odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

山口雅也「日本殺人事件」(角川文庫)

 日本人の母(再婚のため血縁はない)を失ったとき、トーキョー・サムはまだ見ぬニホンへの憧憬が強まった。サンフランシスコの私立探偵ライセンスは米軍基地のあるカンノン市では有効である。そこで、失業したサムはわずかなたくわえでニホンへ向かった。その国は、サムライとゲイシャがいて、ジンリキシャが走り、義理と忠義を重んじるニホンジンの社会である。
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微笑と死と ・・・ 海外資本のリッパード商会のニホンジントップのヤマダは社長から大量馘首を命じられていた。二人の主君に会いまみえずという忠義を重んじるニホンジンには、終身雇用こそ正義であり、馘首など応じられない。リッパードとの最後の交渉でついに決裂したヤマダは宿に帰って、切腹して果てた。その現場をみたサムは、おかしなことに気付く。ニホンジンサラリーマンは背広を着ても、二本差しだというのが笑える。(参考:下山事件

侘(わび)の密室 ・・・ 茶道のワキセン家では、跡目を誰にするかでもめていた。今の宗匠ソウユーは、道に熱心なセンオーにするか、辣腕ビジネス家のゲンサイにするか決めかねていた。ソウユーの知り合いであるエクボに誘われて、サムはお点前をいただくことになる。客になったのは二人にゲンサイ、そして最近養子になったショウユー。済んで、茶室を出た後十分ほどで戻ると、茶室は密室状態。中でセンオーが背中から鋭利な針で刺されて死亡していた。奇妙なことに死亡時刻はお点前の前のこと。密室からどうやって脱出したか。このニホンではニンジャ学校があり、卒業生が公務員に採用されているというのが笑える。

不思議の国のアリンス ・・・ カンノン市の郭で、サムがゲイシャ遊びをする。最高格の店の一番花魁をあげてみたところ、今晩は客をとらない、といって「聖なるもの」の論理で性愛の形而上学を講義。酒に酔って寝てしまうと、腕を切り取られた花魁の死体が見つかる。前日の夕にはフリュウの際の事故で一人の花魁がのどを切られていた。さらに、別の花魁も首を切られ、しかも髪の毛を剃られたのが見つかる。どうやら「花鳥風月」に見立てた連続殺人らしい。ギューノイノスケも行方不明になり、彼がサイコパスかと思われた。女性には大学で高等教育を受ける以外に、花魁になるという道があるというのが・・・これは2015年(感想を書いた年)には笑えない。


 ガイジンが日本を舞台にすると、観察される側のわれわれからするととんちんかんな描写になることがあって、19世紀のギルバート=オサリヴァン「ミカド」からプッチーニ蝶々夫人」というのがあり、戦後では映画によく出てくる(「007は二度死ぬ」とか「東京暗黒街・竹の家」あたりね)。この国のインサイダーからすると、失笑するような表現であるのだが、この作家はこのとんちんかんをそのまま小説の設定にする。
 アメリカの作家が現地に行かずに、いくつかの観光案内と想像力をもとに推理小説を書いたという設定。初出は1994年で、バブル経済期のこの国はユニーク、この国は素晴らしいという、今から振り返ると根拠のない、ナルシスティックな議論があって、小説はそれを背景にしているのだろう。そうすると、この国で書かれるミステリーとは異なり、読者の物理現実の延長にはならないので、合理主義や論理性はそのままであっても、論理の方向(とくに動機の解明)がずれてくる。ここに目を付けたのがよい。その結果、第1話では武士と切腹、第2話では茶道と芸、第3話では遊郭と心中という読者の物理現実ではまず存在しないが、かつてあったこの国の論理と倫理を誇張して表現することになる。実際、小説中ではこれらの詳細な説明があるのに、どこか別の世界を見ているような気分になる。まあ、ルース・ベネディクト菊と刀」を戦後に読んだときに感じた印象と同じ。かつては在ったのかもしれないが、いまの読者とは完全に切れたどこか別の世界。
 もしかしたら作家はこの「菊と刀」をベースにしてこの珍妙なニホンを構想しているのかも。ニホンジンの道徳原理は「恥」の感覚にあるというところあたり。上の、切腹や芸や心中という行動選択が「恥」の感情で決められている。なので、そこを共有していないトーキョー・サムは事件をつかむのに難儀するし、関係者による決着の付け方にも困惑する。なにしろ「恥」の感情があるから、「隠蔽」が起こるし、「罰(主に自己処罰)」を科す。ここのところは読者の物理現実の社会とつながっていて、なるほど物理現実の犯罪でも多くのニホンジンは隠蔽や自己処罰を実行するのだな、そこの感情は身内への「恥」に由来するのだな(ほかの関係者には無関心)と思い至ることになる。見かけはパロディのコメディで、途中の蘊蓄は底が浅くて退屈だし、カタカナだらけの文章を読むのは面倒なのだが、掘り起こした先の「恥」の議論は身につまされました。
 総タイトル「日本殺人事件」から、自分は京都学派とか天皇制とか記紀神話などをぶちまけた観念小説ではないかと妄想していたので、手に取るのが大幅に遅れてしまった。もう少し早く(初出時直後にでも)読んでいたら楽しかっただろう。