odd_hatchの読書ノート

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ロバート・マキャモン「奴らは渇いている 下」(扶桑社文庫)

2019/04/04 ロバート・マキャモン「奴らは渇いている 上」(扶桑社文庫) 1981年の続き。

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 事件はきわめてゆっくりとはじまる。まずは「ローチ(ごきぶり)」と呼ばれるサイコパスによる連続猟奇殺人が起こる。他にも、ヒスパニッシュの少女の妊娠と凌辱、筋硬化症で過去に麻薬歴を持つ神父の苦悩、「ローチ」捜査担当の警部の疲労と家庭の危機、ソランジという霊媒師を押し付けられた売出し中のコメディアンなどが紹介される。ある霊媒師はコックリさんのようなヴィージャー板で「奴らは乾いている」と警告を受ける。
 一方で、動く死体(「リビング・デッド」)が相次いで発見される。死体は病院に収容され、日没とともに「リビング・デッド」が人間を襲う。墓地が襲われ、棺桶だけが盗まれる。犬や鼠が人間に敵対して、襲うようになる。葬儀業者も襲われ、「リビング・デッド」を配下にして棺桶の量産に励む。「リビング・デッド」が数万人になるまでに、わずか4日。それらは、ハリウッドを見下ろすクロンスティーン城を根拠地にした古い吸血鬼の末裔プリンス・コンラッドの仕業と知れる。不死ではあるが外見の若いコンラッドは全軍に命令した。老師ヘッドマスターの指示通り(このあたりの設定は、のちの「スワン・ソング」でも繰り返されるね)、数百万の「リビング・デッド」でロスを支配し、もはや人間の持つ手段ではかなわないような場所にすること。そして、世界を悪と闇に変える。老師ヘッドマスターは秘儀を持って、ロスに砂嵐を吹かせ、全都市を暗闇で覆うことにした。交通はすべて遮断。飛行機も飛ばず、軍隊も侵入できない(このあたりの設定は、のちの「スティンガー」でも繰り返されるね)。
 生き延びた人びとは、地下室や教会に閉じこもるか、徒歩で脱出するか。「リビング・デッド」は砂嵐のなかでも平気で徘徊し、孤立した人間を襲い、血を吸う。一夜を過ごすと、血を吸われた「リビング・デッド」はプリンス・コンラッドの指示とおりに人間を襲うようになる。
 そこでこの事件(事態)が人間の側で吸血鬼の仕業とわかり、対決を決意したのは、次の4名。ハンガリーの山村での吸血鬼事件の生き残りである中年のパラダジン警部、筋硬化症で余命いくばくもない元ジャンキーのシルヴェイラ神父、売出し中のコメディアンで霊媒師のソランジに心奪われたウェス・リッチャー、モンスター映画が大好きで飛び級もする頭の良さをもついじめられっ子トミー・チャンドラー。彼らはいずれも心に傷を持っている。パラダジンは亡き母の幻影と幼児の体験におびえているし、シルヴェイラはスラムの子供を救えず余命が少ないことにいらだち、ウェスは芸人の薄っぺらい人生に自己嫌悪、トミーは吸血鬼に化した父母を焼き殺してしまったこと(さいわいその時の記憶は失っている)。それぞれが暴力や格闘技の経験もなく、有効な戦略や戦術を案出できるほどの知恵もない。ただ、知人・友人などの死と「リビング・デッド」への転換をみて、決起する。そこにいたるまでに600ページ。
 のこりの200ページはクロンスティーン城へのアタック・アンド・エスケープに費やされる。砂嵐で侵入に時間がかかり、いくつかの罠にかかって疲労困憊。プリンス・コンラッドの前に転げでた時、体力は残っていない。絶体絶命。
 「リビング・デッド」が数万人か数十万人にも達し、ロス全体が制圧されている状況で、この素人4人でどう立ち向かうのか。なるほど作者の考えたのはたった一つの冴えたやり方にほかならない。ロス・アンジェルスという土地である意味が見事に発揮されている。まあ、この国の最近の体験のために、20世紀に読んだ時のような爽快感はなくなったけど。筆を尽くして描写しているが、そんなもんじゃねえといいたくなってね。これは作者の責任ではない。
 最後には、吸血鬼事件が将来起こりうること、その知識を軍と政府が管理隠蔽しようすることが示唆される。そうすると、この「奴らは渇いている」事件の体験者は、忘れてはならない・みんなと知識を共有しなければならない・将来に備えなければならないと新たな決意を示す。このような生の意義の発見と再生はマキャモンの主題。まだ青くさい説教なのは、作家の未熟であるが仕方がない。人物の掘り下げも含めた成熟はのちの作品で確認することになる。
 この国で、かつキリスト教に親密でないものが読むと、吸血鬼の登場するホラーは裏返された信仰小説なのだね。吸血鬼はなるほど悪の権化で、この世の善や愛に対立するものであるが、その指嗾によって人は「リビング・デッド」に簡単に変身してしまう。リビング・デッドは死んでいないので、最後の審判で天国に招待される対象から除外される。不死であることは、必ずしも良いことではないのだ、その宗教社会では。このあたりの説明は悪魔のささやく「悪」、信仰の喪失とパラレル。なので、物語には十字架が登場し、「リビング・デッド」にならないために人々はそれを求める。それは読者にも訴求力があって、四半世紀前に読んだ後、自分も真剣に十字架のネックレスがほしいと思ったものだ(買いに行く暇がないままほったらかしているうちに、忘れてしまったけど)。そういう忘れた信仰心を復活させるというのはこの種のエンタメ小説の効果なのかしら。