odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

アガサ・クリスティ「ゴルフ場の殺人」(創元推理文庫) 探偵小説の枠組みにロマンスと冒険小説のスパイスの加わった「意外な犯人」もの。探偵のことを書きすぎたので、このあとは探偵主観でない書き方に工夫しないといけなくなる。

 講談社文庫(絶版)とハヤカワ文庫が「ゴルフ場殺人事件」、創元推理文庫が「ゴルフ場の殺人」。著者の長編第3作だが、ひとつまえが「秘密機関」というエスピオナージュなので、本格推理としては2作品目(1923年初出)。この小説からこの国の「新本格」の書き手の「第2作」を思い出した。彼らの第1作は不可解な謎を提示し大トリックひとつで勝負したとても力の入ったもの。好評で2作目を書くと、今度は一転して小技の積み重ねで勝負する。事件の不可解さにはそれほどこだわらず、証言やアリバイなどからおかしな状況になる。小説中にさまざまな手がかりをちりばめて、最後の解決で伏線を回収するというもの。トリックよりも小説の書き方に熱心になる。クリスティのこの作品もそういうひとつ(というか先駆)。ゴルフ場(ただし開業間近で工事中)で見つかった刺殺体にはなんのおかしいところもない。代わりに、被害者の生前の関係が複雑で、多すぎる容疑者は一人に絞ることを困難にする。

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 フランスの大富豪ルノー氏はポアロ宛に「助けてくれ」と手紙を書く。ポアロがおっとり刀で到着したときにはペーパーナイフで刺殺されていた。死の前に書き換えられた遺言では妻にだけ遺産相続し、ひとり息子は蚊帳の外。その息子は隣家の娘と婚約中。その母である女は貧乏だったのに、ルノー氏を訪れてから突然羽振りが良くなった。またポアロに同行したヘイスティングスは「シンデレラ」と名乗る娘に一目ぼれ。そのシンデレラはルノー家のことを秘密に調べているらしい。名無しの男の死体も見つかるが、どうやらルノーが若いころに犯した犯罪に関係していたらしい。こんな具合に権力を持つ「父」が死んで権力が空白状態になったために混乱が生じている。まあ、誰もがこの「父」の権力に翻弄されていたので、動機は皆持っているわけだ。おまけに、ルコック探偵の再来とも思えるジロー刑事がポアロの行く先々で強いライバル心をむき出しにして、ポアロにはうっとうしいことこの上ない。
 事件はこのように進み、数十年前の若い男女の確執が現在に影響している様を描く。多情多恨でまぬけなヘイスティングスの決して実らない恋愛はポアロものではお約束のサブストーリー。探偵小説の枠組みにロマンスと冒険小説のスパイスの加わった「意外な犯人」もの。時系列と人間関係の複雑さがみそとなる。
 この小説では、徹頭徹尾語り手ヘイスティングスの実体験を時系列通りに描く。そのためいっしょにいるポワロのことを書く。どのような会話をしたか、どのような行為をしたか、どのような行動性向を持つか、どのような嗜好をがあるのか、などなど。微に入り細を穿つ描写が延々と続く。ここも「新本格」の書き手の「第2作」によくみかけるところ。シリーズ探偵を創出し、いかにユニークであるかを示すための手法なのだろう。探偵や語り手の「個性」はこの一冊に集約される。でも、これで一冊書いてしまうと、次の小説では書くことがなくなってしまう。なので、探偵の主観で本格探偵小説をシリーズ化するのは早晩行き詰る。とすると、「アクロイド殺し」のナラティブは、探偵主観に近い書き方を克服する過程で発見したのかもしれない。(一方、ハードボイルドや冒険小説では一人称主観の書き方を続けられるのはなぜかと気になる。)
 

      

 

 あと気の付いたのは当時、日本の力士や手品師などがロンドンで興行しているところ。なるほど1900年の川上音二郎一座のヨーロッパ興業はSP録音をするほどの人気がでたが、そのあとも一旗揚げようと海を渡った無名の芸能人がたくさんいたのだ。当時の日本人のバイタリティに喝采をおくるとともに、クリスティが興味をひかれたというのが面白い。

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