odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

エドガー・A・ポー「ポー全集 1」(創元推理文庫)-1「壜のなかの手記」「ハンス・プファアルの無類の冒険」ほか

 ポオの全集は高校生のときに、谷崎精二訳で全部読んだはずだが、中身の記憶がない。創元推理文庫で全集になったのは僥倖で、すぐに購入した。他の文庫と違ってカバーに豪華な紙を使っているのに、作者の権威を感じた。
 全集1巻は1830年代に書かれたものを収録。並びは、1950-60年代の研究に基づく、発表年月順。wikiをみると、いくつか異動がある(最初の作品は「壜のなかの手記」ではなく「メッツェンガーシュタイン」であるとか)。タイトルの後の発表年はwikiによる。()内はこの全集の記載に基づく。
 ポーの感想エントリーでは、映像のリンクを張っているものがある。あいにくほとんどが駄作、珍作の類。視聴にはご注意のほど。。

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壜のなかの手記 1834(1833.10) ・・・ 1831年。ジャワ島近辺を航行中の帆船が嵐にあって難破。南に流される。オーストラリア(という地名はなかったらしい)の西部を過ぎ、南氷洋にはいったとき、船は氷壁に向かっているのが分かる。ある船員が瓶に残した手記。たぶん南極大陸の存在が知られず、南の果てが巨大な崖になっていると信じられていたころの話(このあとには地球空洞説の小説もあるらしい)。ポオは海難の話が大好き。

ペレニス 1835.03 ・・・ 1835年。ある偏執狂の青年が、愛していなかった幼馴染の歯にフェティシズムを持つ。ある病気で癲癇を起こすようになったペレニスが死亡したと伝え聞いたとき、青年は妄念に襲われる。それ以前の青年の偏執は、古典に向けられて、神秘思想に共感していた。のちの「アッシャー家の崩壊」の前駆。

モレラ 1835.05・・・ 自分よりも優れた感受性と知性を持つ娘モレラ。彼女は「わたし」に古代から近代の神秘主義思想への導き手となった。しかし、「わたし」はモレラを心底愛することができない。そのモレラが夭逝するとき、あたしは生き続けると予言する。事実娘は成長するにつれて、モレラそっくりの容貌になり、モレラと同じまなざしを向ける。その視線に恐怖を感じる。あと輪廻(リーインカーネーション)はいつごろから唱えられた観念なのかしら。wikiだと18世紀半ばころから出たようだ。

ハンス・プファアルの無類の冒険 1835.06 ・・・ ロッテルダムの広場に、突如上空から異様なものが降りてくる。気球には人が乗っていて、手紙を落としていった(市長に砂袋が落ちるというギャグあり)。手紙には、ハンス・プファアルという鞴(ふいご)直しの不思議な冒険が書いてあった。すなわち失業して借金取りに追われる身になったプファアルは借金取りをだまして熱気球を製作。爆薬をつかって飛び立った後、なんと月にいって帰還したという。この手紙は帰郷するための資金提供の依頼のために書かれた。それ以来、プファアルの姿はようとして見えない。手紙のほとんどは、気球にのって月に行くまでの微細な技術と、上空からの地球の眺めの描写。1830年代当時の知見を総動員して科学的に記述しているが、今日的ではない。むしろ当時の正統な考えの奇矯さをみるべきか。すなわち、地球と月のサイズは小さく、月との距離もそれほど離れていないで、その間は空気が存在し、気温もほとんど下がらない。隕石は月の火山の爆発で吹き飛んだ岩が地球を目指して飛ぶもの。とくに月と地球の間にも、月にも大気があるという考えは強固で、のちのヴェルヌ「月世界旅行」1865、ドイル「毒ガス帯」1913などに継承(たしか帝国期ロシアのSFにもそういう記述があった気がする)。プファアルは月で「醜い小人」と会い、彼らの風俗・民族・社会形態や政治体制などの観察もしているがここでは割愛されている。どういうユートピアディストピア)をポオが構想したかは興味があるが、哲人政治全体主義国家になっているだろうと予感。さて、この「科学的」なレポートを読んだ後の市長他の人々の反応が面白い。彼らの多くはプファアルのレポートは詐欺であり、信用できないと考える(そのためのさまざまな証拠も挙げられる:ただし、たぶんに陰謀論的)。そのうえ「附録」(ポオが書いたものではないらしいが、ポオの考えを反映しているらしいということで全集に収録されている)ではレポートの「科学的」なところも、当時の科学書や小説の剽窃の可能性を示唆している。まあ、科学は他人の考えや意見をブラッシュアップして、新しい知見をつくるところがあるので、オリジナルである必要はないのだが、小説の後に追加されると、長い「手紙」を読んだ読者の感興を削ぐ効果になる。おまえらはレポートを「信用できる語り手」の書いたものと思い込んでるだろうが、ほれ、俺は信用ならない語り手だぜ、騙されてやんの、バーカ。そんな気分にさせられる。ポオの意図かどうかはわからないが、手紙の後のドタバタの附録の意地悪さは21世紀的。

