の犯人みたい(というか現実の事件がこの小説を模倣したような印象がある)。
・19世紀のもったいぶった文体は冗長なのだが、斬新なのはストーリーのほう。アタソンというカメラアイの持ち主が、父権を喪失しようとするジキル博士の周辺を探偵する。彼の見出すのは、ジキル博士の過去と隠していた秘密。これらが暴かれた時、事件は解決して、世界の不条理は雲散霧消する。都市や人間の闇を体現するジキル博士=ハイド氏を排除することで、理性は再び輝きを取り戻す。事件の性質はロス・マクドナルドの小説によく似ているし、探偵の性格も類似している。
 「フランケンシュタイン」「吸血鬼ドラキュラ」と並んで、繰り返し読むべきホラー。

 

          

 

 青空文庫に同じ訳者(佐々木直次郎)による「ジーキル博士とハイド氏の怪事件」がアップされている。

www.aozora.gr.jp


 文章には同じところがあって、微妙に異なる。新潮文庫版のほうが文章がこなれているように思えたから、文庫は改訂訳なのだろう。

 

 映画も。