odd_hatchの読書ノート

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ロバート・マキャモン「ブルーワールド」(文春文庫)-1 Xはソドムのシンボルで倒された十字架。放蕩と背徳の街で神父が改心のために奔走する。

  マキャモンの短編は少ない。キングが短編集をいくつも書いているのと対照的。まとまっているのはこれと「ハードシェル」。それを除くと、アンソロジーにぽつぽつと載せているくらい。この短編集の邦訳が1994年にでてから、第2短編集はいまだに出ていないのは、そうした理由があるから(どこで読んだか忘れたけど、「スワン・ソング」が100万部売れてから、マキャモンのエージェントはひどく強気になり翻訳権料を高額に設定したという。それがあったか、ほとんどの邦訳は初版売り切りで再版をかけない。マニアの評価は高くても、売れ行きが悪かったのか。どうにも入手しにくい状況が続いている。)
 このエントリーでは、中編「ブルーワールド」の感想を。その他の短編は別エントリーで。

2019/03/07 ロバート・マキャモン「ブルーワールド」(文春文庫)-2 1989年 1989年

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 ブルーワールドとは、この小説によると日没近くの青色の光で町が覆われる状態。まあ、理性の光が弱くなり、悪の闇が跳梁跋扈しようとする間の世界だ。主人公たちに寄せて考えれば、神の信仰の試される試練の世界であり、悪徳と堕落の世界に落ち込むのを踏みとどまる危険な世界である、とでもいえるか。その象徴になるのが、サンフランシスコのポルノ街にたつ巨大な「X」の看板。これもアダルトビデオの「X」レイト=ソドムであるともみなせるし、教会の十字架が倒れている姿ともみなせるし。ブルーワールドの両義的な状況にふさわしい。
 さて、ジョン・ランカスター神父はサンフランシスコのポルノ街のすぐ近くにあるセント・フランシス教会で告解をきく役を果たしている。ある朝、まるで教会には似つかわしくない若い女性がやってきて、友人が殺されてどうしていいかわからないという話を聞く。彼女の濃厚な匂いに幻惑されて、神父の股間が熱くなる。いつもは冷たいシャワーと勉強に没頭することで、誘惑は退けられたのだが、今回ばかりは無効。眠れない夜に、神父は部屋を抜け出して司祭の格好のまま、ポルノ街に行き、ポルノショップで若い女性デボラ・ロックス主演の映画を見て、ビデオを買った。さらには、本人の登場するトークショーまで行く。ここまでの神父の葛藤と衝動の描写が見事。ポルノ街をうろつく司祭というのは、かの国ではショッキングなのかな。この国だと坊主が歓楽街で遊んだからといって、とくに諌められる話ではない(三島由紀夫金閣寺」にそういうシーンがでてくる)。
 ついにはデボラの家を確かめ、しかも彼女と不意に出会い(スーパーで彼女にぶつかる、おかげで(?)デボラはくじにあたる)、家に招待される。彼女はポルノスターで、麻薬にコカインを常習し、男を誘惑し、いかがわしいエージェントとの付き合いもある。そういう自堕落な女ではあっても、ジョンのようなうぶな男の前では本性がさらけ出されると見えて、田舎町を捨ててスターを夢み挫折した鬱屈を心に秘めている。
 彼女は、B級映画のオーディションに賭けていて、それに受かる事が成功と自己実現の道と考えている。デボラは本名デビー・ストーナー、デボラはスイッチが入った時だけ姿をあらわす(ポルノ撮影時のみあらわれる別人格だ)という。ここの表現は面白い、似たような話はAV女優のインタビューなどで見聞きするので。
 中盤はデボラのオーディションに心ならずもジョンが付いていくシーン。あいにく映画会社は女優の過去のリスクをとるわけに行かず、オーディションの現場でポルノヴィデオにグラビア写真の数々を暴露する。ここでデボラとジョンは叩きのめされるわけだ。それは神の試練でもなく、悪徳がもたらしたものでもなく、悪の組織の罠にひっかったわけでもなく、資本主義と自由競争経済のため。人がとことんまで追い詰めるのはいろいろあるが、まずはこういう経済と社会参加のチャンスの喪失として現れる。
 ここまでで小説は8割を経過。デボラが自暴自棄になって自殺するかも知れないと危惧したジョンは、私立探偵に監視を依頼。しかし、冒頭のポルノ女優惨殺事件の犯人であるサイコパスがデボラを発見し、監禁する。その前に襲われたジョンは間一髪生き延び、片手に銃創を負ったままデボラのアパートに急ぐ。サイコパスの暴力を阻止する事はできるのか。
 福音書を読むと、イエスは病人・老人・貧者・娼婦など社会の弱者のところに行き彼らの苦悩や苦痛を聞き時に同情していたし、ときには自分のグループに彼らを迎えてもいたのだった。そういう点では、ジョンの行動はイエスに直結しているといえる(ジョンは十二使徒の一人ヨハネの英名)。むしろ、教団の幹部や信者が、ジョンの振る舞い(ポルノビデオを買うとか、耳にピアスをあけるとか、人前で派手な女と抱擁するとか)に眉をひそめ、積極的に非難する。このような「清浄な」社会や集団の不寛容に対置されるのが、ポルノ女優のエージェントが示す底抜けの人の良さであり、ポルノ女優同士の友愛関係。ラストシーンでは、ポルノ街の小さな娘がジョンに告解に来る。教会の不寛容にジョンが穴を開け、交通が生まれてきた(そして助かる魂と肉体が生まれる)というハートウォーミングな物語。デボラもコカイン中毒を治して別の生き方をする決心をするし、よかったよかった。
 ホラー・サスペンス小説の読み方はしなかったが、そちらの展開も見事。上記のストーリーにサイコパスの話をうまく組み合わせて、終盤のサスペンスを盛り上げる。サイコパスの力をあまり強大にしなかったのがよかったな。ジョンのような暴力になれていないもの(でも高校でフットボールくらいをやっていたのかタックルが見事に決まる)の反撃がリアルになった。ヒッチコック「裏窓」みたいな格闘シーン。神父が事件に巻き込まれて危険に会うというのは同じく「私は告白する」。謹厳な紳士が美女にめぐり合って過去の秘密にかかわっていくというのはおなじく「めまい」。サイコパスが町を闊歩して女を惨殺するというのは「フレンジー」。ちょいと読みすぎか。
 たった1週間でこの長さと複雑なストーリーを書き上げたというから驚いた。