odd_hatchの読書ノート

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ウィルキー・コリンズ「白衣の女 下」(岩波文庫) パーシヴァル卿とフォスコ伯爵の陰謀。それは二人の女性を苦痛にまきこみ、青二才の青年を自立させた。

2018/02/27 ウィルキー・コリンズ「白衣の女 上」(岩波文庫) 1860年
2018/02/26 ウィルキー・コリンズ「白衣の女 中」(岩波文庫) 1860年


 第2部の終わりに、ウォルター・ハートライトが帰還。期待通りにたくましい男になって、ハルカムとローラのまえに立つ。このあとは、ジェントルの娘で莫大な資産の持ち主であった二人の姉妹をここまで窮迫させた悪漢への仕返しだ。

第三部
ウォルター・ハートライトの話 ・・・ ハルカム嬢がローラを救出した顛末を話す。屋敷で別れた後、アン・キャセリックは病院に収監されたが、ローラがロンドンに来るころ、再び脱走し、伯爵の家を訪れて、心臓病の発作を起こしたのであった。ローラは顧問弁護士のところにいて、探しにきた病院職員によって収監されていた。ローラは記憶喪失を起こしていたので、病者ではないと言えなかった。ハルカムはローラを探し出し、職員を買収して脱出し、ハートライトといっしょに暮らすことにした。戸籍上ローラは死亡したので、資産はパーシヴァル卿のものになり、彼らは素寒貧。弁護士に相談しても、脱走したローラをその通りであると証明できないという(弁護士の語るプロットがアルレー「わらの女」にそっくり)。そこでハートライトは「パーシヴァル卿の秘密(それが暴かれたら身の破滅)」を探そうとする。手始めに、アン・キャセリックの育ての親と産みの親の話を聞く。どうやら「教会の聖具室(パーシヴァルとキャセリック夫人のあいびき場所)」に秘密があるらしい。そこには結婚登録簿が残されている。1804年9月のページにパーシヴァル卿の父母の結婚履歴が残っている。教会書記がいうには別に写しがあるという。それをみると、なんとその履歴は書かれていない。教会の聖具室の登録簿は改竄されたもの(当然パーシヴァル卿がやった)。ハートライトはパーシヴァル卿の手下に因縁を付けられて拘留(ここは現代的なトリック)。ようやく保釈されたとき、教会の聖具室にはパーシヴァル卿が忍び込んでいて、火の不始末で火事が起きていた。
(ハートライトのアクションは100年後のハードボイルド探偵のものであって、人に会って手がかりを検証し、そこに推測を加えていくというもの。途中で尾行者の妨害にあったり、火事から容疑者の救出を試みたりするのも、ハードボイルドのお約束。ニセ情報に振り回されずに、すぐに真相にたどり着けるのはもったいない。といって、この冗長な描写であと数人の関係者の聞き取りにまわられると、読書の根気が続かないが。それが暴かれたら身の破滅になるという秘密はとても驚きであるが、20世紀以降には成立しない。19世紀イギリスでは役所の仕事の一部は教会が行うものであった(それは日本も同じ)。ここに留意すること。一方、民事や刑事の裁判の仕組みは現代にちかいものになっているとか、社会システムの事情をうかがわれる。)

キャセリック夫人の手紙 ・・・ パーシヴァル卿の秘密。アンとフェアリー家の関係。アンが白衣を着ている理由。
(手紙であっても書き手の高慢さ、執拗さ、周到さがよくわかる優れた文体と文章。)

ウォルター・ハートライトの話 続き ・・・ ハルカム嬢から下宿を引っ越さなければならないという手紙が来る。フォスコ伯爵に会い、警告を受けたのだった。死んだことになっているローラを日の下にでられるようにするには、フォスコの証言が必要。しかし相手は策謀の手練れ。考えた末に、フォスコはイタリアのスパイではないかと推測する。そこで、ハートライトの依頼を決して断らないぺスカ氏を呼び出し、フォスコを見てもらう。ペスカ氏は相手を知らないのに、フォスコは怯えた。ペスカ氏によると、同じイタリアの秘密結社員ではないかという。ハートライトは後顧の憂いをなくし、ローラたちの安全を確保して、フォスコ伯爵に決戦を挑む。
(なるほどこの時代、イタリアはオーストリア帝国からの独立運動がさかんであった。そこに秘密結社団体があるというのはコリンズの想像力のたまもの。まあ、フランスの四季協会あたりをモデルにしたのだろう。イギリスの大衆小説にはこのようなスパイもの、防諜ものが多いが、その先駆になるだろう。それにしても、この章の展開は早い。もう少しじっくりと書いてほしいなあ。)

