odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

新渡戸稲造「武士道」(ハルキ文庫) キリスト者が妄想した架空の武士道は、皇国イデオロギーを補完する。「武士道」は日本人の非道の言い訳と、国内の住民の統制に使われた

 新渡戸稲造は、1862年生まれで、物心ついたときには明治政府が樹立していた。東京女子大学の総長になったり、国際連盟の事務局次長のひとりになったり、ユネスコのもとになる機関の設立に尽力したりの活動を行う。1932年は軍部批判を発表してさまざまな圧力を受け、渡米したのち1933年に客死した。一般には自由主義個人主義の人とされる。
 他の本などを読むにつれ分かってくるのは、「維新」のあと日本の思想は混乱していた。政府は皇国イデオロギーを押し付け、江戸の遺風を全否定。漢学・儒学などの教育がうしなわれるも、開国による西洋思想(18世紀フランス思想が主だろう)はとっつきにくい。道徳の根拠や社会変革の理由などに確信を持てなくなっていたのだった。そのときに干天の慈雨になったのが、主にアメリカから来た宣教師と彼らの教えるキリスト教。日本とは異質であるが、漢学・国学儒学などにはない新しさに日本の青年は感化される。ことに自由・平等・博愛の精神。新渡戸稲造の出発点はここにあるだろう。
 本書「武士道」は1899年に英語で書かれて出版され欧米のベストセラーになった。なんどか翻訳が行われたが、本書は矢内原忠雄による1934年のもの。岩波文庫にはいっていたのをハルキ文庫が2014年に復刻。解説はない。

 上のような経歴の人がなぜ「武士道」なる日本礼賛本を書いたのか理由はわからない。というのも
・武士は列島に居住した者の数パーセントにすぎず、日本に居住するものの思想を代表する階層ではない。
・武士は10世紀ころの成立後、役割を変えていった。鎌倉期(これも前期と後期で大きな断絶があるらしい)、室町期、戦国期、江戸期の武士の行動や道徳などは異なる。それを一緒くたにするのはおかしい。
・明治政府が士族を撤廃したので、書かれた当時には武士階級は存在しない。
・武士を説明する事例が、史実ではなくフィクションに依拠している。事実でないことを実際あったかのように説明している。たとえば、武士が切腹したのは戦国期から江戸の初期まで(流行したので幕府が禁止命令をだした)と明治維新期くらい。武士のたしなみではない。宮本武蔵の「五輪書」、別のひとによる「葉隠」も武士のあるべき姿を理想化した修養書。
 というわけで、本書は架空の武士はかくあるべしというような理想をフィクショナルに書いたものなのだ。ここでは仁義礼智忠信孝悌などが武士の道徳として書かれているが、それを実践した者がどこにいるのか。武士であろうとした明治から昭和の軍隊がこれらの道徳を全く実践せず、害悪をなし恥じることがなかった。というわけで、本書にある「日本人」の美徳は幻想であり、実態のないものなのだ。
 道徳を剥いでみたあとに残る「武士道」とは、次のようなものだ。
1.主従関係は生まれたときから決まっていて、変更することはできない。主に絶対服従しなければならない。
2.人の命に価値はない。自分の命は軽く、他人の命も軽い。
3.恥をかいたら切腹(自殺)しろ、恥をかかされたら復仇(ふっきゅう:敵討ち)しろ。※恥であるかどうかは主や集団が決める
 これらに「天皇のために死ぬと神になる」を加えると、皇国イデオロギーになる。ここには近代の人権や自由の思想が加わる余地はない。新渡戸がすごした青年期はすでに皇国イデオロギープロパガンダが行われていた。新渡戸もその影響下にあったのだろう。本書は皇国イデオロギーのなかの「天皇のために死ね」を封建的ロマンティシズムで描いて、皇国イデオロギーを強化する一翼になってしまった。本書が出た40年後にアメリカの文化人類学ルース・ベネディクトが「菊と刀」という日本の研究本を出版したが、そこで描かれる日本は「武士道」に書かれた道徳に忠実な日本人の姿だった。「武士道」は日本人の非道の言い訳と、国内の住民の統制に使われたのだった。
司馬遼太郎坂の上の雲」によると、日露戦争中にアメリカで日本支持者を増やすために、この本を使ったという。ベストセラーになったといっても、カルトな日本礼賛本に魅了される人などいなかったのではないかな。)
(武士道と皇国イデオロギーの合体は幕末の攘夷運動で形成された。恐らく水戸学とか吉田松陰あたりが起源。これを長州薩摩などの討幕派の藩が共有していった。重要なイベントは、孝明天皇に使嗾されておきた薩英戦争と下関砲撃事件。ここで「日本人」は皇国イデオロギーによる戦闘で負けて、恥をかかされた。その後のアジア諸国への侵略と植民地化はこのときの恥の敵を討つためだったと精神分析できる。なるほど幾多の戦闘や戦争で日本は「不敗」であったが、恥をかかされた相手であるイギリスやアメリカには一矢も報いていない。維新前の恥に対する報復は80年継続して、完膚なきまでに敗北したのだ。そして21世紀のネトウヨやカルト宗教はふたたびWW2の敗北という恥に敵討ちをしようとしている。)
(追記。加藤陽子「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」(朝日出版社)によると、WW1のあと、日本の拡大戦略、植民地獲得構想が欧米の反発を生み、路線変更を余儀なくされたのを挫折と思い込んだとのこと。その後は挫折の反動で欧米に敵対的で傲慢な行動になる。)

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アレントのいう「モッブ」は自己評価が低いので、自分の命も他人の命も軽いものだと思い込んでいるのだが、そういう軽い命に意味を与える「偽りの現実」として日本のネトウヨは「武士道」を利用する。)
 当時の思想を参照するために研究目的で読むべきで、21世紀に読む必要はまったくなかった。

 

 

    

 

追記
 高橋昌明「武士の日本史」(岩波新書)によると、本書は「近世に存在した士道・武士道とは全く別物」で、

「そもそも彼(新渡戸)は日本の歴史や文化に明るくなかった」。
「新渡戸の主張する武士道は、片々たる史実や習慣、倫理・道徳の断片をかき集め、脳裏にある「武士」像をふくらませて紡ぎだした一種の創作である」。
「彼は西洋の騎士道に酷似しているとするが、彼の武士道が騎士道からの類推でできたものだから当然」

で、

「新渡戸の武士道論が『武士道の皮をかぶったキリスト教』(菅野覚明)である」(P233-234)

とのこと。騎士道と武士道を重ね合わせることで、日本が文明的民族と思わせたのであり、同時に西洋コンプレックスの発露でもあるとの由。

「邦訳が出た日露戦争以後になると、国の内外で日本が清国や世界の大国ロシアに勝利した理由を知るための書物として読まれた。日本が急に大きく見え出したこの時代背景こそ、本書の内容にある種の真実味を付与し、外国人には「日本人」を理解させ、日本人にはおのれの誇りを満足させる役割を果たしたのである(P234)」。

 なるほど、岡倉天心「茶の本」と同じ目的と役割の本だったのね。キリスト教を説いている所までは読み取れなかったのがくやしい。

 

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