約束ごと 1835.07 ・・・ 倦怠の街ヴェニス。夕暮れに公爵夫人の手から幼子が水路に落ちる。迫る闇でだれもがあきらめたとき、美しい青年が幼子を抱いて水からあがる。そのときに衣服は崩れ、それを見た公爵夫人は顔を赤らめる。ギリシャ彫刻のような白蝋の肌に狂乱のまなざしと「あなたは征服なさいました」となぞめく。翌日、その青年に招待された「私」は彼の収集した絵画や彫像を集める「夢の部屋」に入る。青年は葡萄酒を飲み、疲れたといって横たわるとことに、夫人が毒を飲んだとの知らせが入る。謎めいた結末の後に、タイトルを見なおして、「約束」の何ごとかを瞬時に悟ることになる(それが正しいかどうかは書かれていない)。青年の「笑いながら死ぬ」はいったいなんだったろうな。

ボンボン 1832(1835.08) ・・・ 身長3フィートのピエール・ボンボンは哲学者にして料理店主。厨房に食器や台所用品と一緒に書物が並んでいる(魅惑的な仕事場だ)。店を閉めて、出版する予定の著作に赤を入れようとしたら悪魔(目がない)がやってきた。古今東西の哲学者の言葉は俺が書いたのだと豪語し、学説を味にたとえる。ボンボンは悪魔のおしゃべりをききながら、葡萄酒を飲み続ける。プリア・サヴァラン「美味礼賛」はもうアメリカに知られていたのかな。悪魔との会話は手塚治虫「ネオ・ファウスト」(遺作)を思い出した。


 思い返せば、1830年代は知的な娯楽が極めて少ない。21世紀のわれわれが特に意識することなく消費しているもの、マンガ、アニメ、写真、映画、テレビ、ラジオ、録音媒体などなど、はない。せいぜい本と雑誌。それも極めて流通が悪く、新刊はなかなか手に入らないし、所蔵しているものもわずかだ。古典や現代の音楽はコンサートでしか聞くことができない(うまくいけば家族の演奏会に招待されるかもしれないが。
 でも、オタク的な情熱はどの時代の人にもあったと見え、人々は細部までこねくり回して楽しんだ、そのときに熱中したのが宗教と哲学。このテキストで書かれた難解な文章に対して、人々はオタク的想像力を発揮した。ヨハネ黙示録の世界の終りの描写に、神秘思想家の生と死の観念に、あるいは悪魔や天使の風貌に。そういう知的情熱の発揮が、この19世紀前半の小説にある。語り手の会う人々は一様にさまざまな書物を読み、さまざまな想念・妄想をもっている。夜の深い闇(油のランプかロウソクの光のみ)に想像力は翼を広げ、歴史の人物は闇の中に実体化する、
 そういうところでポオの小説が書かれていることに注意。