イシドール・オッタヴィオ・バルダサーレ・フォスコ伯爵の手記 ・・・ 事件全体の構図を描いたことを告白。
(これも、書き手の傲慢、ユーモア、他者への侮蔑、ライバル(ハルカム嬢)への愛情など、稀代の犯罪人の複雑さが読み取れる優れた文体と文章。)

ウォルター・ハートライトの話 結び ・・・ エピソード。ローラが正式に本人に認められる。フォスコの悲劇的な最後。最初の子供。リマリッジ館に帰る。
(最後は冒頭に戻り、この長い物語が終了する。)


 パーシヴァル卿とフォスコ伯爵の陰謀。それは二人の女性を苦痛にまきこみ、ひとりの青年を自立させるものとなった。生涯となる三角関係は清算され、愛の絆はより深まる(にしてはローラの存在感が薄く、むしろ知的で薄幸なハルカム嬢に読者の好意は向けられるだろう)。苦難と試練の果てには、おとぎ話のような幸福が訪れ、愛と信頼は勝利を得、悪と陰謀にかかわるものはすべて報復されたのであった。
 二人の悪党の陰謀はとても緻密で、ハートライトらを絶望までに追い詰めたのであった。とはいえ、フォスコの告白を見るといたるところで抜けがあったので、陰謀の陰湿さや恐怖の根源はこの二人の性格や行動性向にある。冷酷に徹しているようで激情的であり、サディスティックであるようでお人よしであるこの二人の犯罪者の造形はすばらしい。ここはディケンズよりも優れているところで、ディケンズのキャラクターはスクルージを除いてまず覚えていないのに、コリンズのキャラクターは強烈な存在感を持っている。彼らの心理描写もまた卓越している。なんども書いているように、とくにハルカム嬢においてその筆がすばらしい。
 さらにストーリーも緊密。フォスコ伯爵を追い詰めるのが冒頭にわずかにでてきたペスカ氏であるところなぞ、伏線の張り方が周到。リマリッジ館の手紙のやり取りはその場のサスペンス用かと思えば、第3部の謎解きの手がかりになるなど。このような近代的な構成になっているのもよい。
 ではなぜ、コリンズは忘れられたか。この代表作だけで判断すれば、冗長さと恋愛の構図に他ならない。自分は探偵小説の源流を見つけるような眼で読んだので、退屈することはなかったが、単行本にまとめられるとあまりの長さにへこたれる。さらにはハッピーエンドが約束されているのがまるわかりな単純な恋愛小説であることも。どちらもコリンズの特長であるのだが、それが欠点になってしまう。さらにあげると、構成が優れていて、物語の謎がすべて解明されるので、読者はそこから想像を広げたり、反発を持つことができない。読後に「もんだい」が残らないので、本を閉じると印象が失せてしまうだよな(その点、中途半端になったディケンズエドウィン・ドルードの謎」は未解明なところがあるので、記憶に残る)。
(ローラとハルカム嬢はフェミニズムの視点で読むことができそう。自分を不美人と思い込んだハルカム嬢は結婚をあきらめて、ローラとともにあることを選ぶ。そこに至るまでに、姉妹の関係では説明つかないような、深くて細やかな愛情が二人にある。そこに注目することは可能。でも、自分には知識がないのでパス。)

 ウィリアムソン「灰色の女」1898年がコリンズ「白衣の女」1860年に影響を受けているという指摘が「灰色の女」の解説にあった(ちなみに、このふたつの小説の邦訳者は同一人物)。はためには、白衣と灰色の服しか身につけない謎の女の登場、墓や屋敷に対する彼女らの異常な関心、謎の女を追いかける未成熟な青年、恋の成就と冨の獲得くらいが共通するところ。ストーリーテリングや人物造形、謎の複雑さは40年後に書かれたものの方がよい。どちらも今日では冗長なので、好事家以外は読まないと思う。
 それよりも、男性作家が女性視点で手記を書き(「白衣の女」)、女性作家が男性視点で手記を書く(「灰色の女」)の違いの方が面白かった。ジェンダーを変えた視点で文章を書くのはよくあることだが、成功例はそれほどないとおもう。その中では、このふたつの長編はうまくできた例。19世紀のジェンダーへの抑圧が強かった時代によくできたものだなあ、と感心した。

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 コリンズ「白衣の女」はなんども映画化、ドラマ化、ミュージカル化されているようだ。
The Woman in White(1917)
www.youtube.com
The Woman in White (1997)
www.youtube.com